カテゴリーアーカイブ:社会と政治

日本はどこへ行くのか・その6

2010年3月7日   岡本全勝
日本の国民とリーダーが克服しなければならない課題に、もう一つのものがあります。それは、現代社会の不安です。これは日本に特有の課題ではなく、現代の世界の先進国に共通の課題です。
現代社会の不満と不安は、豊かになったことで生まれてきました。豊かになったことで見えてきた不安であり、課題です。貧困が人類の最大の敵だった時代は、貧困との闘いがその他の課題を隠しました。しかし、豊かになったことで、経済成長は幸せのすべてではなくなりました。
近代とは、産業・科学技術・経済が進めば幸せになるという思想の時代でした。そして、イエ(血縁共同体)、ムラ(地域共同体)、身分といった「前近代」の束縛から、解放され自由になることでした。さらに進むと、疑似家族であるカイシャ(会社、職場)から自由になることでした。
それは、家族、親族、地域共同体、会社などの絆を希薄にしました。そこに見えてきたのは、不安な個人です。束縛や伝統は不自由ですが安心をもたらします。自由は個人の才能を発揮させますが、不安をもたらします。近代が進むにつれて、近代はバラ色ではなくなったのです。
これをどのように、克服するか。近代・現代社会が、私たちに突き付けている大きな課題です。
2 政府とリーダーの役割=痛みの明示と負担の配分
このように、戦わなければならない大きな課題は、「日本人の思考形態」と「近代社会の不安」の2つです。もちろんその他にいろいろな課題がありますが、その基底にはこの二つがあるのです。
そこで、政府とリーダーは、何をしなければならないか。まずは、痛みを国民に理解してもらうことです。
今までの政治は、右肩上がりの経済社会を背景に、利益を配分することでした。さらに、低成長になってからは、負担を先送りしています。しかし、今のままでは、財政と年金は破綻します。世代間の大きな不公平を、生み続けています。高度成長期の思考から、抜け切れていません。
これまでは所得再分配と言っても、既存所得を取り上げるのではなく、増分から拠出してもらいました。それを、貧しい人に配りました。痛みは少なかったのです。しかしこれからは、増分が大きくないと、既存所得から拠出してもらうことになります。不利益の配分なのです。
そして、その他の改革にも、痛みが伴います。多くの社会集団は、これまでの仕組みの中で存在し、利益を上げてきました。利益を失う改革には、反対します。
二回の転換期には、不利益を被った人たちも、たくさんいました。明治維新に際しては、武士階級は一夜にして失業しました。人口にして、6~7%もの人と家族です。新しい商工業が入ってきて、商人や職人のなかに、仕事を失った人も出ました。戦後改革の際には、軍人は失業し、地主や富裕層は財産を失いました。それを、国民に納得してもらわなければなりません。
戦後半世紀、日本は大成功したが故に、このような不利益の配分や改革の痛みを知らずにすみました。政治は、痛みと負担を国民に示したことがないのです。
開国による痛みには、このほか国際貢献の負担、一国平和主義から脱却するに際しての痛みもあります。
抜本的改革を唱える人が多いですが、その際には不利益を被る人がいること、負担を求められることを、説明してもらう必要があります。そしてリーダーには、その国民の不満を回収・吸収することが求められます。
国民の多くは、これまでの成功体験を捨てることは、できません。
最近の記事に、日本が中国に追い抜かれることを、取り上げた記事が目につきます。それは、日本がこの150年の間に、追い抜くことはあっても、新興国に追い抜かれることはなかったからです。日本特殊論、日本異質論は、それによって日本が成功したという説であっても、だから日本はダメなのだという説であっても、心理は同じです。「日本人は優秀であり、世界に認めて欲しい」ということでしょう。その自負を持ちつつ、新たな展開が必要です。(この項続く)

数字にできるもの、できないもの

2010年3月4日   岡本全勝
例によって、放ってあった本を、布団の中で読みました。坂上孝ほか著「はかる科学」(2007年、中公新書)です。この本にも紹介されていますが、クロスビー著「数量化革命-ヨーロッパ覇権をもたらした世界観の誕生」(2003年、紀伊國屋書店)を読んだ時は、目を開かれた思いをしました。ヨーロッパが世界に先駆けて「進化」したのは、時間(時計と暦)、空間(地図、海図と天文学)を数量化し、さらには音楽(楽譜)や簿記といったものを発明したことに起因すると述べていました。時間、距離、重さ、量などを、数字化したのです。その他、温度や明るさ、早さ、地震の大きさ、血圧に尿酸値など、科学技術はたくさんのものを、測るようになりました。
一方、測ることができないものも、たくさんあります。そして、表現しにくい、伝えにくいものも。
感情は、測ることも、伝えることも難しいです。悲しさ、うれしさは、「死ぬほど」とか「飛び上がるほど」と言いますが、その程度は本人しかわかりません。いくら同情されても。「あなたなんかにわからない」です。と言いつつ、時間が経つと、本人もその程度を忘れてしまいます。「死ぬまで忘れない」という恨みもありますが。
モノの価値はお金で計るようになりましたが、喜びや満足は、なかなかお金では測ることはできません。「金に換えられない」という言葉があります。「人の値打ちは金で計れない」とか、「かけがえのない命」も。
奥さんの優しさなども、数字で表せないですよね。「1キョーコ」「2キョーコ」といった単位があれば便利ですが。「私がこんなに愛しているのに・・」と言われてもね。夫の愛情を、指輪のダイヤモンドの大きさで測る女性もいるようですが。
音の高低や長さは数量化されましたが、メロディの心地よさは数量化されていません。人によって好みが違います。絵画もそうです。フィギュアスケートは、採点します。しかし、美しさを直接測ることはできないので、いくつかの採点基準を決めて測ります。
肌の痛みは、ある程度、各人に共通です。注射針の痛みは、たぶん共通でしょう。でも、「1注射」あるいは「3痛み」なんていう単位は、まだないのでしょうね。
客観的で、みんなが「触ることができる」ものでも、数量化できていないものもあります。匂いが代表でしょう。ワインも、フルーティだとか干し草のようなとか、比喩でしか表現されません。日本酒の「辛さ」は数量化されましたが、おいしさそのものは数量化されていません。ビールののどごしも。肌触りも、伝えにくい、数量化できないものでしょう。暖かい毛布の肌触り、冷たい金属の表面、ぱりっと乾いたタオル・・。

日本はどこへ行くのか・その5

2010年3月2日   岡本全勝
リーダーには、目標(戦うべき敵)を示すことと、その道筋を示すこと、そして国民に納得させることが期待されると述べました。
どのような国と社会をつくるのか。キャッチアップ型発展に成功したので、もはや「欧米」といった便利なお手本はありません。目標にしろ、道筋にしろ、いろんな課題に取り組み、成功と失敗を繰り返しながら見いだすしかありません。具体的には、これからの試行錯誤の過程を経て、見えてくるのでしょう。しかし、基本的にしなければならないことは、見えています。それは、次のようなものです。
1 まず、リーダーと国民は、何と戦わなければならないか。すなわち、克服しなければならないことは何かです。
実は、目標を示すことより、戦うべき敵を示すことの方が重要です。なぜなら、日本を成功に導き、そして停滞をもたらした要素は、日本人の思考形態であり、日本社会の構造だからです。これは、これまでの「国際環境」と「国民」で書きました。敵は内にあるのです。「坂の上の雲」でなく、我が内なる病巣です。
しかし、自らの欠点を認め改革することは、困難なことです。しかもその要因が、かつての成功をもたらしたのです。関係者は、それを否定されることを拒否します。その仕組みに依存している既得権益者も多いのです。
戦わなければならない日本人の思考形態、日本社会の構造の一つは、繰り返しになりますが、「キャッチアップ型思考からの脱却」です。
日本は多くの面で、世界最先端の国になりました。日本がトップランナーになったのです。すると、先駆者として、新しい課題に最初に直面するのです。例えば、日本は世界一の長寿国です。そこで、どのようにして、高齢社会を活力あるものにするのは、日本が実験するのです。お手本はありません。
この点について、小宮山宏元東大総長が、「課題先進国日本」と言っておられます。「課題先進国日本―キャッチアップからフロントランナーへ」(2007年、中央公論新社)。
そして、お手本を見て追いかけることに比べて、試行錯誤は効率が悪いです。それに、私たち日本人は慣れていません。
また、その際に重要なのは、課題を設定することです。これまでは、課題は与えられました。その試験問題に、より良い答案を書くことでした。これからは、何が重要な課題かを判定しなければなりません。受験秀才ではダメなのです。
もう一つ戦わなければならないことは、「内向きの満足からの脱却」=「第3の開国」です。
この20年の日本の停滞は、日本のガラパゴス化によるものだと、何度もこのホームページで書きました。世界最先端の技術や経済を達成したことに満足しました。しかし、グローバル化が進んだ世界では、内向きに安定する考えでは、世界から取り残され、衰退します。活力を持つために、世界で引き続き挑戦し、競争する必要があります。
また、国際社会の秩序づくりやルールづくりに、貢献することも必要です。他国が作ったルールで勝負するようでは、その時点で、後れをとっています。先に述べた「何が重要な課題かを判定する」ことが、ここにつながります。(この項続く)

日本はどこへ行くのか・その4

2010年3月1日   岡本全勝
しばらく放ってあった「日本はどこへ行くのか」の続きです。今回は、要因の3「リーダー」です。
私は、社会を発展させるのは国民の活動であって、リーダーではない、と書きました。例えば、キャッチアップ型発展を選んだ後、高度成長の成功は、リーダーの判断によるというよりは、国民の働きによるところが大きいでしょう。
しかし、いま、第3の転換点を迎え、リーダーの役割が重要になっています。なぜ、矛盾したようなことを言うのか。それは、国民が進むべき道を悩んでいる、これまでの道では解決しないからです。そこで、リーダーの出番が出てきました。
リーダーの判断には、二つの次元のものがあると思います。日々の判断と、大きな変革期のものと。いま問われているのは、後者のものであり「進むべき道を示すこと」です。
近代日本の3つの転換点とは、よく言われるように、明治維新と戦後改革と、今回です。3つの成功の後に来た、停滞と危機です。最初は、徳川幕府による平和と安定の後に来た、列強からの遅れと植民地化の危機。これを、開国と明治維新で、転換に成功しました。次は、明治国家の成功の後の来た敗戦です。これを、民主化と開発型成長に転換しました。そして、いま、高度経済成長の成功の後に来た停滞に悩み、次の転換を模索しています。
国民に対し、進むべき道を指し示すのがリーダーだとすれば、現時点でのリーダーには、次のようなことが期待されます。一つは目標を示すことです。裏から言えば、戦うべき敵を示すことです。もう一つは、その目標を達成するための道筋です。そしてそれを国民に納得させることでしょう。
国民は、エネルギーを持っています。それを引き出し、ある方向に導く。明治維新の時も、戦後改革の時も、国民は自信を失いどう進んだらよいか、大いに悩みました。議論は別れ、路線対立も激しかったです。それを統一する過程が、リーダーの力量なのでしょう。大久保利通と吉田茂を、代表にしておきます。
明治国家の成功を、司馬遼太郎さんは「坂の上の雲」という小説にしました。そこでは、雲が一つでした。そして上る坂道も。もし国民が、一人ずつ違った雲を目指して、別々の山を登ったら、国家としては、これほどまでに成功しなかったでしょう。
目標を示し、道筋を示す。そして、国民のエネルギーを導くこと。過度に自信を失っている国民に、自信を取り戻させること。これが、転換期のリーダーの仕事です。

ガラパゴス化する日本

2010年2月28日   岡本全勝
吉川尚宏著「ガラパゴス化する日本」(2010年、講談社現代新書)を読みました。
吉川さんも、日本の失われた20年の原因はガラパゴス化にあると、述べておられます。そして、日本製品のガラパゴス化、日本という国のガラパゴス化、日本人のガラパゴス化の3つを、分析しておられます。
ガラパゴス化という言葉は、携帯電話から始まりました。それは、工業製品にとどまらず、医療、大学といったサービスもガラパゴス化しています。
本では、脱ガラパゴス化した例を、いくつか紹介しておられます。ヤクルトレディや公文式(算数塾)といったサービス業が、国外で大きく成功していることは、初めて知りました。
なぜ、日本でガラパゴス化が起こったか。私は、次のように考えています。モノが国際化しているだけでは、ガラパゴス化は起こりませんでした。昔から日本は、石油を輸入し、製品を輸出していたのです。先進国に追いつこうとしていた時代は、欧米の製品を目標に、欧米で売れる製品を作りました。
ところが、日本が世界に追いつき追い抜いた時、世界最先端の技術と、1億人のマーケットという条件が、国内での満足を生み、皮肉なことに日本をガラパゴス化させました。
しかし、それだけでは、日本は取り残されません。1990年代以降、アジアや東欧の国々が国際経済に参入して、日本のもの作りの優位性は失われました。合わせて、モノの国際化にとどまらず、サービス、カネ、ヒト、規準などの国際化が進みました。
日本の特殊に優れたモノとサービスは、置いてきぼりを食らいます。新しく広がる新興国のマーケットに、食い込めません。一方で、日本の市場は飽和し、人口は減少しつつあるのです。
世界で競争せず、国内で満足する。これが、日本のガラパゴス化が生む、経済社会の停滞です。