「地方行財政」カテゴリーアーカイブ

地方行財政

三位一体改革23

7日の朝日新聞「私の視点」には、梶原拓全国知事会長の「地方分権改革:歴史の大きな分岐点」が載っていました。
読売新聞や毎日新聞には、小泉首相が省庁からの妨害行為について「中央省庁の圧力に地方もおびえちゃだめですよ。しっかりしてもらいたい」と発言したと書いてありました。そのとおりです。「補助金は要らない」と言ったのは、地方団体です。各省が何を言ってきても、「要りません」と言えばいいのです。
地方団体も、個別には、補助金をもらった方が得でしょう。でも、それでは分権はいつまでたっても実現しません。今回は、「やせ我慢の説」で頑張らなければならないのです。ここで妥協すると、各省は「やっぱり地方団体はダメだ」とバカにするでしょう。
7日の日本経済新聞は「列島再編2/3の波紋」連載3で、合併しない町村の、生き残りのための行革事例を紹介していました。
6日の日経は「地域金融は今:変わる自治体との絆」連載5で、公共事業に依存してきた地域経済が「脱公共投資」路線で受ける影響を解説していました。小泉内閣になって、公共事業に頼る景気対策は終了しました。また、公共事業に頼る経済=「モルヒネ経済」も終了したのです。これ以上借金をしてまで、続けることはできません。それでも、巨額の国債・地方債の残高が残っています。(10月7日)
8日の閣僚懇談会で、官房長官から三位一体改革について、次のような発言がありました。
「関係各大臣は地方からの改革案の実現を原則として、そのための取り組みについての現時点における検討状況を具体的に説明していただきたい。仮に地方からの改革案に意見がある場合であっても、その理由を明らかにするとともに、提案されている廃止額に見合う代替案についての考え方を十分に説明していただきたい。」
「地方団体との協議も踏まえた上で、地方からの国庫補助負担金等の改革案について、平成17年度改革分、平成18年度改革分の仕分けを含め、補助事業等の所管府省において検討を進め、その結果を10月28日までに提出していただきたい」
「政府として11月半ばを目途に三位一体の改革の全体像を取りまとめていきたいと考えている。関係各大臣は総理のご指示に沿って地方からの改革案を真摯に受けとめ、改革案の実現に向けて率先して責任を持って全力で取り組んでもらいたい」「なお、地方団体から、補助金等を所管する府省から不当な圧力がある旨の指摘があったので、関係各大臣は十分注意をし、全体像の取りまとめに向けてリーダーシップを発揮していただきたい
8日の読売新聞では、青山彰久記者が「国VS地方」「内閣は省庁依存脱し責任ある対案示せ」を主張しておられました。「地方側は、省の代弁者ではなく、閣僚である大臣と協議したいというわけだ」として、政と官の役割を論じています。ぜひ、ご一読ください。
各大臣にとっては、官僚の書いた紙を読み上げるだけの人(官僚の言いなり)であるか、政治家(自分の意見を持っている)であるかを試される「公開試験」ですね。これからの政治ドラマを、政治部記者と一緒に観戦しましょう。採点表も持って。
官僚に「取り込まれる」政治家がだらしないのか、政治家を取り込む官僚が悪いのでしょうか。地方団体が「要らない」と言っている補助金を「なぜ受け取らないんだ」と言い続ける官僚。歴史の流れや世論の流れに、ここまで抵抗する官僚を見て、悲しくなります。
いずれにしても、国民の官僚に対する信頼は低下するでしょう。「官僚は守旧派」「国民より自分の利益優先」と。有能な官僚は、この事態をわかっていても「中央集権」「個別権限」に固執するのでしょうか。それとも、自分のとっている行動の意味が理解できないほど「無能」なのでしょうか。しょせんは、その程度の集団だったのでしょうか。続きは副業の「時評」インタビューを読んで下さい。(10月9日)
新聞各紙は、各省の抵抗を伝えています。9日の朝日新聞は「官邸指示に省庁抵抗」、日経新聞は「厚労省は健康保険の補助率削減、国交省は交付金化を検討」でした。
補助率削減は、15年末に総理が拒否したものです。交付金化は、税源移譲になりません。いずれも、閣議決定「骨太の方針」に反します。総理が受け入れるはずも、ありません。官僚は、なぜそのような案を検討するのでしょうか。それぐらいしか、智恵がないからでしょうか。
そもそも、「各省の補助金を廃止し、中央集権をやめる」というのが三位一体改革です。各省の抵抗は、「有罪判決を受けた被告」が反論しているようなものです。
地方団体が「要らない」といっている補助金を、押しつけようとするところに、抵抗の「おかしさ」が見えますよね。(10月9日)
11日の朝日新聞社説は、「補助金削減 反対するなら案を出せ」でした。
「各省庁が、地方案を精査し、意見を言うのは当然のことだ。だが、それは三位一体改革を進めるうえで建設的なものでなければならない。補助金を通じて維持してきた自らの事業や権限を守ろうとしたり、自治体に圧力をかけようとしたりすることは論外だ」
「あれほど補助金をほしがった自治体が、もう要らないと言う。補助金を減らしていけば、各省庁とも政策の立案という本来の仕事に取り組みやすくなる。官僚にとっても損はないはずだ」(10月11日)

三位一体改革22

26日の読売新聞社説は「補助金削減 地方の裁量増やす基本忘れずに」でした。「補助金は思い切って減らし、税源移譲により地方の裁量を増やす方向で議論を深め、最終方針をまとめるべきだ」。
また「財務省は、公共事業関連については、補助金を削減しても税源移譲できないとしている。・・だが、建設国債にしてもいずれは税金で償還されることを考えれば、ほかの補助金と区別する理由にはならない。スリム化を図りながらも、補助金削減分の一定割合は、地方に移譲するのが筋だ」とも。こういう主張がついに新聞でも出てきました。
27日の日本経済新聞社説は「補助金削減反対一点張りでは通らない」でした。
「何とも奇妙な光景である。補助負担金をもらっていた地方はもう要らないといい、配分する側の各省はぜひもらってほしいと頼み込む。時にはもらわないと大変なことになるぞと脅す。役回りが逆である」
「関係各省はこの削減案に反対の大合唱である。これらの補助負担金を廃止すれば、税源移譲しても、事業が縮小しかねないし、財政力の弱い自治体では事業の実施が困難になり、地域間格差が広がってしまうという主張はほぼ共通している」
「しかし、社会人になった息子が仕送りは要らないというのに、無理に押し付ける親と同じで、説明はつけにくい。教育をないがしろにし、老人福祉施設などの整備を怠る自治体なら、住民が放っておくはずがない。まともな行政サービスをしない首長や議会があれば、選んだ住民の責任という当たり前の自治が機能する形にするのがなぜいけないのか」
「小泉首相は地方に削減案の取りまとめを要請した以上、尊重する責任がある。各省も反対だけでは責任を果たせない。もっと地方の裁量が広がるいい対案があるなら示せばいい。関係閣僚は地方案に対して、省益の代弁に終始してきたが、間もなく内閣改造がある。省益を超えて、指導力を発揮できる閣僚をそろえなければ、改革は進まない」(9月27日)
27日夜、内閣改造後の記者会見で小泉総理は、内政問題の大半を、三位一体改革と郵政民営化に費やしました。そして、「三位一体改革は、年末にかけて大きな課題であります」と述べました。
10月4日から毎日新聞が、「三位一体改革の現場:地方はどう変わるのか」の連載を始めました。野倉記者は、次のように解説しています。
「厚生省出身の浅野史郎宮城県知事は、・・『省庁は「我々が補助金でミニマムを保障している」と考えているが、政治という場で納税者が鍛えられる過程を経なければ、日本はいい国にならない』と話した。補助金による全国一律の行政を選ぶか、格差拡大のリスクを抱えつつも住民自治のプロセスを重視するかー。問題は国の在り方そのものにかかわっている」
産経新聞では、藤原正彦お茶の水女子大教授が「義務教育は地方分権になじまず」を書いておられました。でも、このような主張をなさる方の通例として、義務教育のどの部分が地方分権になじまないのか、分別して述べておられません。今も、小中学校は市町村立で、先生は地方公務員です。これを、国立にするという主張でもないでしょうし・・。また、先生の給料=教育の水準と、話をすり替えられるのです。(10月4日)
5日の読売新聞は「どうなる懸案-小泉新体制」連載の2で、三位一体改革を取り上げていました。「根強い省庁、閣僚の抵抗」です。「先行きを懸念する麻生総務相は、首相によるトップダウンでの決着が不可避と見る。『地方への3兆円の税源移譲を決めたのも、税源移譲に見合う補助金を地方に考えさせたのも首相。最終的には首相の決断だ』」
日本経済新聞5日のコラム「春秋」は、イチローとシアトルから、アメリカの伝統を取り上げています。「政府が口出ししない結果、個人が自分自身で何でもやる習慣がつく。他からの助けを求めず、自分で考え対処する」というトクヴィルの言葉を引いています。そして、三位一体改革の必要性を述べています。
三位一体改革は分権の一部であり、日本の政治と文化を変えようとするものなのです。(10月5日)
6日の朝日新聞朝刊は、大きかったですね。1面トップで、紙面の半分を使って「地方へ補助金維持したい」「官庁圧力」でした。2面ではその解説「首相の指導力かぎ」がされていました。板垣記者ありがとうございます。署名入り記事は重みが違いますよね。
これまでの中でも、この記事は地方財政関係では「史上最高」の扱いだったと思います。大きさだけでなく、内容もインパクトがあります。西日本新聞も2面で大きく取り上げていました。
5日には、地方団体代表が官房長官に申し入れをしました。要点は「前回の関係大臣の発言に失望した。これでは、三位一体改革、地方に行政を任せるという基本方針にもとるんじゃないか。同じことを閣僚が言い続けて、それに反論すのでは意味がない」ということです。
三位一体改革をめぐる「せめぎ合い」「抵抗」については、追って解説する予定です。
一方、6日の毎日新聞朝刊は、「国債発行抑制、三位一体改革に期待」を大きく伝えていました。財務大臣が総理に、来年度の国債発行額を抑制する方針を伝えたとのことです。それ自体はいいことです。でもその要素は、景気回復による税収の増と、三位一体改革による歳出の削減だそうです。
財務省から見ると、三位一体改革は「歳出削減」なのです。もう一つ、国は、それ以外の歳出削減努力はないのでしょうか。(10月6日)
10月4日に「新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)」が、「小泉内閣改造後の政党政治のあり方に関する提言を発表しました。文章は日本の政治の在り方に関するものですが、その中で第2番目の項目として、三位一体改革の進め方が取り上げられています。概要は次のとおりです。
「小泉内閣は三位一体改革で責任ある対応を」「三位一体改革は、小泉改造内閣の真価が問われるきわめて重要な『試金石』。各省大臣は『政権公約を小泉首相とともに共有する内閣の一員』として行動を。各省の個別的抵抗を統制するのは小泉首相の責任。各省は、仮に地方の提案に反論があるのであれば対案の提示を。」
詳しくは、本文を見てください。(10月5日)

2004.09.30

月刊『地方財務』(ぎょうせい)10月号に、関西社会経済研究所「三位一体改革のシミュレーション分析」の概要が載っています。また、新たに淵上俊則氏の「公務員制度改革の動向を読む」の連載が始まりました。公務員制度については、法令解説はありますが、制度全体の概要解説書は見あたりません。不思議なことですが。今後の執筆に期待します。長谷川彰一氏の「年金問題を考える」は最終回です。

財政論2

パネルディスカッション「都市対地方:財政、公共事業、一極集中の是非をめぐって」発言骨子(続)
財政論1から続く
3 財政から見ると
(1)都市から地方への財政移転
代表は、補助金(公共事業、農業など)と地方交付税。
地域間格差と財政問題を議論するときには、一人当たり所得やGDPが比較される。一方、税金がどのように配分されているか、補助金と交付税で分析するのが主な手法。
しかし、補助金と交付税のすべてが、地域間格差を埋めるためのものではない。
財政移転を二つに分けて考えるべき
①対人サービス
ナショナルミニマムといわれる支出は、地域でなく個人に着目して配分される。教育、医療、介護など。
これらは、1人当たりほぼ同額の支出。全国一律のサービス水準である。一方で、地方団体に事務を担当させているので、税収格差がある。それを埋めるための手法が、補助金と交付税。
②公共事業や産業支援
これは、国民1人あたりで支出していない。これを、どう評価するか
通常、都市対地方を比較する際に、公共事業費を住民1人当たりで比べるが、面積当たりで比べると東京が圧倒的に大きい。
また、公共事業支出が、地域の人たちに帰属しているとは限らない。地域外の大手企業が受注することを考えればわかる。
(2)経済論と政治論
このように、地域間再配分と国民間再配分を、分けて議論しなければならない。
そして、国民間の再配分は、まさに財政の仕事。
地域間の再配分は、この国をどうつくるか政治の仕事。
いずれにしても、この国のかたちをどうするかの問題。
補助金交付税の地域間帰属分析は、さらに三位一体改革議論も、行政分野だけの「狭い議論」でしかない。
4 国際比較
中国財務省幹部から、質問を受けたことがある。
「日本では、経済発展による地域間格差、人口移動にどう対処したか」「人口移動を法律で禁止したのか」
私の答は、「日本は、(最初に述べたように)いくつかの組み合わせで処理をした。人口移動は禁止しなかった。」
中国では、経済発展格差による人口移動は、人口増加問題に次ぐ、重大問題。
一方、先進諸国では、この問題はどのように設定されているか。
社会文化的背景が違う。ドイツ、フランス、アメリカ。
それによって、問題意識も、用いる政策も違う。
純粋経済学のみで議論したり、解決する問題ではない。
5 林正義先生(財務省研究所)からのコメントに対する発言
林先生が指摘されるように、現在の日本では、都会と地方とどちらが果たして豊か。
いつまで、一人当たり所得(お金)で、豊かさを測るのか。
西ヨーロッパ各国に比べ、一人当たりGDPでは1.5倍になっている。でも、幸せを感じない。
豊かさと平等を達成した日本。キャッチアップの終了は、戦後型政治の終了でもある。

財政論1

パネルディスカッション「都市対地方:財政、公共事業、一極集中の是非をめぐって」発言骨子
日本経済学会2004年度秋季大会(9月25日岡山大学)
司会 東京大学井堀利宏
国際基督教大学八田達夫、京都大学藤田昌久、関西学院大学小西砂千夫、慶応義塾大学土居丈朗、総務省岡本全
私の発言骨子
「なぜ今、都市対地方が問題になるのか」から、問題を整理したい。
1 歴史的、社会的背景(かつての問題)
まず歴史的な経緯から見ておく。
(1)高度経済成長期
経済発展が、地域間の経済力格差を生む。
生産性の高い工業対農業=都市対地方という構図。
しかし日本では、それが政治的対立につながらなかった。
その理由は、次の3つと考えられる。
①人口移動:社会的解決
地方から都市(太平洋ベルト地帯)へ、大移動があった。
農家の二男、三男を都市が吸収
②工業分散:経済的解決
新産業都市建設をはじめ、農村部へ工業が立地。
兼業農家を可能にした。
③農業と農村の保護:政治的解決
米価政策、輸入制限
公共事業を中心とした補助金の配分
「自民党形政治」と呼ばれるもの。
こうして、世界一の経済成長と平等を達成
(2)東京一極集中
このように、高度成長期は、日本全体では「地方対太平洋ベルト地帯」、地方でも「中心都市対農村」という構図。
しかし、その後(1980年代以降)の東京一極集中は、それとは違う。
これについては、八田先生が説明してくださったとおり。
東京一極集中に対し、政治的、経済的に有効な対策を打てなかった。
以上が、日本の都市対地方問題の歴史である。
2 今なぜ問題になるのか
象徴的なのが、「骨太の方針2001」策定時の議論。
「均衡ある国土の発展」という国是を、「地域間競争」という言葉に転換しようとした。そこには、次のような背景がある。
(1)経済発展の終了
財源がないのに、都市から地方への財政移転を続けていることへの疑問。
赤字国債を大量発行しながら、まだ補助金と交付税を配るのか、という批判。
(2)補助金と公共事業の手法への疑問
米価政策は終了。
これまでの農業補助金は、農家を育てたか。疑問。
公共事業は農民と農村を豊かにしているか。疑問。
このまま補助金と公共事業を続けて、地方はよくなるか。
(3)問題の変質
農民は、4%を切った。
農業対策が、地方対策か。
都市対地方は、有効な問題設定か。
有効な地方振興策は、何か。
経済成長の終了=もはや、経済発展が生む地域間格差の問題ではない。
均衡ある国土の達成=公共事業によるインフラ整備もほぼ完了した。
課題を達成したときに、手法は変わるべきであり、また問題の立て方も変わっているのではないか。