安倍首相の保守主義と時代

朝日新聞の「論座」、宇野重規・東京大学社会科学研究所教授の「戦後の保守本流と異なる安倍首相の保守主義が日本政治にもたらしたもの 分断の時代に適合したナショナリズムと政府主導の経済運営のミックスで長期政権を実現」(9月7日配信)から。

・・・これら三つの派閥のうち、高度経済成長期からそれ以降にかけて優位だったのは、経世会と宏池会の連合であった(田中角栄と大平正芳の親密な関係に象徴される)。清和会の流れは、劣位に立たされ続けた。
背景にあったのは経済成長と冷戦体制である。そのような時代においては、強いナショナリズムへの志向を持つ清和会よりも、経済主義的で公共事業による再分配を得意とした経世会・宏池会連合の方が適合的であった。
こうした状況が大きく転換したのが、1989年の冷戦終焉であった。アメリカの軍事的支援を自動的に期待できた時代は終わり、日本は独自の安全保障政策を求められるようになった。この時期、バブル経済の崩壊によって経済成長の時代が最終的に終わりを迎えたことと合わせ、戦後政治の「大前提」が大きく崩れたのである。

1990年代は「政治改革」の時代になったが、この時期に経世会が分裂し、宏池会の存在感が次第に低下したことは偶然ではないだろう。アメリカの軍事的支援の下、経済に専念することができた戦後日本の「保守本流」の時代は、「大前提」が崩壊によって終わりを迎えたのである。
2000年以降には、森喜朗、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫と清和会出身の首相が続く。これらの首相の個人的プロフィールや政治理念は様々であるが、経世会が分裂し、宏池会が地盤沈下したことの必然的な結果であった・・・

・・・議論をまとめよう。
安倍首相による長期政権には、一定の歴史的必然性があった。安倍首相の保守主義は、冷戦と経済成長を前提とした戦後日本の「保守本流」に代わるべき、より対立的で攻撃な保守であり、中国の大国化などによって緊張感を増す東アジアにおいて、日本のナショナリズムに強く訴えるものであった。
ただし、このナショナリズム色をより前面に出した第1次政権が短命に終わったように、ナショナリズムだけでは長期政権は不可能である。第2次以降の政権を長続きさせたのはアベノミクスから「一億総活躍」に至る、安倍政権の「擬似左派的」な社会経済政策であった。それが戦前の革新官僚であった岸元首相に遡るものかはともかく、金融緩和と財政出動がデフレ状況を克服するにあたって、一定の効果をもったことは間違いない。
つまり、安倍首相の長期政権を可能にしたのは、ナショナリズムと政府主導の経済運営の独特なミックスであったと言えるだろう。この両者を一身に体現する存在として、安倍首相がきわめて「時代適合的」であったことは間違いない。
逆にいえば、安倍首相が退任を決めた今、はたしてこのミックスが持続可能かはわからない。二つの柱のどちらか一つでも崩れたとき、安倍政権を長期化させた基盤もまた失われることになる。

わけても、保守主義を標榜する安倍政権の下で、皇室のあるべき姿や日本の近代史をめぐる議論が進展しなかったことの代償は大きいだろう。保守主義の要諦である歴史的連続の感覚や、それを支える安定的な政治体制の確立は、安倍首相の長期政権をもってしても実現できなかった。むしろ議論の分極化や世論の分断が進み、コンセンサスから遠ざかったというのが、安倍政権の長期化の所産であったのではないか。
そのような状況において、いよいよ日本社会は未曾有の少子高齢化を迎える。国債の累積残高もついに900兆円を超えた。高度経済成長の遺産を食い尽くした日本の前に、いよいよ厳しい未来が待っている・・・