新型コロナが生んだ不信

8月20日の朝日新聞「変容と回帰 コロナ禍と文化 5」「互いに、政治に、社会に「不信」」から。

・・・国内で市中感染が広がりはじめた2020年3月。新型コロナウイルス対策の特別措置法が成立し、緊急事態宣言の可能性が高まっていた。
個人の自由を尊重する民主主義のもとで、移動や集会の制限はどこまで許されるのか。当時、政治社会学者の堀内進之介さん(現・立教大特任准教授)に聞いた。「緊急時には人権を総体として擁護するために、一部の私権を制限する必要がある」。そんな見解の一方で、堀内さんは古代の共和政ローマの例を挙げながら、つけ加えた。「あいまいな理由で緊急時の権力を振るっていいわけではない」

あれから5年。コロナ下の状況について、再び聞いた。
「政治の責任をうやむやにしてはならないという懸念が現実になった。よくも悪くもロックダウン(都市封鎖)などの強い権力を行使せず、『自粛』という形で実質的な強制力が働きました」
法的強制力のかわりに、同調圧力にものを言わせた「自粛警察」が人々を追いこんだ。「『空気』による強制は、市民社会への『丸投げ』でした。極限状態に置かれた医療従事者も、営業自粛を余儀なくされた飲食店の関係者も、互いの善意に期待するしかなかった」・・・

・・・加えて、コロナ禍からの回復期には「V字回復」ではなく「K字回復」、二極化が起こったという。
「医療や介護など対面で働くエッセンシャルワーカー。地方から上京したばかりの学生。不自由の直撃を受けた人も、受けなかった人もいた。大きな不均衡が生じました」
自分の意見や行動が政治や政策に少しでも影響を与えていると感じる「政治的有効性感覚」が下がり、既存の政党への期待度も下がった。
「政治だけでなく専門家への不信が高まり、科学技術やメディアを含めた既存のシステム全体に不信が及ぶ『三重の不信』が生じました」・・・