「官邸の怪人、「民」と出会った衝撃 復興の現場で」抄2の続きです。
「私の意識が間違っていた」
岡本氏が被災者対応で絶対に言わないと決めていた言葉があった。「それは私の仕事ではありません」だ。「私の役割はいわば電話交換手。支援を必要としている人を、適切な部署へとつなぐこと」
そんなふうに、官として政と付き合いながら仕事をしてきた岡本氏に、復興の現場で新たな出会いがあった。
それは「民」だ。
がれきの片付けから炊き出しといった緊急支援に始まり、商店街再興や地域のにぎわいづくりなど中長期の復興に至るまで、災害時にはさまざまなボランティアやNPOが活躍する。今や彼ら抜きでは復興はできないといってもいいだろう。「公」の役割を担うのは、公務員だけではないのだ。
岡本氏はそれまで、NPOと深く付き合ったことはなかった。彼らとの出会いは「衝撃だった」という。
「市民運動なんていう言葉もあって、霞が関の敵だと思っていた。でもこんなに志があって、仕事のできる人たちがいるなんて、と驚いた。復興の現場はNPOにまさにおんぶにだっこだった」
岡本氏はNPOの立場で現場で活躍していた田村太郎氏と藤沢烈氏を、被災地の実態調査をしてもらうべく、非常勤の国家公務員である復興庁の調査官に起用した。田村氏は阪神大震災の時に外国人支援をしたことがきっかけでこの世界に入った、災害対応の専門家だ。藤沢氏はコンサル会社勤務や社会起業家支援を経て、東日本大震災で復興支援を始めた。
岡本氏は2人を任命するときにこう言った。
「あんたら、私に使われてもいいのか。(NPOからすれば)裏切り者かもしれないよ。NPOが行政の下請けになる、と批判されるかもしれない」
すると2人はこう答えた。
「違います。我々のほうがやりたいことのために岡本さんを使うんです」
岡本氏にとってこの言葉もまた衝撃的だったという。「私の意識が間違っていた。行政がNPOを『使う』のではない。あくまでも対等で、社会を共に支える存在なんだとわかった」
彼ら2人には避難所の実態調査をしてもらった。公務員が相手だと遠慮したり警戒したりして本音を話さない住民も、民間が相手だと安心して打ち明けられることもある。
避難所の環境が劣悪だとわかり改善につなげた。復興庁では復興支援についてのさまざまな事業と予算で、NPOが利用できるものを一覧表にして示した。
NPOが担った役割に、たとえば仮設住宅の見守りがある。被災者の孤立を防ぐためには、ふだんからの見守りやこまめな声かけが重要だ。自治体職員にはそこまでの余裕はなく、ノウハウもない。そこでNPOに委託をした。これで失業した被災者に雇用も生み出すことができた。
田村氏は「これまで多くの公務員と仕事をしたことがあるが、岡本さんは、公務員とか民間といった立場をまったく気にしない数少ない人。理想と現実のバランス感覚も絶妙で、できないことも率直に話してくれた」という。
2015年、岡本氏は復興庁の次官となる。退任後は福島復興再生総局の事務局長に就任した。原発事故からの復興という前例のない難しい仕事で、政府と与党、地元の調整役を担った。
「復興の仕事に一発回答はない。とにかく少しずつ、今回はここまで、というのを水面下で瀬踏みしながら繰り返してきた」
週の半分は2泊3日で福島に通った。何度も何度も足を運び、根気強くていねいに交渉や説明を繰り返した。「震災発生直後からずっと復興に関わってきた岡本がやってここまでなら、しゃあない、と思われるのが理想だった」
そうやって10年近くがたった。
「退任が報じられると、多くの人から、『今やめるなんて』とおしかりを受けた。全部が全部、皆さんの期待に応えられなかったけれども、長年公務員として働いてきた自分だからこそできたことがあったのではないかと思います」
「政」と向き合い、時に翻弄された「官」の人生は、終盤に「民」と出会ってさらに豊かに深くなった。
岡本さん、おつかれさまでした。