「30年という時間、体感と社会の変化」「社会の変化に追いつかない意識」の続きにもなります。
個人にとって貴重なものには、財産や健康、家族や友人があります。それぞれ持って生まれたもの、その後に増やしたり減らしたものがあります。もう一つ貴重なものは、時間です。1日24時間は、万民に共通です。それをどのように使うか、有効に使うかどうかで差が出ます。多くの人が「忙しい、忙しい」と言うのですが。
社会の時速については、「汽車と新幹線、漱石と鄧小平」を書いたことがあります。
夏目漱石は『草枕』1906年に、「汽車程二十世紀の文明を代表するものはあるまい。何百と云ふ人間を同じ箱へ詰めて轟と通る。情け容赦はない。詰め込まれた人間は皆同程度の速力で、同一の停車場へとまつてさうして、同様に蒸気の恩沢に浴さねばならぬ」と書きました。
改革開放に舵を切った中国の指導者、鄧小平氏が1978年に来日し、東京から京都まで新幹線に乗車した際は「まるで首の後ろから金づちで打たれているようなすごいスピードを感じる」と感嘆しました。
各人に与えられた24時間は、誰にでも、どこでも、いつの時代でも同じです。しかし、それぞれの人にとって、1時間は同じではありません。同じようには感じないのです。
朝の10分は急いでいるので貴重で、早く経ちます。でも、夜の10分は気になりません。飲んでいるときは、さらにです。子どもの時は1日が長かったですが、大人になると早く過ぎます。
「視野の時間的広さ・ゾウの時間 ネズミの時間2」
そして、社会の時間の早さです。各人にとって、自分の時間感覚とは違った早さで、社会が変化し、過ぎ去っていきます。夏目漱石や鄧小平が感じたのは、それだったのでしょう。そして、社会の時速は、どんどん速くなっているように思えます。