三谷博著『維新史再考 公議・王政から集権・脱身分化へ』(2017年、NHKブックス)が勉強になります。
明治維新は、徳川幕府から王政に変わっただけでなく、統治身分であった武士階級の解体と平等化、300諸侯による分権・封建的統治から中央集権国家へという社会・政治革命でした。それも、政治的死者は3万人程度と、フランス革命に比べ2桁少ないのです。同時期に行われたドイツ統一では、日本ほど集権は達成できず、連邦国家でした。
私は読みながら、先生の設定した次の視点を考えました。
「ここでは、伝統的な主体中心の記述をやめ、課題の認識とその解決の模索というモデルを使った。維新というと、とかく活躍した特定の藩や個人、そして彼らの敵役に注目しがちである・・・
本書では、19世紀半ばの日本人が気づいた問題状況を再現した後、彼らがどのような課題を設定し、解決を模索したかをたどってゆく。模索の中で課題が修正され、新たな課題も発見される。それに伴って政治的な提携と対抗の関係も再編成される。こうすると、変化が把握しやすくなる。とりわけ、維新のように、個々の時点での変化は微少でありながら、安政5年政変から西南内乱まで20年の間には巨大な変化が生じていたというタイプの変革を理解するには都合が良い。また、この視角を採用すると、政界に登場した様々の主体を公平に評価できるようにもなる・・」(p4)
先生が設定する「認識された政治課題」は、「公議」「公論」「王政」です。これは本書を読んでいただくとして。
幕閣と雄藩、志士たちは、開国、攘夷、尊皇という政治争点を掲げますが、攘夷はあっという間に転向され、尊皇は倒幕を経て武士支配の解体まで進んでしまいます。島津久光が腹を立てるはずです。他方で、負担に耐えかね、自ら統治権を返上する藩主もいました。
徳川慶喜が、自ら将軍職を返上し、最終的には朝敵として政治の舞台から追われます。しかし、その過程では、大大名らによる公議による統治、そしてその盟主を目指し、成功しかけます。それを、薩摩がクーデターと武力挑発で追い落とします。
開国、安政の大獄、長州討伐などの過程で、幕府統治が揺らぎ、ペリー来航から15年で幕府が崩壊します。だれも1853年の時点で、1867年を想像した人はいなかったでしょう。
国際化という社会の動きを背景にしつつ、参加者の思惑が絡み合い、歴史が進んでいきます。
この項続く。