カテゴリー別アーカイブ: 社会と政治

社会と政治

教育ーどのような人材を育成するのか

10日の東京新聞「時代を読む」は、佐々木毅先生が「高等教育こそ取り上げを」として、教育改革について述べておられました。
「確かに、幼い子どもの教育は多くの国民の関心事であるが、これはいわば入り口の問題である。しかし、入り口ばかり問題にして出口がはっきりしないということは、議論の本位が定まらず、バランスを欠くことにならないだろうか。実際、万事につけ閉塞感というものの一因は、まさにこの出口の不透明さに起因するのではなかろうか」
「首相官邸が教育問題に乗り出す以上は、出口論こそは最大の関心事にふさわしいのではないか。なぜならば、それは将来の社会的ニーズの見定めとそれに必要な人材の供給、さらには国際的競争力の維持に直接に関係するからである・・グローバル化の時代にあっては、人材政策なくしてほとんど何も将来展望が開けないことは、今や各国共通の認識である。この点、日本政府は極めてのんきと言われても仕方がない」
「大学時代の話になると、『自分はいかに勉強しなかったか』を誇らしげに語ることが-テレくささに促されてのことであろうが-当たり前のような風土のところで、次の世代がとまどうのも無理はない。出口をはっきりさせずに、がんばれというのは、もはや通用しない昔の贅沢である」

日本社会の規範と革新

23日の日経新聞経済教室「イノベーション、本質と課題」は、薬師寺泰蔵教授の「競争的模倣で世界リード」「秩序の硬直性正せ、新たな社会規範の議論を」でした。ドイツとアメリカのイノベーションと社会規範との関係を紹介した後、日本について語っておられます。
「近代日本はキャッチアップ国家であり、国家が権威を作り運用した。大学制度しかり、官僚制度しかり、財閥系企業しかりである。この権威に対抗する社会規範はわが国にはない。そのかわり平等主義という社会的安全弁があった。権威の外縁にいても給与、待遇で大きな差別はなく、イノベーションで世界的な仕事をしようとしまいと待遇に大差はない・・」
「変革の契機は別のところで始まるだろう。すなわち、国家が決めた権威ではなく待遇を選ぶという世代が育ち、日本の権威に興味のない外国の研究者が日本で働きたいと思い、自分の挑戦する場所を自分で決めるために移動したいと思ったとき、現在の日本的社会規範は阻害要因になるということだ。そこで、組織に縛られない人の流動化の促進、権威主義から待遇主義への転換など、新しい社会規範の方向性の是非について国民的議論を高める必要がある・・」

政府の公益、市民の公益

19日の朝日新聞補助線に、辻陽明編集委員が「公益法人制度改革を読み解く」を書いておられました。これまでの公益法人制度は、各省が公益を認定してきました。新制度では、財団や社団は誰でも設立できるようになります。ただし、国や県の第三者機関に公益性を認定されないと、税制の優遇は受けられません。
「公益法人制度改革で問われるのは、政府の公益から市民の公益に転換するかどうかだ」
「英国オックスフォード大学で教えたラルフ・ダーレンドルフ氏は、市民の公益活動は『創意豊かで、ある程度特異な団体が乱立する創造的カオス(混沌)でなければならない』と論じた。創造的カオスとは、多様性と言い換えられるかもしれない。さまざまな市民が生き生きと多様な活動をする中から、新たな公益が生まれる。新制度でも怪しげな団体が紛れ込むのは、多様性のコストと考えるべきだろう。排除しようと規制を強めすぎると、肝心の多様性が失われる」

知的財産

人類が、農業社会から工業・産業社会になり、さらに現代では、情報・サービス社会になっているといわれます。その一つとして、文化・コンテンツ(これも良い日本語が欲しいですね)・特許・ノウハウが、重要になりました。政府には、知的財産戦略本部推進事務局があります。
私も、詳しいことは勉強中ですが、興味深いことを教えてもらいました。2006年6月の法改正で、特許や意匠の保護強化されました。盗むと懲役10年です。これまでは、ものを盗むと窃盗でしたが、これからは知的財産を盗んでも=まねをしても、それと同じ犯罪です。
社会が変化すると、法制度・行政なども大きく変化するという例ですね。(10月29日)
25日の朝日新聞「保守とは何か」で、山崎正和さんは、次のように述べておられました。
「近代社会には、政治的な保守というものは存在しないし、存在しえない。私はそう考えている。もし保守というものが成立するとしたら、それは広い意味での文化の領域に限られるだろう・・・政治も、近代以前は文化と結びついていた。だが、近代化により、政治は文化と区別された。信仰や人格、気分など統治者の身に付いた文化が規範になる政治から、指導者が国民との契約や法に従って合理的に行動することを前提にした政治への移行だ。政教分離の原則は、こうした政治と文化の区別を象徴している。以降、政治は身体ではなく頭の仕事、つまり理性の仕事になった。そこには保守はあり得ない」
「戦後になると、保守・革新という言葉が広く使われた。しかしそれは、実態を表した言葉ではなかった。実際に存在したのは、自由市場主義の立場に立つか、計画経済つまり社会主義の立場に立つかという対立だった・・・戦後の自民党に保守よりも適切な呼び名を与えるとしたら、現実対応政党だろう」
「グローバライゼーションの進行は止められないから、せめてその変化が一部の人々に不幸をもたらさぬよう、影響を和らげる対策を立てる。それが今、良識ある政治家のやっていることだ」(10月29日)
1日の日経新聞は、2005年の国勢調査結果を解説していました。人口ピラミッドが、1960年、2005年、2050年推計と並べてあります。1960年はピラミッドですが、2005年はくびれたひょうたん、2050年はソフトクリームのコーン(逆三角形)です。もはや、ピラミッドではありません。

政治と思想

先日、三島憲一著「現代ドイツ-統一後の知的軌跡」(岩波新書、2006年)を読みました。机に向かっているときは、ほとんど原稿を書いているか、このHPを加筆しているので、もっぱら布団の中での読書になってしまいます。
それは、さておき、なかなか考えさせる本でした。私は、ドイツ統一を政治の大きな企てとして、関心を持っていました(例えばヨーロッパで考えたこと)。この本は、統一後15年を経たドイツを、制度や経済でなく、政治思想・政治哲学から分析しています。政治思想からの分析は、数字で実証できないので、なかなか難しいものです。エピソードの羅列になる恐れもあります。その点の評価は、それぞれ読んでいただくとして・・。
筆者は、次のように指摘します。EUの統合は、国家単位でものを考える思考から、抜け出ようとする企てであった。民族単位で国家を作り、その国家同士が競い合うという、権力政治的な考え方からの訣別であった。それに対し、ドイツ統一を支えた思想は、同じドイツ人ならば、それだけで統一は正当化されるという暗黙の前提に依拠していた。この前提は、一見当然に思えるかもしれないが、ドイツ人というのは歴史上のある時期に偶然の政治的理由による線引きで、できあがった人々を指す言葉に過ぎない。
そのほか、東ドイツ解体吸収が生んだ精神状況、ネオナチ暴力への評価、ナチスの犯罪をめぐる論争、イラク戦争をめぐるアメリカとの距離など、政治家・知識人の思想の葛藤と戦いが、書かれています。
15日の日経新聞中外時評は、平田育夫論説副主幹の「広がるか、談合の自首」でした。「今年1月施行の改正独占禁止法は、談合など違法行為を自首(申告)した企業には課徴金を減免するようにした。『日本の企業風土に合わない制度。とても機能しないだろう』。専門家の多くはそう予想していた。ふたを開けてみれば実施から3か月で26件、その後も月に4-5件の自首がある」
日本の風土といった理由付けは、怪しいことも多いですよね。