カテゴリー別アーカイブ: 政と官

行政-政と官

首相対各省審議会

10日の日経新聞が「義務教育費国庫負担金、地方に移管せず。中教審答申へ、首相の意向拒否」を報道するとともに、詳しく解説していました。12日の特別部会に示す予定の答申案を、事前に報じる形です。記事は次のように書いています。
「小泉純一郎首相は文部科学省に同負担金の削減を指示したばかりで、中教審は官邸の意向を事実上、拒否する格好だ」
「衆院選での圧勝を受けた9月下旬、小泉純一郎首相が文科事務次官らを官邸に呼び、地方案実現を直接指示した。関係者によると、それ以外にも水面下で官邸の強い働きかけが連日のように続いたという」
「中教審答申が負担金維持でまとまっても、政治決着で否定される可能性は高く、その場合、中教審の権威低下は避けられない」
「学識経験者を中心にした審議会を数多く活用する”審議会行政”の典型だった文部科学行政にとって、綱引きの行方は大きな意味を持つ」
何度か解説したように、三位一体改革は日本の政治の進め方(官僚主導)を変えようとするものであり、政治主導でないと進みません。審議会は「官僚の隠れ蓑」といわれるように、官僚の意向によって委員か選ばれ、また官僚が答申案を書きます。そもそも、審議会は各省の機関であり、大臣の部下です。各省の「既得権」の代表です。
首相が改革を進めようとすると、「抵抗勢力」になります。今回の騒ぎで、審議会政治が何であるかが国民によく見えたと思います。この結果、今後、審議会が縮小されると、政治改革につながりますね。

自己改革できない官僚組織、改革は政治の仕事

経済財政諮問会議で、9月27日から今後の課題として「構造改革の加速に向けて-既得権益を打破し、小さな政府の実現を-」が始まっています。ここで議論されているテーマは重要で、すでに新聞報道されています。私が興味を持ったのは、政と官のあり方についての、次のようなやりとりです。
(小泉議長) 政府の規模については、はっきり定義をしないと戸惑う。「10年以内に半減を目指す」というが、何を半分にするのか、人を半分にするのか、額を半分にするのかわからない。全部半分にできるわけないのだから。これで言えば、仕事を減らしていく。各役所もしなくてもいいことはそれぞれ知っているだろうから、その点は役所ごとに見直す必要があると思う・・・。
(麻生議員)総理、三位一体の補助金削減というのは(各省に指示したが各省から削減案は)結果的に出てこなかった。各役所に頼んでも一切出なかったわけだから、この仕事はいらぬという役人は、自分の役所に関しては絶対にいないと思う。
だから、公務員制度改革諮問会議とか別のものを作り上げないといけない。この改革は、正直申し上げてものすごく大きな改革である。総理を先頭にしてきちんとやることをやらないと、各役所に出せと幾ら大臣が言ったって、役所はいかにできないかという理由を延々と言うだけである・・・。
悲しいですが、その通りですね。

政と官

大臣や副大臣・大臣政務官が任命されると、官房長官から「国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範」(平成13年1月6日、閣議決定)「政・官の在り方」(平成14年7月16日、閣僚懇談会申合せ)などが渡されます。もっとも、「政・官の在り方」の方は、次のようなことが書かれていて、公務員の規範でもあります。
「「政」は、行政が公正かつ中立的に行われるよう国民を代表する立法権者として監視責任を果たし、また、国務大臣、副大臣、大臣政務官として行政を担う。「官」は、国民全体の奉仕者として中立性、専門性を踏まえて法令に基づき、主に政策の実施、個別の行政執行にあたる。
政策の決定は、「政」が責任をもって行い、「官」は、職務遂行上把握した国民のニーズを踏まえ、「政」に対し、政策の基礎データや情報の提供、複数の選択肢の提示等、政策の立案・決定を補佐する。」
政と官のあり方を定めた法令はないと思いますし、教科書にも載っていないので、たぶんこれが唯一の指針なのでしょう。その割には、存在自体があまり知られていません。ほとんどの公務員や新聞記者も、知らないのではないでしょうか。「大臣等規範」については、「省庁改革の現場から」に書いておきました。「政・官の在り方」は、その執筆後に出たものなので書いてません。

政と官2

6日の読売新聞「論談」で、飯尾潤政策研究大学院教授が、郵政法案の衆議院通過について、「自民内手続き見直しの時」を書いておられました。
「選挙公約の重視については、たとえ政権公約における表現が曖昧なものでったとしても、民主政治という点では大きな進歩であった」
「国会提出後の修正については、国会審議をふまえる意味でも、意味のあることである」「しかし法案提出時まで、自民党内の根本的な対立が解消できなかったのは、問題だった。小泉首相が郵政民営化を掲げて総裁になってから久しい。本来なら毎年開かれる党大会で、この問題が徹底的に論議され、大きな方向性について結論を得ておくべきであった。総選挙の政権公約も、それをふまえるべきであった」
「このように、自民党内手続きの変化は、過渡期の混乱の域を出ない」(7月7日)
(政治主導)
読売新聞政治部「自民党を壊した男-小泉政権1500日の真実」(2005年6月、新潮社)は、新聞に連載された「政治の現場」をまとめたものです。近年の政治の変化を取り上げていますが、私の問題関心である「政治主導」という点からは、「第4章新政策決定」の中の「経済財政諮問会議」「三位一体改革」、「エピローグ」の「知事会」が参考になります。(7月31日)
(官僚の政治任用)
29日の毎日新聞「闘論」で、官僚の政治任用について、松井孝治参議院議員と舛添要一参議院議員が主張を述べておられました。私は、お二人とは少し違った考えを持っています。いずれ詳しく述べたいと思います。その準備は、一橋大学の講義などで進めているのですが。(8月29日)
16日の読売新聞「論点」には、増田寛也岩手県知事が「小泉改革の行方、分権国家へ官僚主導打破」を書いておられました。
「郵政にとどまらず社会保障、財政再建、外交、国と地方のあり方を問う分権改革など、課題は目白押しだ。今回の国民の選択には、これらの改革の推進に向けた期待も込められていたはずである。」
「そこで注文がある。各省が好き勝手に振る舞ったり、もっぱら省益を追求したりしてバラバラに動く内閣運営は直ちにやめてほしいということである」「日本の内閣制度はこれまで、各省の事務は担当大臣が分担管理するという『分担管理の原則』の名の下に、首相の行政権の行使は実質的に制限され、各省主導型、省庁縦割り型になっていた。霞が関の官僚組織は、それぞれ業界団体や族議員と一体化した。これがすべての改革推進のネックとなってきた」
「『三位一体改革』では、昨年末の取りまとめの場面で、首相の指示などお構いなしに、各省と族議員が一緒に権益確保に走るドタバタ劇が繰り広げられた・・・」 続きは本文をお読み下さい。(9月16日)
日経新聞は22日から「官を開く 第1部それでも変わらない」の連載を始めました。第1回は「公益=官への固執」「民と分担、欧米に遅れ」でした。イギリスの会社にとって日本は「閉じた官僚王国」と映る。
「公立病院なども一括委託でなはなく、給食だけ、医療機器の整備ならと小出しにするだけで事業全体を考えていない」「『日本人は公と官を混同している』とオリックス会長の宮内義彦は語る」
財務省所管の独立行政法人が「生態系の回復を調査する事業は、民間にはノウハウがない」=よって官が行うと主張していることが紹介されています。市場化テストを、現在それで飯を食っている当事者に聞いても、反対の声が返ってくるのは当たり前ですわな。「私の仕事は不要です」という勇気ある人はいないでしょう。(9月22日)
22日の日経新聞「経済教室」では、佐々木毅学習院大学教授が「新政権に求める」「公約実現への体制整備急げ、官僚への丸投げを回避』を書いておられました。
「与党の体制整備と並行して、政権公約の実施主体である内閣もこれと共通の基盤の上に組織されなければならない。内閣を基点にして政権公約の具体的な内容を行政にも浸透させること、政権公約の解釈権を内閣がはっきりと掌握し、その実施を執拗に促すこと、これが必要な条件である」「どんなに議席数が多くても、公約実現に向けた体制が整備されなければ、その数の威力はほとんど意味を持たないと考えるべきであろう」

全会一致の政治

28日に、自民党総務会で、郵政民営化法案の修正案が、「多数決」で了承されました。29日の各紙が大きく伝えています。問題となっているのは、修正の中身より手続きです。
「総務会は、法案への賛否などを決める事実上の最高意志決定機関で、党則では多数決で決定することを明記している。しかし、過去に適用例はない」(読売新聞)、「これまでは、賛否両論があってまとまらない場合は、反対の総務が欠席や途中退席する形で慣例を守り、党所属の全国会議員の投票行動を縛る党議拘束の有効性を保ってきた」(日経新聞)とのことです。それを、政治学から解説しましょう。
1 民主主義は多数決
ある議員が話していました、「民主主義とは多数決である。これまで全会一致であった方がおかしい」。そうですね。議論を尽くして全員が納得するようにすることは必要ですが、議論しても一致しない場合は、最後は多数決で物事を決めます。それは、自民党内だけでなく、国会がそういう仕組みです。実際は、反対派が退席していたことも、立派な多数決ですよね。
2 全員一致ができたわけ
「これまでは派閥の領袖を説得すれば党内がまとまったが、派閥の結束力の低下で、多数決はやむなし」(読売新聞)との解説もありますが、それは副次的なものだと思います。
基本的には、「全員一致の政策しか実施しない」ことを、続けてきたからではないでしょうか。単純に言えば、右肩上がりの時代にその財源を配分すること、その他の困難な課題は先送りする、ということができたからでしょう。
痛みを伴う改革の場合は、反対派がいるでしょう。それを「全会一致」とすれば、改革は進みません。
総務会長が「今後の前例になるだろう」と、発言しておられます。そうでしょう。もっとも、党則には「出席者の過半数で決し」と書かれているので、原則に戻っただけとも言えます。
3 内閣と与党の関係
「自民、首相出番作らず」(毎日新聞)、「首相、中身より成立。改革イメージに陰りも」(産経新聞)という解説もありました。与党の党首が首相に選ばれる議院内閣制でありながら、日本の場合は「内閣と党の二重権力構造」になっています。これについては、「省庁改革の現場から」p198に書きました。今回も、それを考えさせる事例でした。
三位一体改革の場合は、「続・進む三位一体改革」p143に「与党との関係」で解説しました。また、首相の出番と改革イメージについては、同じくp159の注91、注93を見てください。(6月29日)
30日読売新聞吉田和真記者は、今回の法案の与党修正について、次のような指摘をしていました。
「内容の評価はともかく、立法過程のあり方として、修正合意は前向きにとらえることができる。政府が提出した法案について、国会審議を通じて問題点が指摘され、それを踏まえて政府・与党が協議、決着させたものといえるからだ」「従来、政府の法案は、与党の事前審査制の慣行により、政府・与党間で綿密に調整され、与党が了承した上で国会に提出されている。この時点で、与党は採決時の党議拘束もかける。したがって、提出後、与党は原案通りの成立を目指すことになり、国会審議の形骸化につながっている」