カテゴリーアーカイブ:社会と政治

生命倫理をどう議論するか。政治と生命倫理

2014年4月29日   岡本全勝

尾関章著『科学をいまどう語るかー啓蒙から批評へ』(新聞報道を自己検証する。4月26日)には、次のような指摘もあります。
遺伝子など医療や生殖の倫理をめぐる問題についてです(p109、p175)。日本に比べ、欧米では政治家のこの問題に関する感度が高いのです。それは政治家だけの意識でなく、有権者の関心を代弁しているのだろうということです。
アメリカでは、1970年代に連邦議会に置かれた技術評価局(OTA)が、遺伝子鑑定による証拠の問題について指摘しました。また、大統領選挙戦で、医療と生命倫理の問題が大きな争点になります。 フランスでは、1994年に生命倫理法を定めました。そのときのことが、紹介されています。「法案審議の際に、議員一人ひとりが自分の立場で討論した。発言も、主語は「我々」ではなく、「私」がほとんどだった」。
臓器移植の際には、提供者をどの時点で死と認めるか、特に脳死が問題になります。日本でも1990年代初めに、脳死臨調が作られました。これは政府の審議会の一つですが、審議会の答申で生と死の境目が決まるわけではありません。臓器移植法は、1997年に作られました。また、臓器移植の際に、「本人同意」をどう確認するかの問題もあります。これは、子どもについて大きな問題になりました。小さな子どもに臓器移植するには、子どもからの提供でないと、大人の大きな臓器では手術できない場合があります。これについては、2009年の法改正で家族の同意でできるようになりました。この法案の採決の状況を、覚えています。他の法律とは違った雰囲気でした。1つの案の可否でなく、4案が提案され採決されました。
この問題は、医者ではなく、政治に大きな議論を提起しています。先端医療や遺伝子解析は、どこまで利用してい良いか。人体を管理して良いのか。延命治療はどこまで行うべきか。人工中絶はどこまで認めるのか。出生前診断で胎児に大きな異常が発見されたらどうするか。本人が望むことなら、何をしても良いのか。それを、誰がどのように決めるかです。
これらは倫理の問題であって、安全や経済や公平といったこれまで政治や法律が扱ってきた社会問題と違った次元にあります。そして、個人個人の考えが異なり、宗教とも近いです。これまで学校では議論されず、また学問や行政とも「離れた世界」で扱われてきました。極端な言い方ですが、「命の大切さ」「個人の平等」という言葉以上の、踏み込んだ議論はされてこなかったのです。戦後日本においては、政教分離という原則で触らずに来たのですが、臓器移植や遺伝子治療で、避けて通れなくなったのです。
すると、これまで政府や国会で議論してこなかったテーマであり、マスコミでも議論してこなかった分野なので、それをどう扱ったら良いかという「作法」が必要になります。
政府内では、どの省が所管するのかという問題になります。医療は厚生労働省ですが、ここで取り上げているのは「生命倫理」です。また学問としては、何学部の範囲になるのでしょうか。個人の内面には立ち入らないというのが、近代民主主義国家の原則ですが、この問題は内面ではありません。憲法が想定していなかった状況、近代民主主義も想定していなかった問題かもしれません。

大学、社会との関わり方の変遷、2

2014年4月18日   岡本全勝

ところで、自然科学系(理系)では、このように語られる社会との関係ですが、社会科学系(文系)では、どうだったのでしょうか。
まず、政治学、経済学、社会学などで、日本を研究対象にすることで、「輸入業」からの脱皮を進めました。もっとも、西欧の理論や思想を紹介する「輸入業」は、なお続いています。それが一方通行(入超)なら、昔と変わりません。双方向(日本の議論も、国際的な場で一緒に議論する)なら、「国際化」と評価できるでしょう。毎年、外国の専門書がたくさん日本語に翻訳されますが、日本の研究成果はどの程度、外国で知られているのでしょうか。
また、日本の研究者は、国際的な学界でどのような評価を得ているのでしょうか。それとも、そもそも社会科学の世界では、各国で閉じていて、国際的な学界は少ないのでしょうか。
もう一つ、社会との関わりについてです。
先に紹介した文章で、馬場教授は、科学者を社会との関わり方によって次の3つに分類しておられます。
・自然現象を科学的に追求し研究成果を活用することにあまり興味がない「ニールス・ボーア型」
・発明した技術が社会でどう役に立つかに情熱を傾ける「エジソン型」
・その両方を行い、真理を追究しながら社会貢献にも積極的に関与する「パスツール型」
自然科学においてこのような分類があるように、社会科学にあっても、このような分類は意味があると思いました。現在日本が抱えている課題に直接取り組む研究やそれに役立つ研究「実践型研究」と、過去や外国を対象とする「純粋型研究」とに分類するのでしょうか。現在の日本社会を対象としていても、単なる分析にとどまっては、実践型研究にはなりません。
社会との関わり方の一つの事例が、政府や行政との関わり方だと思います。政策にどのように参画するか、提言や審議会委員として発言することも、社会貢献の一例です。
さて、社会科学においては、マックス・ウェーバー(ヴェーバー)が唱えた「価値判断から独立した研究」が、一時もてはやされました。しかし、それでは、社会科学は現実社会の役に立たないのではないでしょうか。
また、これとも関係がありますが、社会科学の多くは、過去の分析に力を用い、未来を語りません。かつて、東京大学出版会のPR誌「UP」2005年6月号で、原島博教授が「理系の人間から見ると、文系の先生は過去の分析が主で、過去から現在を見て、現在で止まっているように見える。未来のことはあまり語らない。一方、工学は、現在の部分は産業界がやっているで、工学部はいつも5年先、10年先の未来を考えていないと成り立たない」といった趣旨を話しておられたことを紹介しました。

大学、社会との関わり方の変遷

2014年4月15日   岡本全勝

東京大学広報誌「淡青」2014年3月号に、馬場靖憲教授が「東大産学連携の歴史と展望」(p15)を書いておられます。
・・日本の大学は、特に東京大学は、欧米の先進技術を吸収して民間へ技術移転するための組織でした。大学は国の発展を支えるエンジンであり、意識するまでもなく産学連携は盛んだったのです。戦時中、国家のために産業界と連携して軍艦や兵器を作ったのは、いわば当然でした。
そうした反省から、戦後は産学連携が下火になります。1960年代には、大学紛争の影響もあり、大学が企業と関わること自体がタブー視され、産学連携は停滞しました。それが、1998年のTLO法(大学等技術移転促進法)策定を機に、再び熱を帯びていまに至るわけです・・
なるほど。社会と研究の関係について、この説明はわかりやすいです。
司馬遼太郎さんは、明治期の帝国大学を「文明の配電盤」と表現しました。後進国の日本が先進国に追いつく際には、帝国大学や官僚の役割は明確でした。しかし、追いついたときに、「輸入総代理店」の役割は小さくなりました。
大学は、教育分野では有為な社会人を育成するという役割を続けつつ、研究分野においては先進国と伍して最先端の研究を行うことになります。自然科学系は、この転換に成功したようです。研究者は、国境を超えて活躍しています。イギリスやアメリカの学会誌に論文を載せ、ノーベル賞などの国際的な賞も得ています。

大震災、変わらない日本社会、変える日本社会。2

2014年3月18日   岡本全勝

4 すると、私たちがすべきことは、「何を変えるか」を考えることです。
その一つは、原発の管理政策や想定外の大災害への備えなど、今回明らかになった欠点や教訓を踏まえた対応です。科学と社会や政治との関係も、見直すべきでしょう。「防災から減災へ」は、その一つです。
また、被災地を元に戻すだけでなく、「課題先進地」ととらえ、新しい地域社会作りに挑戦することです。過疎、人口減少、高齢化、産業空洞化に対して、どのようにして活力ある地域社会を作っていくかです。復興庁では、「新しい東北」という概念で、地元の人たちとそれに取り組んでいます。
その他に、私が期待して試みているのが、「社会を支える官・共・私=行政、NPO、企業のあり方の変化」です。藤沢烈さんのインタビューや拙稿「被災地から見える町とは何か~NPOなどと連携した地域経営へで述べていることです。
この変化は、政府が「指導」したり予算を付けただけでは、実現できません。公共施設や制度資本は行政が作ることができますが、関係資本や文化資本は、行政だけでは作ることができません(拙著『新地方自治入門』p190)。企業(経営者と従業員と株主)、NPO関係者、有識者、そして国民の意識が変化する必要があるのです。それを直接変えることはできませんが、誘導することはできます。関係者で協働しながら、国民を巻き込んでいくのです。良い事例を積み重ね、マスコミがそれを報道してくれることで、国民に認知されます。

5 社会は、「変わるもの」か、「変えるもの」か。
社会学者なら、日本社会の変化を「観察」して、その特徴をまとめれば済みます。しかし、社会の参加者である官僚も国民も、観察だけでは不十分で、「何をどう変えるか」にかかわる必要があります。そして「そのためにどうするか」を考えなければなりません。もちろん、社会は自ら変わるものですが、ある理想像があるのなら、それに向かって変えていくべきです。
私は、既に述べたように、現地の地域社会に関しては「過疎、人口減少、高齢化、産業空洞化地域で、どのようにして活力ある地域社会を作るか」(新しい東北)であり、日本社会の意識に関しては、「公共を支えるのは行政だけではなく、官・共・私=行政・NPOや中間集団・企業の3者であることへの変化」(企業との連携NPOとの連携)と考え、挑戦しています。
また復興行政に関しては、目標を「国土の復旧」だけでなく「暮らしの再建」へ範囲を広げることや、「前例がありません」といった「官僚批判の定番」を克服することも、試みています。
6 大震災を「戦後日本」を終えさせるもの、そして「ポスト戦後」の契機と位置づける考え方もありますが、それについては、別途書きます。

追伸
朝日新聞オピニオン欄3月13日に、塩野七生さんが「東日本大震災3年。これからを問う」で、「あれから3年がたちました。日本は変わったと思いますか」という問に、次のように答えておられます。
・・外から見てきて思うのは、現状への不満や抗議が日本を満たしている感じがすることです。ローマで日本の新聞を見ても悲観的なことばかり載っていて、読むと暗くなる。この3年で変わったか変わっていないかを問題にするよりも、重要なのはこれからどうするかです・・

大震災、変わらない日本社会、変える日本社会

2014年3月17日   岡本全勝

「震災から3年、社会の変化」(藤沢烈論文)の続きです。
これまでもしばしば、「震災で、日本は変わったか」という質問を受けました。この質問をされる方の多くは、「変化を期待していたのに、変わっていない」という認識を基にしておられます。そのようなときに、私は、「どの分野をさして、議論しておられますか?」と、議論の土俵の設定から話を始めます。私の暫定的な答は、次の通りです。
日本社会は、大きくは変わっていません。
1 あれだけの大災害にあって、被災者も国民も、冷静に対応しました。略奪も暴動も、起きませんでした。
これは、他の先進国にも途上国にも見られない、すばらしい社会であり国民性です。このような社会は、変わることなく育てていく必要があります。
2 大震災は大きな被害をもたらしましたが、日本全体から見ると、限られています。3県の人口やGDPは、約5%程度です。避難者の数だと、人口の0.4%です。その他の地域と国民が支援することで、復旧・復興できるのです。
日本国民の大半が大きな被害にあったなら、違った光景が広がっていたかもしれません。
3 (質問者は)「どの点が、どのように変わるべきであった」と、考えておられますか?
もちろん、原発の安全神話は崩れました。科学者に対する信頼や、原発行政を管理していた省庁や東電に対する信用も、崩れました。しかしそれは、日本社会の意識構造全体を変えるまでには至っていません。
第2次大戦で日本が負けたといったような場合とは、異なります。国土の物理的破壊が、社会の意識的変化になるには、それなりの条件が必要です。
そして、日本社会の意識構造全体が変わる際には、政治構造の変化を伴うのでしょう。今回の大震災は、未曾有の大災害でしたが、そこまでは至っていません。国民は、政府に対する不信を募らせましたが、他方で一定の信頼も続いています。(政権交代はありましたが)、日本の政治体制、代議制民主主義、内閣や行政に対して、評価しています。あるいは、これに変わる代案はないと、考えているのでしょう。
「抜本的な改革」は聞こえはよいですが、何をどう変えるか明言しないと、それだけでは内容を伴っていません。それよりは、現体制を前提としつつ、欠点や課題を解決することを、国民は支持しているのだと思います。
この項、さらに続く。