カテゴリーアーカイブ:社会と政治

税金は投資、スウェーデン

2018年8月14日   岡本全勝

8月11日の朝日新聞経済面、伊藤裕香子記者の「社会へ投資、税金に信頼 高負担のスウェーデンを訪ねた」から。
・・・民間調査機関Sifoの官庁ごとの信頼度調査で、国税庁の信頼度指数(2018年)は49だった。政府機関の平均値30を上回る。「信頼される役所」の上位の常連だ。
調査担当のソニア・フォン・ローコフさんは「税金を納めることで社会全体がうまく機能するという安心感が、広く国民の側にあるのでしょう」と話す。
大半の人が所得税を負担し、日本の消費税にあたる付加価値税の税率は25%、食品なども12%で、日本よりはるかに税負担は高い。
一方、教育費や20歳未満の医療費は基本無料で、高齢者への手当や有給の育児休暇なども充実する。

安心感は、本当なのか?
ストックホルム市とその近郊で会った人たちに「税金とは何ですか」と、ひたすら尋ねてみた。応じてくれた43人の半数以上の答えは、「投資」だった。「社会に対する補助」「将来への貯蓄」など表現は違っても、趣旨は同じだ。
大学で事務の仕事をするバレンティンさん(30)は「税金は社会に対する投資です。国や自治体は問題がゼロではないけれど、信頼はある。予算は適切に使うし、使い込みなんて全くないと思う」と話した・・・

・・・人口1012万人のスウェーデンは、総選挙の投票率が毎回80%を超え、政治への信頼も高い。憲法にあたる統治組織法には「公権力はすべての人々の平等な価値と個人の自由及び尊厳を前提として、行使されなければならない」と記されている。この理念を支える原資として、税金がある・・・

税金を「お上に取られるもの」と考えるのか、「社会を機能させる投資」「私たちの生活を支える会費」と捉えるのか。国民の国家や行政に対する見方、信頼度によって異なるのでしょう。政府を「彼ら」と捉え批判するのか、「私たち」と考えて参加するのかという意識の違いも、その基礎にあるでしょう。

敗戦の認識3 経済復興と道義の復興

2018年8月11日   岡本全勝

敗戦の認識の続きです。『日本の長い戦後』を読んで、次のようなことも考えました。

著者は、経済復興とともに、道義的な復興の重要性を論じます(p170~)。
日本は、1952年に独立を回復しました(ただし、沖縄などが日本に復帰したのは、後です)。1956年には「経済白書」が「もはや戦後ではない」と宣言しました。その後の高度経済成長で、世界第2位の経済大国になりました。国際関係では、1956年に国際連合に加盟し、アジア各国とも賠償交渉を行い国交を回復しました。国際社会に復帰したのです。
しかし、1990年代以降に、歴史認識問題がアジアで激しくなりました。「国際的な復興」は終わっていなかったのです。

敗戦からの復興には、国内での経済的復興、国際的な国交回復のほかに、精神的復興や、国内外での道義の復興があるようです。
精神的復興は、落ち込んだ気持ちから立ち直ることです。世界第二位の経済大国になることで、精神的な落ち込みは、埋められたようです。ノーベル賞受賞やスポーツ界での日本選手の活躍なども。これで、自信を取り戻しました。
道義的復興は、個人や会社の失敗に引き直すと、反省してお詫びをして、けじめをつけるということでしょうか。国際政治としては、東京裁判を受け入れることで、けじめをつけました。しかし、戦争主導者を裁くだけでなく、国家国民として、自らにそしてアジアの被害者に、どのように反省をしてけじめをつけたかが問われています。

日本国民は、経済復興に酔いましたが、道義的復興は置き去りにしたようです。
明治以来の「脱亜入欧」は、日本人に目標を与え、またアジアで最初の発展は自尊心をくすぐりました。「非白人国では日本だけ・・」はうれしかったです。
日本だけが経済成長に成功し、アジア各国が経済成長をしていない段階(1980年代まで)では、アジア各国と「友達」になることは難しかったでしょう。アジア各国が経済成長を開始し、日本と同等あるいは日本を追い抜く経済成長を遂げたことで、「同じ土俵で」議論することができるようになったのです。だから、1990年代以降に、アジアで日本の戦争責任が問題になったのでしょう。

ところで、学生時代に聞いた話があります。日本の政治家が、中国の政治家に「日本が国際社会で認められるのはいつでしょうか」と質問した際の答えです。
「百年経つか、日本より残虐な国が出てきて戦争をするかでしょう」。
この項続く

敗戦の認識2 責任を引き受ける

2018年8月8日   岡本全勝

橋本明子著『日本の長い戦後』の続きです。
著者は、戦争と敗戦の記憶が、家庭、メディア、学校という日常の3領域で、どのように語られているかを検証します。漫画日本史など、子どもの教育に大きな影響を与える媒体も含まれています。教科書より影響は大きいかもしれません。
単に、頭の中で3つの類型を整理するだけではないのです。挙げられている実例をみると、「そうだよな」と納得します。

為政者や戦争に参加した人とその家族にとっては、第一類型としてとらえたいでしょう。第二類型も、聞きたくない話です。
第二類型は、戦争の痛ましさを語ることで、戦争反対の立場に立ちます。しかし、著者が指摘するように、アジアの被害者は、抜け落ちています。
第三類型を語らなければ、アジア各国との「和解」はできないのでしょう。この点については、ドイツとヨーロッパ各国との経験が比較されています。

起こした事件をどう記憶するか、どのように責任を考えるのか。それは、過去のこととして客観的に決まるものではありません。後世の者たちが、引き受けなければならないことです。「歴史とは現在と過去との絶え間ない対話である」(E・H・カー)を、改めて思い起こさせます。

国家というのは、やっかいなものです。父親が犯罪者であっても、子や孫はその責任を問われません。しかし、国家が起こした罪は、その当時に生まれていなかった後世の国民も引き受けなければなりません。
戦中と戦後の国民の悲惨な体験。アジアの人たちの思い。軍隊を持つことを禁止された国。70年経っても癒えない傷。これらを見たら、戦争を起こした責任者たちは、どのような感想を述べるでしょうか。為政者は、その時々だけでなく、遠い将来を、そして影響を与える諸外国との関係も見据えた判断が必要です。

みすず書房の本は深い内容の良書が多いのですが、読むのに時間がかかります。しかし、この本は、すぐに読み終えました。この項続く

敗戦の認識、『日本の長い戦後』

2018年8月7日   岡本全勝

橋本明子著『日本の長い戦後』(2017年、みすず書房)が勉強になりました。副題に「敗戦の記憶・トラウマはどう語り継がれているか」とあるように、日本の敗戦についての認識を分析したものです。

勝った話や成功した物語は、記録し思い出すには楽しいですが、負けた話と失敗した物語は、思い出したくない、触れて欲しくないものです。
しかし、戦争は国家が行ったことであり、その責任を忘れることはできません。被害者に対し罪を償う必要があります。また、再び起こさないためにです。その際に、空気のような国家があるのではなく、それを指導した責任者と実行した兵士、さらにそれを支えた国民がいます。
戦争指導者や軍人の回顧録、戦災に遭った国民の記録、それを基にした出版物がたくさん出ています。毎年8月15日には慰霊式典が開かれ、新聞なども特集を組みます。

この本が違うのは、それらの語りを3つの道徳観から分類し、それぞれの立場からの記憶と語りが「限界を持つ」ことを鋭く指摘するのです。
第一類型は、戦争と敗戦を、勇敢に戦って戦死した英雄の話としてとらえます。戦死者という犠牲の上に、現在の平和と繁栄があると、犠牲者に感謝します。終戦記念日の追悼行事や新聞の社説によくある言説です。しかし、これは開戦責任や敗戦責任から目をそらすことになります。「美しい国」の語りと、著者は呼びます。
第二類型は、戦争を、敗戦の犠牲になった被害者の話としてとらえます。空襲、原爆、さらには戦後の混乱での被害者です。人々の苦難を強調し、軍国主義に反対します。しかし、この語りも、日本が傷つけたアジアの人々の苦難からは、目をそらしています。「悲劇の国」の語りです。
第三類型は、戦争を、アジア各国での加害者の話としてとらえ、日本が行った侵略、支配、搾取を強調します。「やましい国」の語りと、著者は呼びます。この加害者としての語りは、日本人にとって悩ましいものです。
この項続く

稲継先生の新著『シビックテック』

2018年7月22日   岡本全勝

稲継裕昭・早稲田大学教授が『シビックテック』(2018年、勁草書房)を出版されました。
シビックテックとは聞き慣れない言葉ですが。副題に「ICTを使って地域課題を自分たちで解決する」とあります。

金沢市では、分別ゴミをいつ出せば良いかが、スマートフォンですぐにわかるアプリがあります。
奥能登地方には、「のとノットアローン」という子育て中の親を支援するアプリがあります。イベント、遊び場やお店の地図、信頼できる相談先などが載っています。
これらに共通するのは、ICT機能を使って、誰でも簡単に便利に使えること。市役所でなく、市民が主体になって作っていることです。

稲継先生は、これを「自動販売機モデル」(市民が税金を投入すると、サービスが出てくる。出てこない時は、自販機を叩く)から、市民が自分たちで地域の問題を解決する社会への転換だと主張されます。自販機モデルには、機械の中がブラックボックスで、市民からは見えにくいことも、含まれています。

ICTの発達によって、このような形での、市民による地域の問題解決ができるようになったのですね。
これまで市民参加というと、市役所への抗議行動、要請行動が主で、市役所と協働するとしても、審議会への参加、計画過程での参加でした。しかし、スマートフォンやパソコンを使って、「知りたい情報」を提供することが簡単にできるようになりました。
そして市民が知りたい情報は、市役所の仕事だけでなく、企業や地域が提供しているサービスなどもあります。これから、このような市民参加が広がることを期待しましょう。
もちろん、このような動きだけで、地域の課題がすべて解決するわけではありません。しかし、「地域の課題は市役所が解決してくれる」という通念を変えていくでしょう。