1月17日の日経新聞「私の課長時代」は、永沢昌・東京電力リニューアブルパワー社長の「耳に痛い諫言、目が覚める」でした。
・・・部下を持ったばかりのころ、私の目には上司しか映っていませんでした。現場への指示が二転三転しても全てのみ込み、その分の負担を部下に強いていました。リーダー失格でしたね。
都内の支店で3年勤めた後、私は企画部に異動します。すぐ「選択を誤った」と痛感しました。職場は先鋭的な社員の集まりで常に張り詰め、後に社長を務めた上司が2人も在籍していました。緊張感に耐え切れずトイレに駆け込むこともありました。
2002年に6人の部下を持ちます。担当は電力需要の予測でした。電力は「産業の鏡」といわれ、需要が拡大しており、競合と伍すために上長から頻繁に市場分析のリポートを求められました。業務遂行のためいつも切迫していました。
ある時期、会議などで部下が目を合わせてくれなくなりました。問い詰めると1人が「もう付いていけない。ここは苦しみを共有する雰囲気がない!」と心情をぶつけられました。瞬間、頭が真っ白になりました。私は冷静さを取り戻すので精いっぱいでした。
自分自身も同様に重圧に苦しんでいたはずです。部下の言葉に目が覚めました。「職場の心理的安全性」と「諫言(かんげん)してくれる部下」の重要さを学び、管理職の責務に向き合う転機となりました・・・