カタカナ英語の弊害「ブラック企業」

7月4日の朝日新聞オピニオン欄「私の視点」、尾鍋智子・桃山学院大学国際教養学部准教授「造語と言語感覚 「ブラック」使い方再考を」に、ハッとさせられました。

・・・最近のマスコミの言語感覚に首をかしげることが多いのは、私だけだろうか。最も不快な表現は「ブラック企業」のブラックだ。
なぜ不快なのか。「黒は悪」という短絡的稚拙さへの恥ずかしさや、「劣悪」「闇」で代替可能という思い、「ブラック企業」が和製英語の最新語としてリストに加わりそうなことへの憂鬱もある。だが、カタカナのブラックと英語のBlackが持つ意味の違いは、さらに重要な問題をはらんでいる。
Black is beautiful.「ブラックは美しい」は、1960年代に米国の公民権運動で使われた代表的標語だった。ブラックという色が悪いという偏見を、黒人自らがまず打ち砕き、人種差別と闘おうとした力強い言葉である・・・
・・・ブラック企業とは労働環境の劣悪さを指すようだが、完全な和製英語である。公民権運動を経た欧米においては、「ブラックは悪」というニュアンスでの新たな造語は許されないからだ・・・

カタカナ英語が、とんでもない間違いを生む例です。私も無意識に使っていました。反省します。この言葉を安易に使っているマスコミにも、問題がありますね。何か良い日本語を、考えなければなりません。マスコミがどのように対応するかを、期待してみていましょう。