「生き方」カテゴリーアーカイブ

生き様-生き方

「岡本行夫という生き方」

NHKウエッブサイトに「岡本行夫という生き方」という特集が載っています。詳しくは原文を読んでいただくとして。

・・・「とにかく朝から晩までいないんですよ。私たちのボスなんだけど、省内にいないわけ。いろんなところで、いろんな人に会っていた。その中に、東京にいるアメリカの記者など外国の記者がいっぱいいた。もちろん日本の記者もね」
岡本は日本が何をしようとしているのか、国際的にも国内的にも少しでも理解を深めようと、記者たちへの非公式な背景説明を熱心に行っていたと言うのだ・・・
・・・岡本について語るとき、宮家氏が最も力説したのは、岡本が「政策を実行する人=政策マン」だったという点だ。
「実際に官僚を動かし、メディアに理解を深めさせ、政治家に働きかけて政策にしていく。そのためには、発想力と行動力と説得力が必要なんだけど、彼はそうした力を持っていた」
そして、こう締めくくった。
「彼の肩書きは『外交評論家』となっている。でも、彼は評論家ではない。評論なんかする気はないんです。彼は死ぬまで『政策マン』だった。政策を作り、それを自分で実行する。もしくは、実行するための環境を作っていく。『彼は政治的に動く』と言う人もいるが、政策とは、そもそも政治的なもの。岡本さんだからできたんです」・・・

・・・しかしそんな岡本の評価は、“霞が関”の中でも分かれていた。
「話しづらいですが、もう時効だろうからいいでしょう。総理大臣補佐官として、突然、イラク問題の政策決定過程に入ってきた岡本さんでしたから、官僚組織からは異分子のように思われていた部分もある。強烈な人が入ってきて、煙たく思った人もいたと思う」・・・
参考「追悼、岡本行夫さん

釣った魚に餌をあげる2

釣った魚に餌をあげる」の続きです。
「釣った魚に餌をあげない」の反対の名言は、ないのでしょうか。と考えていたら、肝冷斎がよい言葉を見つけてくれました。

「論語」子路第十三
葉公問政。近者説、遠者来。
葉公、政を問う。近き者は説(よろこ)ばしめ、遠き者は来たらしむ。

楚の貴族・葉公というひとが孔先生に「「まつりごと」の本質をお教え願えますか」と問うた。
先生は答えた。「近いところにいる人民に満足させてやること、です。そして、遠くにいる(他国の)人民が(それを聞いて、「すばらしい土地らしい」と言って)移住してくるようにすることです」

釣った魚に餌をあげる

「釣った魚に餌をあげない」という言葉があります。
初めは相手に気を遣いながら、親しくなったあとは、粗略扱う様子を言います。特に男性が、女性にいろいろと贈り物をしたのに、結婚したら態度を変える場合に使われます。

とんでもない話です。
「釣った魚」は生きていて、水槽に泳いでいます。大事に扱わないと、魚は調子が悪くなります。さらに、妻の場合は足があるので、水槽から逃げていきます。釣ってからの方が、妻を大事にしなければならないのです。ゆめゆめ、粗略にしてはいけません。

わが家では、キョーコさんが私を釣ったので、とても大事にしてくれます。おいしい食事を作って(生け簀の魚を太らせて、食べようとしているのかもしれません)。
魚は飼い主のために、一生懸命働いています。
この項続く

追悼、岡本行夫さん

岡本行夫さんが、お亡くなりになりました。
ニュースを聞いたときは、「嘘だろう」「誤報であって欲しい」と思いました。岡本さんの業績は、各紙が伝えているとおりです。ここでは、個人的な思い出を書かせてください。

私は、湾岸戦争の時の官僚らしからぬご活躍(砂漠で活動する日本製四輪駆動車を手配すること)から、尊敬しました。東日本大震災では、「希望の烽火」でその発想力と実行力に驚かされました
その頃から、親しくしていただきました。仕事でも、励ましてもらいました。大先輩に褒められ、評価してもらえることは、とてもうれしかったです。後輩を育てようという、親心だったのでしょう。

私とは10歳違い、また外交と内政と畑が違うのですが、とてもかわいがっていただきました。海に音楽にと、いろんなことに誘ってもらいました。
異業種の先輩たちがたくさんおられる会合で、突然「全勝さん、あいさつしてよ」とご指名を受けました。そんなときに、私は勝手に「行夫の弟です」と名乗っていました。行夫さんも、「似てない弟です」と笑っておられました。

2月から、春陽堂のウエッブ小説に、「スーパーフィッシュと老ダイバー」を連載しておられました。初めての小説で、長年撮影してきた海中と陸上の写真を入れる「フォト小説」とのことでした。「見るように」とのご指示がきて、きれいな写真とともに楽しみにしていました。行夫さんにしか書けないような、内容です。

ややはにかんだような、相手に気配りをした話しかけ方。大先輩とは思えない物腰に、ついつい甘えてしまいました。高倉健さんに似た男前。広い視野と冷静な考察、そして熱血漢。時差をものともせず、また夜遅くでも元気な体力だったのに。
もう、お目にかかれないかと思うと、残念です。ご冥福をお祈りします。

野村監督に学ぶ夫婦の関係

2月20日の朝日新聞オピニオン欄「ノムさんに学ぶ」
・・・自らを「月見草」に例えた昭和のプロ野球選手の人生がなぜ、グラウンドの外でも、人々の興味をかきたてるのか。「ノムラの教え」から、何を学び取れるのか・・・

橋田壽賀子さんが、次のようなことを指摘しておられます。詳しくは記事をお読みください。
・・・たぶん沙知代さんは野村さんと出会い、「私の言うことを聞く人」と見抜いたんです。野村さんくらいの年齢の男性の女房像は、夫の言うことを聞いて家のことだけやればいい、というのが普通でしょう。でも、野村さんは逆でした。外で勝負の世界に生きているからか、逆に英では助言や叱咤もしてくれる強い女性がいたほうが楽だったのでしょう。言うなりになっている感覚こそが「愛されている」という実感だった・・・

私には、珍しいこととは思えません。日本の多くの家庭では、このようなのではないでしょうか。
外での仕事に全力を使い、家のことは妻に任せっぱなし。自分のことでも、食事も服装も妻任せです。これまでは、これが理想像でした。
財布を妻に渡している夫が多いです。その段階で、力関係は歴然としています。「亭主関白」は外面だけで、家では妻の方が強いのです。夫を「夫唱婦随」などとおだてて、実権を握る。女性は上手ですわ。
問題は、夫がその力関係に気づかず、ムダな抵抗をすることです。私も、もっと早く気づくべきでした。

それぞれの人の判断ですが、結婚は人生を豊かにしてくれ、かつ人生修養にとって、ほかにはない場です。
さらに上はいます。悪妻の方が、夫が出世するという事例です。これについては、また別の機会に。