社会のリスクの変化と行政の役割2

社会のリスクの変化と行政の役割から続く

拙稿『社会のリスクの変化と行政の役割』第5回が載った、『地方財務』2月号が、発行されました。
今回は、第4章「政府の役割の変化」第1節「リスクに対する政府の役割」です。地震、交通事故、新型インフルエンザ、引きこもりといった典型的なリスクに対して、政府(中央、地方)がどのような役割を果たしているかを整理しました。このように対象を広げて社会のリスクを見た場合に、何が共通していて何が違うかです。このような横串的な視点は、これまでになかったと思います。
そして、政府の役割について、現場での対策とともに、対策全体の企画と管理が、重要であることを指摘しました。ご関心ある方は、お読みください。(2011年2月2日)

連載、社会のリスク論第6回が載った、月刊『地方財務』3月号が、発行されました。今回は、第4章「政府の役割の変化」第2節「個人の責任、政府の責任」です。
リスク対策が進み、政府による対策は拡大しました。それは、個人責任が社会の責任になる変化です。しかし、対策が拡大すると経費がかかり、それだけ国民の負担が大きくなります。また、阪神淡路大震災が示したのは、公助だけでは被災者を救えないということでした。そして、緊急性が少ないのに救急車を呼ぶ人がいます。本人は無料ですが、その費用は住民が負担しているのです。
各人が加入する保険ならば、給付・保障が増えれば、本人の掛金が多くなります。しかし、公助では、負担が不明確になります。自己責任と公助をどう組み合わせるか。これが課題になっています。これらの点を議論しました。(2011年3月2日)

連載「社会のリスクの変化と行政の役割」第7回が載った、月刊『地方財務』4月号が発行されました。異動の前に、校正まで終わっていたので、載せてもらいました。もっとも、肩書きは前のままになっています。
今回は、現代の「福祉国家」が、「安心国家」に転換しつつあることを論じました。そして、その社会的背景も、世界の先達の論考を参考に、議論してみました。自分では、力作だと思っているのですが。
続きは、しばらく書けそうもないので、いったん中断します。申し訳ありません。(2011年4月2日)

(拙稿、日本行政学会年報、その2。連載再開準備)
ところで、森田朗先生の「東日本大震災の教訓と市民社会の安全確保」では、フィンランドの総合的な危機管理体制「社会機能確保のための戦略」が、紹介されています。
そこに、政府が守るべき3つの価値、国家主権、社会の安全、市民生活が掲げられ、9つの脅威(リスク)が列挙されています。電力と通信網(社会インフラ)の障害、市民の健康と経済生活の障害(不況、大規模な感染症)、社会全体の経済危機、大規模な事故や自然災害、地球環境の変化、テロと組織犯罪、不法移民や禁制品の密輸、外国による政治的軍事的圧力、軍事的侵略です。

私は、連載「社会のリスクと行政の役割」(月刊『地方財務』2010年10月号~2011年4月号)で、私たちを取り巻く新しいリスクを、原因と被害の種類によって分類し、表(資料1-1)にしました。それは、武力・テロ、自然災害、事故、犯罪、環境問題、健康問題、経済社会活動の混乱、社会生活問題、経済問題の9つです。9つは偶然の一致ですが、私の取り上げた範囲と項目とほぼ同じことに、安心するとともに満足しました。
私はさらに、これら9つのリスクを対策の観点から、武力攻撃事態や災害への備え、事故や犯罪への対策、健康の危険への対策、社会生活の危険への対策の4つに大括りして、論じました。
連載は、私が大震災対応に招集され時間がなくなって、中断したままです。切りよく、第1部の「社会のリスク」を終えたところで中断しています。そこで、第2部の「行政組織のリスク」(かなり準備してあったのですが)を、大震災の経験を踏まえて、書きなおすことを計画中です。長尾編集長、もう少しお待ちください。