カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第162回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第162回「政府の役割の再定義ーなぜ官僚は新しい仕事に取り組まないのか」が、発行されました。

「官僚の失敗」と呼ばれる問題を議論しています。その本質は、新しい課題への対応が遅れていることと、それまでの政策の転換がうまくできていないことでした。今回は、官僚や公務員が新しい仕事に取り組まない理由を整理しました。それには次のようなものがあります。
・日本の官僚の変質=明治期の官僚や終戦直後から経済発展期の官僚は、進取の気風を持っていました。それがいつの間にか、現状維持派に変質しました。
・行政機構の持つ性質=行政機構に限らず、組織には考え方を固定化する仕組みが埋め込まれています。
・外部要因=企業と異なり、新しい事業に問題が生じると、報道機関や国民からきつい批判を受けます。
・余裕がない=予算や人員面で余裕がありません。
・組織の風土=以上のような行政機構の性質や外部要因が、役所の気風をつくります。
・職員の志向=事なかれ主義と前例踏襲主義は公務員批判の定番です。

連載「公共を創る」第161回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第161回「改革は「できるもの」─私の経験」が、発行されました。

前回まで、官僚の失敗事例を取り上げ、そこには新しい課題への対応が遅れていることと、それまでの政策の転換うまくできていないことを指摘しました。
私は若い頃から、おかしいと感じた仕事の仕方や内容を、おかしいと指摘するだけでなく、どうしたら変えることができるかを考えてきました。官僚の多くは、私と同じことを考えているでしょう。とはいえ、そう簡単に変えることはできません。

今回は、私がやってみた「改革」をいくつか紹介します。
それぞれに難しいことでしたが、関係者の理解や社会の動きが、背中を押してくれました。すべてうまくいったわけではありませんが、「やってみたら、できた」こともあるのです。

連載「公共を創る」第160回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第160回「政策の失敗、政策転換の遅れ」が、発行されました。

前回は、官僚の政策執行と事務処理における大きな失敗事例を取り上げて、説明しました。問題を起こした組織は、何らかの見直しが行われます。組織の廃止、改組などです。業界の振興と規制が分離されることもあります。
大きな失敗をした組織は取りつぶされることもあるのですが、それが責任の所在とその後の償いを曖昧にする危険もあります。私はこれを「お取りつぶしのパラドックス」と呼んでいます。「事故を起こした責任と償い」「責任を取る方法2

このほかに、長期的な評価で見えてくる「政策の失敗」もあります。農業振興に力を入れてきましたが、食糧自給率は低下し、農業従事者は激減しています。教育に力を入れてきましたが、子どもたちは学校が楽しくないと言い、大学はレジャーランドと揶揄されています。道路整備に巨額の予算を投入していますが、鉄道やバス路線が廃止され、車を持っていない人にとっては不便になっています。

これらに共通するのは、当初は高く評価されていたのに、その後に批判の対象となってしまったことです。政策の転換がうまくいっていないのです。目標設定が間違っていると、公務員がいくら一生懸命仕事をしても、国民からの評価は上がらず、職員の意欲も低下します。

連載「公共を創る」第159回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第159回「官僚の失敗─官僚機構の機能不全」が、発行されました。

前回まで、官僚を巡る問題の概要や背景を説明してきました。次に、「官僚の失敗」といわれるものを分析します。官僚批判にはいろいろなものがありますが、大きく分けると3つに分類できます。
決裁文書改ざんなどは、仕事ぶりが適正かどうかという問題です。セクハラなどは、人としての立ち居振る舞いの問題です。そして3つめが、官僚機構の機能不全です。

官僚組織の失敗例として、原発事故、公害、薬害事件、不良債権処理、年金記録問題、統計偽装を取り上げました。
若い人は、話に聞いたことはあっても、詳しくは知らないでしょうね。その時々は大きな話題になっても、それらをきちんと記録し分析した本がないのです。しかし、失敗に学ぶことは重要です。関係者は話したくないでしょうから、誰がどのようにして分析し、記録として残すかです。

連載「公共を創る」第158回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第158回「官僚の役割─行政改革の影響」が、発行されました。
前回から、「官僚の役割の再定義」に入っています。社会の変化と行政の役割の変化に従って、官僚の役割も変えなければなりません。それに遅れていることが、官僚への評価の低下や若手職員の不満を生み、さらには社会の停滞を招いています。

最初に、1980年代から行われた行政改革の影響を述べます。これらの行革は、財政再建や小さな政府を目指しただけでなく、行政の役割を見直すことまで広がりました。そしていくつかの分野を除いて、官僚たちは抵抗することなく、むしろ積極的に参画しました。

しかし、いくつかの点で、問題も生じています。例えば文書の扱いです。かつては、決裁を経た文書を「公文書」と扱っていましたが、その後、職務上作成した文書は「行政文書」として扱われることになりました。今年春の国会審議で、行政文書の正確性が争われることが起きました。行政文書はかつての公文書と異なり、正確さは担保できません。それを問われても、困るのです。
また、予算と人員の削減は、官僚たちの新しい政策に取り組む意欲を削ぐことになりました。

そして一番の問題は、政治主導への適応です。政治主導は望ましいことなのですが、あまりに多くのことを首相と官邸が抱え込み、各大臣や各省官僚との役割分担ができていないように見えます。
さらに、政治主導と言われながら、法案や予算案の了解を取るために官僚が国会議員に説明に行き、国会審議の際には遅くまで待機をさせられます。野党の公開勉強会で、厳しい追及に会うこともあります。政策を考え実行するという本来の業務に、十分な労力を割けないのです。