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私のHPには、下宿人が二人います。というか、いました。(歴史遺産)

タタカイの場にマメはない

さて、じゃん、じゃん、じゃ~んと三回ドラが鳴りました。二十杯を越えたのです。さすがにツラそうなひともでてきました。大会はいよいよ佳境に入ってきたのです。
唐老人が、突然「むうう」と胸を抑えて倒れこみました。降参です。「ワ、ワカいころはもっと食えたのにのう、こんなコドモにも負けるとは・・・」
唐老人が皮切りになりまして、次々と脱落者が出始めます。
じゃん、じゃん、じゃん、じゃ~ん・・・。
次にドラが鳴った三十杯のところまで残っていたのは、金陵代表の元女史と能大黒のふたりと、地仙ちゃんだけになってしまいました。ニンゲンの食べられる範囲をもう超えてしまっているのでしょう。既にニンゲンの領域ではないのではないかと思われます。
「すごいな、あのコドモのタタカイぶりは」
「これだけの高度な戦闘はこの数年では見られなかったものじゃ」
会場のひとたちは手に汗を握って見ています。しかし、このタタカイの中でも自分の世界に浸っているひともいるものでして、先生は何かひとりで独り言をぶつぶつ言っているのでした。
「戦闘」というコトバを構成する二文字は、実はよく似た文字なんだ。①の「戦」は「上部に飾りをつけた盾」である「単」という字と武器であるホコを表す「戈」(カ)という字から成っているのでわかりやすい。右手に盾、左手にホコを持った戦士を前から見たスガタなんだ。しかし、②「闘」は、「門」と「マメ」と「寸」から成っている。・・・なんでマメなんだろう、とキミも悩んでいるじゃないかな」
「ピリピリ・・・」
言われるまでそんなこと気づきもしませんでした、というか、そんなことどうでもいいんですけど、とカミナリちゃんは訴えようとしているのですが、伝わりません。

「そういう悩みを持つのはガクモンにとっていいことだね。で、残念だけど、この文字の「門」は「門」じゃないし、さらに門の中にあるモノも、マメでも寸でも無いんだよ。
まず、「マメと寸」に見える門の中の部分は、実は「 」(タク)という文字で「切る」と訓じる。右側のもう少し古い姿を見て欲しいが、左にあるのは「単」と同じかたちの盾で、右側がオノなんだ。「戦」と同じく右手に盾を持ち、左手にはホコでなくてオノを持った戦士を前から見たところなんだよ。
そして、「門」に見えるのは「モン」でなくて「トウ」という字で、点線内のより古いスガタを見ると「なるほど」と思うだろうけど、両側から二人のひとが素手でつかみあいのケンカをしている姿なんだ。武器を使うのもモドカしいというか生ぬるい、というカンジだよね。単なるケンカでなくて、後世ニホンの「相撲」に該当するような「神事としての格闘」だと考えるべきだけどね」
先生の解説には誰も耳を貸しませんでした。先生が話し終えたそのとき、「う、うう・・・」と、ついに能大黒がハシを置いたのです。
「ついに頂上決戦だ」
後残っているのは、元青霞と地仙ちゃんだけになってしまったのです。

おナカの減った地仙ちゃんはキケン

 地仙ちゃんはよほどおナカが減っていたのでしょう、チマキを包んでいたササの葉まで食べてしまいました。そこで、その食いっぷりを見ていたほかのお客さんたちが、
「なかなかいい食いっぷりだね」と喜んでたくさんクイモノをくれます。
「うふふ。大きな船に乗るといいことありまちゅ」と言いながら地仙ちゃんは、たちまちのうちにすべて食べ尽くしてしまいました。
「もっと食べたいのー。・・・あちょこのコドモのアタマでも食べちゃおうかちら」とか言い出しているので、これはいけません。
地仙ちゃんの目をクイモノから反らすために、先生は船酔いを押しておハナシを続けないとなりません。
「ち、地仙ちゃん、み、見てごらん、長江というのは大きな川だろう」
「え? ちょうでちゅね。・・・大きな川だから、おチャカナもいっぱいいるの?」
「そうだよ、いろいろいるよ」
「あ、ヘンなのいまちゅ」地仙ちゃんが波間を指差しました。
「ああ、あれは・・・ヨウスコウイルカだね・・・。チュウゴクで「河豚」と書くとあのヨウスコウイルカのことなんだよ。ちなみに海のイルカが「海豚」だ」
「へー。「河豚」はフグではないのね。イルカ、まるまる肥ってておいちちょう。・・・また何か食べたくなってきたの。あのおばさんのおチリ齧っちゃおうかちら」
「あ、いや、地仙ちゃん、あのヨウスコウイルカはエラいんだよ。季節の変化に敏感に対応して春になると必ず現れるので、約束を守るシンボルとされているんだ」
「どうして季節の変化に敏感に対応ちゅるの?」
「それは・・・水温とかタベモノの関係じゃないかなあ・・・」
「タベモノ? 地仙ちゃんも敏感でちゅ。あの赤ンボウのお手テ、おいちちょう・・・」
「あわわ・・・ち、地仙ちゃん、アレ、あんなのもいるよ」
 先生は波間にいるワニを指差します。
「あれはヨウスコウワニだ。大昔から強いドウブツとしてひとびとの崇拝の対象で、竜のモデルのひとつとされているんだ。最近の発見でも、古い墳墓の中から、死んだひとの東側にヨウスコウワニ、西側にトラそっくりの石を並べた図が出てきたんだ。東方の守り神蒼龍と西方の守り神白虎と考えられている。またワニの皮で聖なる太鼓を作ったことも記録にある。ヨウスコウワニのことを「ダ」と言い、①がその字だ。カッコイイだろう」
 地仙ちゃんは強いモノが大スキなので、ヨウスコウワニを夢中で見ています。先生はとりあえずほっとしたのですが、しばらくすると地仙ちゃんが、「ヨウスコウワニ、カッコイイの。どういうモノ食べるとあんなに強そうになれるの?」と質問してきました。
先生がどう答えていいか悩んでいるうちに、
「なんでも食べれば強くなれるのかちら。ニンゲンも食べた方がいいのかちら・・・」とか言い出していますので、先生は大慌てです。
「船が着いた後でニンゲン以外のモノなら何でも食べさせてあげるから、ニンゲン食べるのだけはカンベンしてくれ~」
と約束しなければなりませんでした。

チマキの秘密

「予定どおり行けばまた帰りに会うことになるのじゃなあ」
と船頭さんに送られて、先生と地仙ちゃんは湖の向こう側で少し大きな船に乗り換えました。
地仙ちゃんはお船が大きくなったので、「お船じゃぶじゃぶ~」とうれしそうです。
 先生は湖から長江に乗り出したので揺れが大きくなったからでしょう、船酔いです。
「センセイ~、お顔がどうちて青ざめているの?」
「う、うう・・・。キ、キモチがワルいんだよ・・・これではナニも食べられない」と言っています。
「地仙ちゃんはおナカがスイてきたの。コレでも食べちゃおうかちら」
と言いながら地仙ちゃんは船べりの木製の手すりにガブリとかじりつきまして、ガリガリと食いちぎって、むしゃむしゃ食べています。
「こらこら、そこのオンナのコ、手すりを食うんじゃない、そんなモノおいしいのか~」と船員さんが怒りました。
「うふふ。マズいでちゅ。でもおナカが減っていたので食べたの」
「おナカが減っているのか。それならしかたないね。端午節も近いから長江の神さまに捧げるために持ってきたチマキをひとつあげるので、これでも食ってガマンしなさい」
 船員さんは地仙ちゃんにチマキをくれました。
 包んであるササを開きますと、あんこ入りのおモチが出てきます。地仙ちゃんは、
「このクイモノはぶにょーんと延びるの。ナットウなの」と言いながらむしゃむしゃ食います。延びるモノは皆ナットウと考えているようです。
「うう・・・、ぐひー・・・、延びるのはモチゴメで作ったおモチだからだよ・・・。神さまに捧げるクイモノにはモチゴメを使う、という東アジアに共通した文化があり、その文化はナットウを食べる文化と多く重なっているという大問題があるのだけど、ナットウではない・・・。
それはそれとして、チマキは「粽子」と書く。この「粽」(ソウ)の字(①)には別字があって②のようにも書く。もともとチマキは、夏の始まりでムシムシしてくる端午の節句の際(太陽暦では六月上旬になる)、竹の筒にコメを詰めてオウチの葉で包み、色付の糸をかけて水に沈め、水の神さまに捧げるタベモノだったんだ。ちなみに、ニホンでははじめ茅(ちがや)の葉で巻いたので、チマキというようになった。
 この風習については、紀元前三世紀に政治の腐敗を憂えて投身ジサツした屈原というひとのお祭りが始まりで、クイモノが途中でワルい竜に奪われてしまわないようオウチの葉と色糸を付けて水に沈めたのだという伝説がある。屈原さんはともかく、おおむかしにイケニエのひととタベモノを水の神に捧げた古いキオクをとどめているのだろうね。
 ①②について、それぞれの米ヘンは穀物または穀物で作られたクイモノを示している。
①のツクリは先祖の位牌のある家を表す「宗」(マトメるという意味もある)、②のツクリは「足をちぢめる」という意味のソウという字だが、農業の神さまを表すショク・シュンという字(別途解説予定)に近いので、もともとは何かの神さまだろうと推測されている。やはり祭祀に使われたタベモノだということが、字のカタチからもうかがわれるね」
 地仙ちゃんは食べるのに夢中で解説はどうでもいいようです。

 

追い込まれた鬱々庵

追い込まれた鬱々庵
「うう・・・困った」
 先生が書斎から出てきて、おウチの庭で困っています。
「ナニ困っているの? おナカが空いたから?」
 地仙ちゃんが質問すると先生は答えました。
「この地域から引越しするために誰か引き取ってくれるひとがいないか知り合いに手紙を書いたのだが、みんなから「おコトワリだ」という返事が来たんだ。確かにみんな貧乏だから仕方ないけど・・・。あと返事が来ないのは兄弟子の肝冷斎先生だけになってしまった。あまりアテになるひとじゃないからあまりアテにできないんだ・・・うう、地域のひとたちからは早く引越ししろ、と言われているのだけどどうしたらいいのだろう・・・」
「あ、マズいの来まちた」
と地仙ちゃんが先生の後ろに隠れます。陳さんの奥さんがズカズカとやってきたのです。
「鬱々庵センセイ、お引越しの準備は進んでいますザマスこと?」
「げげ・・・い、いや、その、着々と・・・」
「早く出て行かないと法的手段に訴えるザマスよ。あのいまいましい地仙の顔を見なくていい日がくればウチのボクも明るくなるにちがいないザマス」
と言って奥さんは行ってしまいました。
「ち、地仙ちゃんを連れて行くのは不可能なんだけど・・・」
といなくなった後で先生が一人で言い訳をしていますと、
「チン、行っちゃいまちた?」
 地仙ちゃんが床下から出てきました。いつの間にか床下に隠れていたようです。
「とりあえず行っちゃったけど、これは困ったなあ」
「ねーねー」
 地仙ちゃんは何か興味のあることが出てきたみたいです。
「カンレイサイ、てナニ? それもセンセイなの? ヘンなモノ食べたりちゅる?」
「肝冷斎先生のこと? むかし同じ先生に教えを受けた兄弟弟子だ。ヘンなものとは思わないけど、肝冷斎先生も「ソ-スご飯」とか「チャ-ハン・ライス」とかは大好きだな。
 ①が「変」という字。もともとは二本の縒られた「糸」の間に「言」(ハリを刺したハコ)があり、それを下から手で持った棒で打つ、という文字なんだ。「ハリを刺したハコ」には誓いのコトバが入っている。
 「糸」はこれを霊的に守るための飾りらしいが、もしかしたら文字ができる前の記録方法の一つである『結縄』(縄の結び方で意味を伝える方法)の記憶も残っているのかも知れない。
 「変」はそういう「大事な誓い」を棒で打ってコワシてしまって、これまでの約束事を変えてしまう、という意味。フツウでない、という意味で使うけど、「ソ-スご飯」や「チャ-ハン・ライス」はフツウだよ。
 同じ二本の糸と「言」の下に「心」を付けると②「恋」になる。これを『大切な誓いを守るココロ』とかロマンチックに考えては行けないよ。「糸」を「一方に引っ張ること」を指す「攣」(レン)という字と同じで、「ココロが一方に引っ張られること」を意味しているだけだよ」
「やっぱりカンレイサイもヘンなもの食べるセンセイなのね。オモチロそう」
 地仙ちゃんの肝冷斎への興味はさらに強くなってきたようです。

清明節

清明節
 いいお天気なので地仙ちゃんは朝からおウチの外にアチョビに出かけたのですが、そのうち大慌てで帰ってきました。
「センセイ~、この村からコドモがいなくなってちまいまちた~。ドコのおウチもお留守なの。みんな食べられちゃったの? センセイが食べたの?」
 先生は庭先で日向ぼっこをしていました。荷物の片付けは終わっているみたいで、あちこちに出したお手紙の返事を待っているらしく最近は何もしていません。ヒマそうです。
「食べてないよ。今は清明節だから何処のおウチも家族でお墓参りに行っているんだ」
「おハカマイリ? お骨をゴチゴチしに行っている(「フンベツする」の章参照)の?」
「それは大昔の葬法だ。今はそんなことしていないから、家ごとに立派なお墓があって、三月下旬の『清明節』の季節に家族でお弁当とかを持ってお参りに行くんだよ。ちょうど草が青々と育ってくる季節でもあるから、『踏青節』とも言うんだ」
「へー。センセイは行かないの? ご先祖さまみんな食べちゃったからお墓ないの?」
 先生は眉を顰めました。
「わたしは客遇と言って先祖のお墓のある地方(本貫という)から離れて暮らしている身分だから、お参りに行けないだけ。・・・地仙ちゃんは最近クイモノのことばかり言っているね・・・。そうだな、今日はヒマだからお墓のある郊外に行って買い食いしにいこうか。おワカレも近い予定だし・・・」
「カイグイ? 行く行く~」
 郊外の霊園に行くとたくさんひとが出歩いていて、一族ごとにあちこちに敷物を広げて野外宴会を開いています。春の行楽を兼ねて一族の結束を確かめるためのピクニックなわけです。オンナのひとがこの季節の青々とした若草を踏むと豊穣のチカラを身につけられる、とも言われるので、オンナのひとがたくさん来ています。「むかしの良家のオンナのひとはあまり外出の機会がなかったが、『踏青節』の時に外出を許されて、この時出会った若い男女が恋に陥ったりして親とケンカしてジサツする」という筋のおハナシがたくさんありますが、実はむかしの良家のお嬢さんもかなり外出の機会はあったので、あまり同情する必要はないようです。
「お墓という字は「莫」と「土」から成っている。
 ①は「莫」(バク・ボ)という字で、草の中に日が没する姿を現しており、草原放牧を知っていた古代のひとにとっては見慣れた光景だったのだろうね。
 ②の「墓」は土の中の暗い世界を意味するらしい。後に「莫」は「・・・なかれ」という助詞に使われるようになったので、日没を示すためにもう一つ「日」を加えて「暮」という字が作られた。「莫」と「暮」のような関係にある文字を「古今字」といい、漢字の成立過程を探る重要な概念なんだ。
 「莫」を含む文字には他にも、「募」「模」「漠」「貘」「謨」など、いずれもバクゼンとして先が見えない、そのような中で探る、という「莫」の意味を前提としている。
 ちなみに「恋慕う」という意味で使う③の「慕」という字は、もともとは「ハカリゴトをする」「悪企みをする」という意味だったのだよ。何かユカイだね」
 先生は何故ユカイなのでしょうね。
「センセイ、そんなコト言っているウチに日が暮れてちまいまちゅよ。早くカイグイ~」
 地仙ちゃんは早くカイグイの屋台めぐりをしたくてたまらないようです。