14日の日経新聞は、昨日の続き「自民党50年」の中でした。「自民党の政策決定は、結党半世紀を経て大きく変わりつつある。政務調査会の部会、調査会が関係省庁・業界の意向を受けて立案し、最高意思決定機関の総務会で決定するボトムアップ方式が、重要政策では形骸化。首相官邸主導のトップダウンの色合いを濃くしている」。道路族と道路調査会と建設大臣の関係に言及して、「金丸道路調査会長の時は、彼のさじ加減一つで全国の道路一本一本が決まった」。
この指摘も、正鵠を射ています。ただし、この記述にあるこれまでの政策と、現在の政策は同じではありません。今まで立案したのは税金の配分、現在トップダウンで行おうとしているのは負担と受益の決定です。
「これまでの政治は税金配分だった。族議員の活躍は、その資金配分に関与することであった。しかし税収が増えなくなったときに、これまでの族議員の機能は発揮できなくなった」ということでしょう。
だからこれまでは、族議員が力をふるえたし、ボトムアップですんだのです。政治家にとっても、それをお膳立てした官僚にとっても良い時代でした。これは、実は意思決定とは言えません。調整でしょう。私の言う「負担を問わなかった戦後日本政治」です。
しかし、負担を問う時には、ボトムアップではできません。これまでの「政治」は税金の配分。これからの政治は負担の配分です。(11月14日)
(社会が規定する政治と政治学)
先日の記者さんとの会話。
記者:三位一体改革が進みませんね。
全勝:昨日今日だけをみるとそうだけど、この3年間をみるとよく進んだよ。
記:岡本さんは、いつも楽天的ですね(笑い)。
全:建設的、ポジティブと言ってほしいね。3年前、5年前に、兆円単位の補助金廃止と税源移譲を予想した人がいたかい。総理が地方団体に原案作りをお願いしたり、官邸で地方団体代表が閣僚と議論をするって、想像できなかったよ。
記:でも、ここに来て、官房長官が指示した6千億円もほぼゼロ回答だし、生活保護が押しつけられそうだし。3兆円の税源移譲って、実現するのですかね。官僚の抵抗はすごいですよ。
全:最後は、実現するよ。総理の公約だもの。今の小泉総理に抵抗できるかね。そう簡単には進まないけどね。補助金廃止は、50年間続いた官僚主導行政を変えようとしているんだから。大きな流れでみてほしいね。
記:確かに、官僚主導行政と自民党政治も大きな曲がり角にある、そして官僚はそれに抵抗している。そうみれば、大変なことはわかりますが。自民党の方も変わってきていますよね。族議員が出番がなくなって。総務会は全員一致でなくなったし。反対者には刺客が送られ、離党させられますし。
全:そう、自民党も利益配分だけをしていられなくなったんだよね。意見の違うみんなが、なあなあではすまなくなった。小選挙区制が、ようやく利いてきたこともある。
記:さらに、党の方もいろいろ政策を打ち上げていますよ。
全:ただし、政治家が政策を打ち上げれば政治主導になるかというと、そこは少し違うんよ。官僚に代わって政治家が政策を決定するのは政治主導なんだけど、党や個別の政治家がいろいろ指図すると、それは政治主導にならない恐れが大きい。みんなが好きなことを言うと、それを足しあわせると結論が出ない。また、予算の場合は、財源が足らなくなって国債で先送りするんだから。これからは、利益配分の政治でなく、負担を問う政治にするためには、政治主導は一元化しなければならない。それは内閣であって、総理ですよ。
記:数十年に一度の政治変動、革命を見ているとすると、おもしろいですね。
全:そう思うよ。記者さんだけでなく、学者もそうじゃないか。これまでの日本の政治学・行政学は、あまりおもしろくないよね。後世に、これだと言って残せる業績がないんじゃないか。それは政治が政治をしてこなかったからだよ。公共事業・補助金配分と減税や財政投融資が政治だと、研究の対象としては、おもしろくないよね。変化がないと、学問も進まないということかな。(11月20日)
日経新聞は29日と30日と「戦後政治の還暦」を連載していました。上は「二大政党制にかけた夢」、下は「官邸主導、後戻りできぬ道」でした。政党、特に与党のあり方と、官邸主導=官僚主導の終焉、という2つの特徴を取り上げていましたが、分量的にも物足りなかったです。(12月30日)
(2006年)
景気も回復しつつあり、お正月の新聞記事・社説も、穏やかなものでした。テーマは、人口減少と団塊の世代の引退、東アジアとの外交関係に集約され、論争が盛り上がるというより、ポスト小泉予測といった「平和なもの」ばかりでした。(1月4日)
(社会科学の貢献)
10日の日経新聞経済教室「日本復活の進路」に、佐々木毅教授が「文化系知識の重要性増す」「社会変革の基礎に、高等教育への支援拡充を」を書いておられました。
「あるいは、社会システムの現状を見直すことに極めて消極的な社会の場合、社会システムについての学問は、その占める場所を持たないであろう。単純化して言えば、そこでは社会システムの問題はもう『分かっており』『解決済みであり』、役に立つ知識は和魂洋才風に科学技術に求められることになる。こうしたところでは、社会的閉塞感を口にしながらも、必要な処方箋を自ら封印することによって自縄自縛に陥るのは理の当然である」
「日本が長年の経済的・社会的閉塞感から、一息つくことができた要因はなんであろうか・・・。その基礎にあったのは、政策的にも社会的にもほとんど重要視されていなかった人文・社会科学的知識であった」
「こうした指摘を、将来に向かって活用していくためには、次のような視点が大切である。第一に、十年前と比べ、権力構造とその担い手のあり方が大きく変化したことを率直に認め、ガバナンスのより高度な運営のために必要な知識とその深化に対する真摯な態度を社会的に培養することが必要である。端的にいえば、『分かり切ったこと』や『解決済みのこと』といった既成の観念で物事を処理するのではなく、社会の自己改革能力を着実に高めていくための高度の専門的能力に対して、正当な評価を行う習慣を定着させることが必要である」
「社会システムの管理運営の担い手には、現状のルールの誠実な順守が求められることはいうまでもないが、必要に応じて新たな選択肢を示すこともまた、その社会的責務の一部である。例えば、日本の法曹集団はかつてひたすら法律の解釈に全エネルギーを傾けていたが、今や立法作業にも視線を向け始めている」
いつもながら、鋭いご指摘です。日本の官僚は、自らを「世界一優秀」と評価し、また評価された時点で進化を止め、変化する現実への対応能力を失ったのでしょう。また、「日本の制度が世界一」と考えるようになった時点で、改革は行われず、解釈の世界に閉じこもることになります。
それでも、省庁再編・財金分離などを行い、事前指導から事後チェックへ・官から民へ・国から地方へ・官僚主導から政治主導へといった改革が進みつつあります。そのような観念が国民に「常識」として定着しつつあることで、このような変化は止まらないでしょう。もっとも、まだ多くの官僚は「抵抗勢力」に留まり、「新たな選択肢を示す」ことに失敗しています。(1月11日)
(法律の軽重)
国会議員に法案の説明をしています。そこで受けた指摘です。
議員:岡本さん、政府がいくつも法律改正案を提出するのは分かるけど、内容によって軽重をつけられないかね。
全:ええ確かに、国民生活に大きくかかわる法律から、こんなことまで法律で定めるのかというのまでありますね。しかし、権利義務にかかわるものは、政令や省令でなく、法律が必要なんですわ。
議:それは仕方がないとしても、基本法令とその他の法令とに分けた方が、国民もわかりやすいぜ。そして、国会審議も、分けるべきだ。基本法令は国会でも十分議論する、その他の法令は、そんなに審議に時間をかけない。関心ある議員が質問書を政府に出して答えてもらうとか、もっと実質的なやり方があるだろう。毎年100本も法律改正がでる時代なら、それなりの合理化をするべきだ。
全:その主張なら分かります。事前に問い合わせていただければ、十分お答えできる国会質問も多いですからね。かなり、合理化できます。
今は、法律審議でも、本会議で趣旨説明質疑をするもの、その中でも総理が出席する重要広範議案という分類はありますが、これはその他の法令審議を簡素化するのではないですからね。
何でもかんでも同じように審議することで、かえって重要な法案審議にエネルギーを割けなくなっています。また、何が今国会で重要なのかもよくわからなくなります。(1月13日)