カテゴリーアーカイブ:仕事の仕方

人脈による仕事

2025年8月15日   岡本全勝

7月31日の日経新聞「基軸なき世界 プラザ合意40年 激変 外為市場㊦」は「変わる「通貨マフィア」の人脈 内輪の議論から多極間の交渉舞台へ」でした。

・・・米東部時間22日午後、米ホワイトハウスの大統領執務室。日本側は政府系金融機関を通じて4000億ドル(約58兆円)の投資支援の枠を設けると提案した。より巨額の投資を求めてきたトランプ大統領を前に、その場で支援の額を最大5500億ドル(約80兆円)に増やすことで合意した。
急転直下の合意にこぎ着けた立役者の一人が、財務省で国際業務を担当する三村淳財務官だ。「トランプ氏を納得させるためにはぎりぎりどこまで増額が可能なのか、三村氏がその場にいたからすぐに判断できた」。財務省幹部はこう語る。

省庁の次官級ポストでもある財務官の主業務は通貨政策で、通商分野での交渉は本来は担当外だ。だが、三村氏は日米関税交渉における事務方の中核の一人として、交渉役の赤沢亮正経済財政・再生相を支えた。合意までの渡米回数は8回。20カ国・地域(G20)の財務相・中央銀行総裁会議など山積するほかの会議の合間をぬって、最後は食事を取る時間もままならない状況で交渉の詰めの作業に奔走した・・・

・・・金融市場の歴史的な転換点で、これまでも交渉や調整の最前線を担ってきた財務官。米国の財務長官や主要国の通貨当局の責任者らとかつては秘密裏に為替相場や通貨政策について議論していた名残から、「通貨マフィア」ともしばしば称される。
通貨マフィアたちが台頭したのは1970年代前半、米国の威信が揺らぎ、主要通貨が対ドル固定相場制から変動相場制に移ったころだ。石油ショックが起こり、インフレと経済不況に対応するために、主要国が討論する場として、米国、英国、フランス、西ドイツ、日本による「G5(主要5カ国)」の財務相らが集まった。為替変動の荒波のなかで、各国の通貨当局トップも頻繁に顔を合わせるようになった・・・

・・・だが、民主主義などの価値観を共有する内輪の集まりだった通貨マフィアたちの会合は、市場のグローバル化や新興国の台頭で急速に変貌した。97年のアジア通貨危機をきっかけに、東南アジア諸国連合(ASEAN)と日中韓のASEANプラス3の枠組みができ、99年にはG20財務相・中央銀行総裁会議が始まった。
2015年7月から過去最長となる4年間財務官を務めた浅川雅嗣氏は、「国際会議も増え、主要7カ国(G7)のように基本的な価値観を必ずしも共有していない国とのやりとりも増えた」と語る。為替市場へのインパクトはより見えにくくなった。

複雑化する市場との対話を円滑にするために問われたのが人脈の多様さだ。一例が2015年夏、突如起きた中国人民元の下落。「何が起きたのか」。中国人民銀行(中央銀行)からの公表もないなかで、浅川氏は日ごろから懇意にしていた中国財務当局や人民銀行の担当者に接触をはかり、人民元の切り下げを把握した。国際通貨基金(IMF)との議論も経て、多方面の情報から中国が人民元を国際的な主要通貨にしたいという意図を読み解いていった。
2022年、24年ぶりの円買い介入に踏み切り、国内外から注目を集めた前財務官の神田真人氏が注力したのも、市場の人脈の洗い出しと拡大だ。約1年かけて、海外の主要中銀・財務省の幹部やエコノミストらとの報告ラインを見直したほか、分散型金融(DeFi)経由で取引するプレーヤーなどとも関係を構築し、為替介入に備えた。
「市場は全く違うものになった。それに向けて通貨当局も常にアップデートする必要がある」と神田氏は当時語った・・・

1年や2年で交代する霞ヶ関幹部にあって、財務官は長く座ることが多い珍しい職です。人脈がものを言う、それも国内でなく国際金融の世界だからでしょう。
指導者論や管理職論で、組織内部の管理や指導が取り上げられますが、それと同様に重要なのが渉外です。いえ、内部管理は部下に任せることもできますが、外部との交渉は幹部でしかできないのです。そして、力量を発揮できるのが交渉ごとです。
それは、首相についても言えます。内政は官房長官や各大臣に任せることができますが、外交は首相が出かけなければなりません。

配電盤と集電盤

2025年7月24日   岡本全勝

司馬遼太郎さんは、明治時代の東京、特に東京大学(帝国大学)を、欧米文明を受け入れ地方に配る「配電盤」と表現しました。とてもわかりやすい表現です。霞ヶ関の行政機構も、欧米から輸入した行政サービスを、日本各地に行き渡らせる配電盤でした。

組織に置き換えると、ヒエラルキー(階統制)で、上位の職から下の職へ指示が下りることに似ています。
他方で、集電盤という仕組みがあります。配電盤が電気を分配するのに対し、集電盤は別々の電気を集めます。個別に発電された太陽光発電を、一つにまとめる場合とかです。
これを組織に当てはめると、ある知識や指示を「分配」するのではなく、別々の情報や知識を「集めて整理」することです。ところが、ただ単に集めただけでは「おもちゃ箱状態」になって利用できないので、一定の目的や基準で整理する必要があります。

この集電盤機能は、意外と難しい作業です。配電盤機能なら、受けたものをそのまま伝えるか、指示をかみ砕いて伝えればすみます。しかし集電盤機能は、ある目的のために、雑多な情報から必要なものを選び出し、分類を設定してそれら情報を整理し、それを上司や関係者に説明しなければなりません。
目的がはっきりしている場合、例えば上司から指示があった場合は、比較的簡単です。とはいえ、どのような分類にするのか、何を取り何を捨てるのか。難しい場合があります。東日本大震災では、全国に避難した避難者を(地域と施設別に)把握する際に、これに該当しました。

他方で、目的がはっきりしていない場合はもっと難しいです。例えば新たな課題と思われる事象が頻発していて、それを認知し対策を考える場合です。社会的問題で言えば、引きこもり、孤独死、子どもの貧困、虐待、家庭内暴力などが、それに当てはまったでしょう。それら問題の定義も範囲もはっきりしません。というか、それを決めるために事象を拾い上げ、分類するのです。初めから範囲と分類が決まっているのではなく、作業の過程で定まっていくのでしょう。
組織の幹部や管理職は、日々、このような状態に置かれています。人工知能には、できない作業だと思います。

「やめてやる~」

2025年6月25日   岡本全勝

私がまだ駆け出しの頃の話です。
仕事の後、先輩に誘われて、しばしば飲みに行きました。その席で、一人が仕事がうまくいかないことを話題にして、笑いながら「やめてやる~」と叫んでおられました。私たちも、一緒に笑っていました。
もちろん笑いながらで、その方は仕事もとびきりできて、出世されました。

知人と、最近の若い人たちが早くやめて転職するという話をしていて、思い出しました。
当時は、若くしてやめることは負けと見なされ、やめた官僚を雇ってくれるところも簡単には見つかりませんでした。転職が難しい環境で、その先輩はやめることはないので、そのような「叫び」をしておられたのです。
ところが最近では、「やめてやる」は実行されます。転職が自由な時代になって、この叫びは笑い話ではなくなりました。

真面目だけでは評価されない

2025年6月20日   岡本全勝

6月10日の日経新聞夕刊「人間発見」、田村咲耶・MonotaRO社長の「優等生気質を超えてゆけ」第2回から。
2007年、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)に入社したときの話です。

・・・1年目は企業をヒアリングして中期経営計画をまとめたり市場調査をしたりしました。文章の書き方や報告書のまとめ方など、上の人が最後までついて赤入れしてくれました。真面目でガッツも情報収集能力もある私は新入社員のエース的存在で、就職情報誌などにも取り上げられました。言われたことをきれいにまとめるのは得意だったのですね。

ところが2年目から評価が急落し、3年目は翻訳しか任されなくなりました。フットワークが軽くて情報は取ってきましたが、それ以上の判断や対応策などを示していなかったのです。電車で帰ることがほとんどないほど頑張ったのに評価されず、どんどん消耗していきました。
優秀な同期はプロジェクトリーダーの意図を理解した上で自分の頭で考えて仕事を進めていたのに、私は学生時代同様、量や暗記に頼っていました。ほとんどの同期がコンサルタントに昇格する中で私は昇格できません。コンサルタントとしては戦力外ということです。

いま思うと、3年目で「おまえの仕事のやり方はだめだ」と突きつけてくれたことに本当に感謝しています。真面目に良い点を取れるように頑張るだけでは、戦力になれないことを痛感したのです・・・

事なかれ主義の社内を改革する

2025年6月17日   岡本全勝

5月29日の日経新聞夕刊「私のリーダー論」は、長谷川隆代・SWCC会長の「暗黙の了解」に挑み続ける」でした。

・・・非鉄業界で初の女性社長を2018年から7年間務め、4月に会長となったSWCC(旧昭和電線ホールディングス)の長谷川隆代さん(65)。社長就任前、同社は90億円の最終赤字を出すなど苦境が続いていたが、経営の効率化を図ると業績が向上し24年度は過去最高益に。事なかれ主義だった社内で改革を断行できた背景には「正しいと思うことを言い続ける」という信念がある。

――社外取締役からの推薦で社長になりました。常務など他の上席役員を飛び越しての抜てきでしたが、なぜ白羽の矢が立ったのですか。
「13年に役員になってから、末席で取締役会に出席して経営に携わっていました。誰も反論しない決議事項に自分なりの論を述べ続けたことが、社外取締役から評価されたのだと思います」
「取締役会の出席者は私以外全員男性。『根回しが済んでいるので会議では発言しない』という暗黙の了解がありました。私は違和感があれば質問や異論を述べました」
「他の出席者からは白い目で見られていたと思います。そもそも可決が前提の審議なので、意見を伝えても『参考にします』と言われるだけ。それでも5年間、めげずに声を上げ続けました。部門の代表としてその場にいるのだから、発言こそが価値だと考えていました」

―どこに問題意識を持っていましたか。
「会社全体に広がっていた、事なかれ主義の意識です。電線を手掛けるインフラ企業なので、よほどのことがない限り会社は潰れず、危機感を持たずに働けます。ただ、変化のスピードが速い社会での現状維持は退化になります」
「役員の頃、営業利益目標が90億円の年がありました。理由を尋ねると『90周年だから』といいます。非効率な経営体制と低い利益率を変えたいと思いました」

―変化を起こすために何から始めましたか。
「不採算事業を整理するという課題を解決するため、各役員に事業再編案を考えてもらうことから始めました。数日後、ある役員からできない理由が3〜4ページのリポートになって出てきました。抜本的には事業を見直さず、利益を増やすための提案がつづられていました。赤字でないのになぜ問題視するのかと、不満がにじんでいました」
「当たり前ですよね。どんな役員でも、担当する事業をどうにかして生かしたいと思うはずです。私が感覚的に問題だと話してもわかってもらえない。どう説明すべきかを悩みながら経営の本を読みあさりました」
「投資に対して効率的に利益が出ているかを示すROIC(投下資本利益率)という指標に出会いました。この指標を使うと、なんとなく続けていた不採算事業が浮き彫りになりました。国内生産拠点の再編と不採算事業からの撤退をして、担当社員の異動や再就職の支援をしました」

―リーダーは立場ではなく役割と説いていますね。
「役割は自ら見極めるものです。私の場合は、会社を変えることでした。社長という役割に徹して、最後には責任を取ります」
「リーダーシップの形はリスク時と平時で変えています。災害や危機対応といったリスク時にはある程度トップダウンで決めます。普段は全員の意見を聞いて進めます」・・・