カテゴリー別アーカイブ: 仕事の仕方

生き様-仕事の仕方

私たちの仕事は、予測可能性、それも人間関係次第

今週も、怒濤のような5日が過ぎました。「職場で残業はしない」と宣言しているのですが、諸般の事情により、2日もやってしまいました。中間管理職は、自分の時間管理ができないこともあるのは、仕方がないですね(言い訳です)。めどが立たないうちに遅くなってしまい、おかげで1キログラムも減少できました(とほほ)。でも、藤田参事官チームの支えのおかげで、今週分はまあまあ乗り越えることができました。ありがとう。
「いつまでに、何をしなければならない」ということが分かっていれば、あとは簡単です。それに向かって、段取りをそろえ、部下に指示をすればいいのです。
次に重要なのは、参加者との関係です。関係者に対しどこまでコントロールできるか・影響することができるかです。自分ですべてを「仕切る」ことができれば、何も悩むことはありません(その代わり、責任はすべて本人に帰することになりますが)。
関係者とは、通常、上司、部下、交渉相手です。それぞれに人間関係ができていれば、あるいは予測可能な相手なら、話は早いです。早い目に相談に行くとか、多分こう出てくるだろうから、こう答えようと演習ができます。相談しても無駄とわかっていれば、出たとこ勝負でいく・正面から激突するとか、その前に外堀を埋めておく・応援団をつくっておくとか、対策が立てられます。
最後の場合のように、「どうせだめだから」という場合でも、そのような予測さえ立てば、悩むことはありません。開き直ればいいのです。困るのは、予測の範囲を超えるとき、とんでもない方向から弾が飛んでくる場合です。通常の難しい案件は、交渉相手が敵です。これは最初から分かっていることです。だから、手強い敵でも困りません。困るのは、後ろから、横から弾が飛んでくる場合です。

アネゴとお局様

10日の日経新聞夕刊は、「アネゴ輝く」として、仕事ができ、後輩から慕われるベテラン女性を、従来のお局様と比較していました。なるほどと思うことも多いです。私も、日ごろの行いを反省してます、はい。
でも、ベテラン男性職員にも、仕事ができかつ慕われる先輩と、きらわれる先輩がいますが、それに対応する言葉はないようです。なぜ女性の世界では、お局様とアネゴという概念=言葉があるのに、男性にはないのでしょうか。

イノベーション

日経新聞経済教室の27、28日はイノベーションでした。藤本隆宏教授は、次のように主張しておられます。
マスコミのもの造り報道は、感動的な話や良い映像が撮れる伝統的製造現場の名人芸に集中しがちだが、もの造りが日本経済に与える影響は、それよりずっと広い。「開かれたもの造り」の根幹は、「もの」ではなく「設計」にある。もの造りとは、ものをつくることではなく、設計情報を「ものにつくりこむこと」である。生産現場だけでなく、開発も購買も販売も含まれる。また、製造業の枠も超える。付加価値の根源は設計情報にあり、それが有形の媒体に転写されれば製造業、無形の媒体に転写され顧客に発信されればサービス業になる。
日本経済のうち、もの造り組織能力や生産性で世界をリードするのは、製造業を中心に国際競争にさらされてきた「競争貫徹部門」だが、それはおそらく10数%にすぎない。大きなウエートを占めるのは、非製造業を中心に規制や保護、談合などで国際競争力を欠く「競争不全部門」である。この部門の大幅な生産性向上には、規制緩和・民営化・構造改革だけでなく、組織能力の注入が大事である。IT導入の必要性もいわれるが、ITという固有技術だけでは、競争優位は得られない。ITが生産性に結びつくには、ITを使いこなすもの造り技術が必須である・・・
納得しますね。官庁という最大の「競争不全部門」「サービス業」にいると、絵にはならない技術・ノウハウの重要性がよく分かります。管理職の能力の差や、組織が持つ無形の能力の違いは大きいです。ところが、これはマニュアル化、文書化されず、口伝と伝統で引き継がれてきたのです。「明るい係長講座」では、その重要性を指摘しました。
「人を育てる」といった人材育成論は、本屋にもたくさん並んでいます。しかし、それは個人の能力向上に着目したものであって、組織の側・仕組みとしての能力の観点からは、書かれていないのです。「ほう・れん・そう」だけでは、だめです。将来、時間ができたら、行政のあり方論と関連させて、官庁部門での「開かれたもの造り」技術を書いてみたいです。後輩たちに無駄な苦労をさせないためにも、国民にもっと効果的な行政サービスを提供するためにも。

退職症候群

26日の朝日新聞夕刊「夕日妄語」で加藤周一さんが、「退職症候群」について書いておられました。
イラク戦争の直前、国連の安全保障理事会で戦争の必要性を力説したのは、パウエル国務長官であった。退職後のパウエル氏は、今も続く戦争を批判している。このような「退職症候」発現は、アメリカの方が、日本よりはるかに多いのではないか。それは、次のような背景からであろう。
伝統的な日本社会では、職場の集団へ個人が高度に組み込まれていること。そのことは、一方で個人の安全を保証すると同時に、他方では成員すべてを同化させようとする強い圧力として働く。強制的な同化現象、個人・少数意見の圧殺、個人の自由の極端な制限。これが、集団の中の個人の次のような3つのあり方を生み出す。
第一、少数意見を持ち、それを表現する。第二、少数意見を持ち、沈黙する。第三、多数意見に順応し、それに従う(合唱に参加する)。第一は極めて少なく、第三は大多数である。退職症候群は、第二に現れる。意見が退職後に変わるのではなく、現役の時から多数派と対立していたが、退職後に沈黙を破るのである。
アメリカの指導者が現職の間は愚行を演じ、退職後に自由を行使して自説を唱えるのは、自由な批判精神の「沈黙」の証言であると同時に、自由な精神の「存在」の証言でもある。

混成部隊

再チャレンジ支援は、法案の審議と並行して、次への準備を仕込み中です。職員が、次に向けて、企画をしてくれています。うーん、まだ新年度が始まっていないのに、早くも次への準備ですかね。
本業の経済財政諮問会議については、上司から準備の指示をもらって、職員と一緒に勉強中です。関係省や有識者に来てもらって、勉強会をしたり。これも、なかなか難しいです。
それぞれ、優秀な部下職員がいてくれて、ありがたいことです。一を言うと十以上を準備してくれます。さらには、私の知らないことの提案とか、私の思いこみの間違い訂正もしてくれます。内閣官房と内閣府には、各省から、選りすぐりの職員が送り込まれています。私の下には、内閣府、総務省、財務省、経産省、国土交通省、農水省、厚生労働省、金融庁、文科省とかとか(順不同)。
これだけの職員に支えられていたら、仕事は速いです。もっとも、時には親元と利益が反する提言・行動もしなければならないので、職員には苦労をかけています。若くてこれから親元に帰る彼らには、つらいこともあると思います。でも、それが日本の将来のためです。ごめん。省庁改革の時も、よく似た構図でした。将来、「あのときは苦しかったけど、日本のためだった」と言いたいですね。
これからは、内閣官房・内閣での経験ある職員が増え、各省でがんばって欲しいですね。これが、縦割りの発想を改善してくれると思います。