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社会

外国に対する日本の売り

講談社のPR誌『本』2013年12月号、高木徹さんの「国際メディア情報戦」「日本のハンディと資産」から。
ブエノスアイレスで開かれたIOC総会の場で、2020年の東京オリンピック開催を勝ち取りました。日本のプレゼンテーションの中で、IOC委員や海外のメディアにとって、最も印象に残ったエピソードは何かです。
・・私は「オモテナシ」ではないと考えている。それは、その後に語られた「東京では、現金を落としてもかえってくる」という話、それも1年で3千万ドル以上と具体的に強調したことだったのではないだろうか。
これは、あの場にいた日本人以外の人々にとって、驚天動地のことだったに違いない。私も世界のさまざまな国で取材し番組を作ってきたが、そんな国はどこにもない。特に日本ほどの経済規模を持つ大国では考えられないことだ。日本社会が他国と比較して飛び抜けて安全で平和なことは、いまや数少なくなった日本の「売り」の最大のポイントの一つだ・・
ただし、高木さんは、日本のハンディについても書いておられます。

東京オリンピックの持つ意味、もたせる意味、3

あえて切り口を際出たせれば、次のようになります。
競技施設といったハードだけでなく、ソフト。一回きりのイベントでなく継続的なもの。スポーツ競技という肉体だけでなく、知的なもの。競技だけでなく、日本社会。
尾田栄章・元建設省河川局長は、オリンピックを機会に世界の英知を集め、世界の主要な関心事について、解決策を探る国際会議を始められないか。「英知の五輪」を提唱しておられます(読売新聞2013年10月10日、論点)。
スポーツ競技の大会であるオリンピックに、あまりたくさんのことを期待してもいけませんね。なお、オリンピックには、「文化プログラム」もあります。ロンドンの例
前回の東京オリンピックは、戦後復興を成し遂げ、世界の一流国へ仲間入りした成人式でした。でも、東京オリンピックが、それら経済的社会的意義を成し遂げたのではありません。しかし、そのシンボルになったのです。日本人の多くがそう考え、世界の人がそう見たのです。
次回2020年の東京オリンピックを機会に、日本社会の目指すべき姿と、世界の中の日本を考えてみたいのです。
50年前の先輩やご先祖様に「半世紀経って、日本はこうなりましたよ」と報告する。そして50年後の後輩や子孫に「私たちは、こんな日本を残したんだよ」と言えるように。

東京オリンピックの持つ意味、もたせる意味、2

2020年の東京オリンピックで、誰に、何を見てもらうか。
外国から、たくさんの観光客やメディアが、訪れます。彼らに見てもらうところ、彼らに見せたいところ。そしてそれを機会に、私たち日本人が再認識する「日本の良いところと、伸ばすべきところ」です。
そうしてみると、前回が成人式でしたが、次回は半世紀経ってさらに発展し、成熟した日本社会でしょう。
高度経済成長が終わってから半世紀経っても、そしてオイルショックやリーマンショックを経ても、世界のトップグループを進む経済力。その豊かさと活力が、まずあります。
それだけでなく、清潔、きれい、安全、親切、落ち着きといった社会の姿。これは、なかなか他の国は、まねできません。日本食や日本の生活様式。クールジャパンで売り出している、アニメや若者文化。
世界一の高齢国であって、豊かさと安定を続ける姿。これら日本の良い点を、どのように見てもらいましょうか。
施設やモノでないだけに、見せ方は難しいですね。旅館やレストランでのおもてなしは、見せることができます。
すると他方で、これら正の面の影にある、負の面の克服が必要になります。
広がる家庭間の経済格差、3分の1を超える非正規雇用、引きこもりなど社会の絆から離れた若者など。
これら負の面を克服して、平等で豊かな成熟社会を目指すきっかけにしたいです。

東京オリンピックの持つ意味、もたせる意味

2020年の東京オリンピックについて、考えました。スポーツ競技としてではなく、この世界的イベントが持つ社会的な意味についてです。
近年のオリンピック開催の意義は、大きく2つに分けられると思います。
1つは、経済成長に成功し、先進国の仲間入りをする「成人式」です。1964年の東京(日本)、1988年のソウル(韓国)、2008年の北京(中国)です。
オリンピックは都市が開催する建前ですが、今上げた大会は国家が威信をかけて行いました。国民と諸外国に向けてです。国家が、オリンピックをそのような場として利用するのです。
1936年のベルリン、1980年のモスクワ、2016年のリオデジャネイロも、これに分類できるでしょう。
もう一つは、それ以外の大会です。第1のグループとの対比では、その国にとって2回目の開催であることや、首都でない場合が、典型的になります。もちろん、実際には、そんなきれいに分類されませんが。
なぜ、このような分類をするかと言えば、2回目の東京オリンピックをどのように位置づけるかを考える「補助線」としてです。
第1回目の東京オリンピックは、今述べたように、位置づけが簡単明瞭でした。では、第2回目はどう位置づけるか。
これが、東京以外の都市だったら、位置づけはより簡単でした。「日本には、東京以外にもオリンピックを開催できる都市があります。世界の皆さん、見てください」とです。第1回目から半世紀後の東京で、何を見せるか。何を見てもらうか。
「単なるスポーツの祭典だ」と割り切ってしまえば、それまでですが。せっかくの機会ですから、それなりの意味をもたせたいですよね。立派な競技施設や華やかな開会式を、自慢するのではないと思います。施設やイベントでなく、世界に見せ、後世に残すものです。

大学改革、中根千枝先生の発言

11月7日の日経新聞教育面、中根千枝・東大名誉教授のインタビューから。
「経済・社会の停滞を打破するために、大学改革を求める声が強まっています」との問に対して。
・・みんな、教育を改革すれば良くなるという夢を持っている。しかし大学制度を変えても、社会のあり方も、人々の意識も容易に変わるものではないから、変えて良くなることもあれば、前の方が良かったということにもなる。
改革案には学長の権限強化についてもあるようだが、大学の学長はふさわしい人がなるとは限らない。学長は努力されているが、管理のトップに向いていないこともある。日本では教授会の権限が強いことも簡単には変わらないとみられ、改革案に期待してもどれほど成功するか・・
記事には、男性中心だった大学で、女性の地位が向上した数字も載っています。大学生に占める女性の割合は、1955年には12%でしたが、今は42%です。大学教員(本務教員)に占める女性教員の比率も、5%から21%に上がっています。ただ、まだ21%です。