「体験談」カテゴリーアーカイブ

生き様-体験談

河野昭さんをしのぶ会

今夜は、故河野昭さんをしのぶ会に、行ってきました。河野さんは、行政管理庁、総務庁、そして省庁改革本部事務局長を経て、初代内閣府事務次官を務められました。故人の意向でお葬式がなかったので、関係者で追悼論文集を出し、それを奥様とお嬢様にお渡しする会という形で、このような会がもたれました。

私は、省庁改革本部で、平成10年7月から13年1月6日の新府省発足まで、2年半にわたりお仕えしました。根は優しい人でしたが、仕事には厳しかったです。でも、あのような難しい改革を成し遂げるためには、必要だったのでしょう。政治家と渡り合い、反対する各省を説き伏せ、各省から集まった100人を超える官僚を束ねて、期限までに進める。今から振り返っても、大変なことでした。仕事以外ではお優しくて、よく飲みに連れて行ってもらいました。時には、ご自宅まで。

今夜は、当時の「しかられ3人組」、岡田秀一企画担当参事官(現・経済産業審議官)、井手憲文独立行政法人担当参事官(現・国土交通省海事局長)と私(減量担当参事官)も、そろって出席しました。もっとも、河野さんにしかられたのではありません。別の政府高官に、しかられました。節目節目に、官邸で顧問会議が開かれ、私たち参事官が進捗状況を説明する時に、いろいろあったのです(今となっては、笑い)。
私の仕事は、1,200ある課を1,000にすること、審議会を整理することなどでした。それは、霞ヶ関の全省庁を相手にするという、めったにできない経験をさせてもらうことであり、どのようにしたら改革が進むかを教えてもらう機会でした。

今夜は、いろんな省の方も出席され、故人の交遊の広さを物語っていました。私も、お世話になりつつ最近お会いしていない方々に、ご挨拶ができました。河野さんは、空の上からこの風景を見て、いつものように「かかか・・」と笑っておられるでしょう。

奈良女子大学付属高校同窓会

奈良女子大学附属高校の東京同窓会が、昨日、無事終了しました。本校での毎年の同窓会のほかに、2年に1度、東京でも開催しています。2学年ずつ幹事を務めますが、今年は、私の年次(昭和48年卒)と次の年次(49年卒)が幹事でした。2年前に幹事団を結成し、準備をしてきました。私も高校の生徒会長を務めたこともあり、責任を担わなければならなかったのですが、総理秘書官の間はお役に立てず、幹事団の皆さんに迷惑をかけました。
我が母校は、女子大の付属ですが、男女共学です。ご高齢の方から若者まで、予想以上の出席があり、会場が窮屈なくらいでした。各界でご活躍の方も多いです。出し物として、卒業生による音楽の演奏がありましたが、何人もプロの方が参加されました。私にもフルートを吹けとの命令があったのですが、水準の高い演奏の足を引っぱっては申し訳ないので、遠慮しました。
その後、48年卒業組の学年同窓会を開きました。奈良からもたくさん駆けつけてくれたので、大変な盛り上がりです。38年ぶりに再開したメンバーもいて。みんな55歳、それぞれきれいな歳を取った「おばさん」と「おじさん」になっています。お孫さんのいる方も。でも、18歳の時にタイムスリップして、話に花が咲きました。ホテルに泊まったメンバーは、さらに遅くまで語り続けたそうです。

2010年6月5日奈良女子大学付属高校東京同窓会の一コマです。
右から、荒井正吾奈良県知事、竹内行夫最高裁判事、田中宗孝日本大学教授。立っている私の後ろの和服姿は、禁煙サポートで有名な高橋裕子奈良女子大教授です。幹事に送ってもらったので、載せておきます。(2010年7月25日)

人生にとって20年という区切り

今日12日は、天皇陛下御在位20年の行事が行われました。
内閣のホームページ宮内庁のホームページ
平成になって21年、ベルリンの壁が崩壊して20年。もう、20年も経つのですね。あれから、第1次湾岸戦争があり、バブルが崩壊し、細川内閣ができ、阪神淡路大震災、アジア通貨危機、9.11同時テロ、国際金融危機・・・。結構いろんなことがありました。
我が身に引き直すと、我が息子は平成元年の生まれなので、今年成人になりました。もちろん彼は、小渕官房長官が平成の元号を示したことも、即位の礼も、知りません。
自分が成人するまでは結構長かったのに、歳を取ると時間が経つのが早くなって、私にとって、この20年はあっという間でした。でも、思い返すと、交付税課で課長補佐をし、自治大臣秘書官、富山県総務部長、省庁改革本部参事官、交付税課長、官房総務課長、内閣府官房審議官、総理大臣秘書官と、これまた結構いろんなことをしたんですね。
20年というのは、一つの時間単位なのかもしれません。40歳の時に、40歳とは社会人としての折り返し点であり、人生の折り返し点であることに、気づきました。20歳過ぎで就職し、60歳で退職するとするなら、40歳頃が中間点です。社会人経験が20年あり、未来に20年あるのです。そして、社会人になる前に、一人前になるまでの20年と、退職してからの20年を考えると、人生80年の中間点でもあるのです。もっとも、十年一昔という言葉もあり、こちらの方が区切りが良く、過去を振り返るのにも適当な長さでしょう。
いずれにせよ、このような「悠長なこと」を申し上げるのは、長い期間で人生を考えることは、無駄ではないと思うからです。そしてそれは、過去を懐かしむのではなく、これからの時間をどう使うかを、考える時間にするためです。未来に向かって、何を実現するか。
希望というのは、求めれば実現するといった簡単なものではありませんが、求めて努力しない限り、夢は実現しません。そして、結構、実現するものですよ。

お茶

12日の読売新聞文化欄に、茶道藪内流の家元と若宗匠がパリで点前を披露するという記事が、載っていました。実は、わたしも藪内なのです。もっとも、もう10年もお休みしていますが。