謝るが認めない日本型謝罪

10月6日の朝日新聞オピニオン欄「その謝罪、何のため」、梁英聖(リャン ヨンソン)さん(反レイシズム情報センター代表)の発言から。

・・・今回のテーマがもし「正しい謝罪のあり方は?」を問う内容なら、答えようがありません。その問題設定自体に、日本で人種差別の言動が止まらない原因の根がある、と思うからです。
「ご迷惑をおかけした」「不愉快な思いをさせた」といった謝罪を、私は「日本型謝罪」と呼んでいます。
欧米では、差別的言動があると、基本的に四つのステップで対処されます。まず(1)事実を調べ、(2)それがルール(社会正義や法)違反と言えるかどうかを判断する。
(1)(2)で差別だと判断された場合に限り、(3)「謝罪や処罰、賠償」と、(4)「再発防止」の策定に進む。
重要なのは、差別かどうか(1)事実と(2)ルールに基づいて判断を下すことです。差別でないなら謝罪などしない。差別なら(3)(4)の責任をとる。選択肢は二つに一つです。

ところが「日本型謝罪」はそのどちらでもない。(1)事実と(2)ルールによる判断を下さないまま、世間や相手の心情に謝罪する。謝るが差別は認めないので、将来も同じことを繰り返す自由が残ります。
(1)事実調査と(2)ルールこそ、将来にわたって差別・人権侵害をさせないという実効的な再発防止につながるわけで、これを回避すれば、何万回でも同じことが起きます・・・