斜陽の経済大国

9月23日の朝日新聞オピニオン欄に、原真人・編集委員の「斜陽の経済大国 身の丈にあった社会設計、考える時」が載っていました。

・・・日本人は世界のなかで相対的に貧しくなった。国民の豊かさを示す代表的な指標である1人当たり国内総生産(GDP)のランキングからも落ち目なのは明らかだ。
2000年に2位だった順位は第2次安倍政権のころになると円安が進んで20位台まで下がり、23年にはついに過去半世紀で最低の34位となった。これではもはや「世界屈指の豊かな国」とは言えそうもない。
この7月、円は一時1ドル=162円近くまで下がり、37年半ぶりの円安水準となった。その後140円台まで戻したが、コロナショック前の水準には届かない。底流にあるのは世界の中の日本の相対的な地位低下だろう。

日本経済の戦後80年は二つに分けられる。高みをめざして上り続けた時代と、ゆっくりと下りゆく今に続く時代だ。
前半は「日本の奇跡」と呼ばれる飛躍的な戦後復興に始まり、高度成長を経て80年代後半のバブル経済まで。その勃興ぶりを象徴するトピックは折々にあった。
68年、日本はGNP(国民総生産)で当時の西ドイツを抜き西側で第2位に躍り出た。79年、米国の社会学者エズラ・ボーゲルが日本的経営などを分析した著書「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が世界的ベストセラーとなった。
そのころ日本の産業政策や経営は、アジアの途上国にとっての発展モデルだった・・・

・・・私の記者人生は、日本経済が絶頂期を迎えていた80年代なかばに始まった。その後はバブル崩壊、金融危機という激動の時代となる。やがて人口減少と高齢化を伴いながら低成長・低インフレ・低金利が長引く時代となった。
私も含め多くの日本人が勘違いをしたまま、「下る時代」を迎えてしまったのかもしれない。ジャパン・アズ・ナンバーワンともてはやされ、世界第2位の経済がずっと続くという根拠なき楽観に支配されていた。政府も企業もそうした感覚にとらわれ、時代認識や自己評価を誤ってきた・・・
・・・12年末に発足した第2次安倍政権は「日本を、取り戻す」というスローガンを掲げ、財政や金融政策を広げるアベノミクスを始めた。そこで取り戻そうとしたのはどんな日本だったのか。
バブル絶頂期の経済的繁栄や産業競争力を、当たり前のことのように受け止めてきた国民は少なくない。それが身の丈以上の経済や社会保障を求める背景にあった。政治は要望に応えようとし、マスメディアの大勢もそれが当然であるかのように報じた。
その発想が生み出したキーワードが「失われた10年」や「失われた20年」だったのではなかったか。アベノミクスの思想もその延長線上にある。
日本の社会保障は「世界で最も豊かな国」としてのサービス水準が求められてきた。90年度からの33年間でGDPは3割しか増えていないのに、年金や医療など社会保障給付費は3倍近くにふくらんでいる。十分な財政の裏付けがないのに予算は右肩上がりだ。
与野党とも増税のような有権者に嫌われる政策は避けがちだった。その結果が1300兆円にのぼる国と地方の長期債務であり、国債を日銀が買い支える状況だ。世界最悪の借金財政の責任は政治や財務省だけでなく、国民も問われねばならない。
1億2千万人の人口に合わせて整備されたインフラを今後維持していくだけでも大きな負担だ。防衛費や子育て予算を増やす計画もある。人口減少社会の日本がどれもこれもと巨額歳出を続けていくのは限界が来ている・・・

・・・ 斜陽の経済大国にも強みはあるし、生きる道もある。安全で清潔な街、発着時間が正確な交通機関、きめ細かい配慮が行き届いたサービス。世界最多の三つ星レストランに代表される食のレベルの高さ。四季折々の自然に恵まれた観光資源も、海外からうらやましがられる資産である。
製造業の競争力が全体的に後退したといっても、分野ごとには世界で存在感を持ち続ける企業がたくさんある。
こうした強みが経済の活気につながらないのは、ひとえに国内消費の弱さゆえだろう。家計金融資産が約2200兆円にまで積み上がったこととも無縁ではない。資産が増えるのは悪いことではないが、お金が人々のために使われず眠ったままになっているという側面もあるからだ。
もし約2200兆円の1%でも消費に回れば、日本の経済成長率は一気に底上げされる。それには家計金融資産の6割以上を持つシニア層にお金を使ってもらうことが重要だ。
シニア層は老後の暮らしの不安から財布のひもを締めてきた。行動を変えるには、安全網としての社会保障に対する信頼を取り戻すことが欠かせない・・・