制度不信や中間団体の衰退、その2

ポピュリズムの背景、制度不信や中間団体の衰退」の続きです。
1月31日の水島治郎・千葉大学教授の論考には、政治に限らず、現代社会の技術と経済の変化が、社会や私たちの思考と行動に大きな変化をもたらしていることが指摘されています。

・・・ただここで考えるべきは、中抜き現象が政治面に限らず、経済社会のほとんどの分野で進行していることだ。経済の分野では、流通業者を介さずに生産者が消費者に直接販売する取引が増えている。米エアビーアンドビーやメルカリのように運営会社が「場」を提供しつつも、売り手と買い手が直接取引するシェア経済の比重が高まっている。
メディアの世界では、新聞や雑誌、テレビといった「中」の存在感の低下は明らかで、既存メディアはむしろネット上で批判の対象となる。芸能の世界でも、事務所を通さずユーチューブやネットテレビで視聴者の熱い応援を受け、ブレイクする例も出てきた。

総じて言えるのは、人々の行動に強い影響を与えてきた「既成の権威」が衰退する一方で、個々人が「中」に頼らずに必要なものを売買・発信・視聴し、情報を入手し判断する時代に入ったということだ。いわば中抜き時代の幕開けだ。中抜き政治の台頭は、その一つの表れにすぎない。
そこには危うさもある。中抜き政治のもと、所属する団体の指示を受けず、自分が主体的に選択したはずの投票行動が、フェイクニュースに踊らされた結果ということもあろう。またアンチ・エスタブリッシュメント政党に魅力があるとすれば、往々にして既成政治を批判する歯切れの良さだけであり、政権を担当した後にこれらの政党が様々な困難に直面することも多い。

しかし旧来の中間団体に回帰すべきだという議論にも説得力がない。そもそも人々を包摂していたかつての中間団体は、多くが男性優位的・権威主義的で、年長者への服従を要求し、男女平等や個々人の自由な選択を阻んできた。平成期にこれらの団体が、自分らしさを求める若い世代に見放されたことには、十分な理由があったとみるべきだ。
時代は着実に変化している。中抜き時代の先にどんな社会が来るのか、確たることは言えない。強いて言えば、特定の団体に属して忠誠を尽くすよりも、窮屈な人間関係を離れ、一人ひとりがそれぞれ複数のアドホック(暫定的)なネットワークを作り上げ、網の目の中を動きながら人とつながり人生を豊かにしていく時代になるのではないか。そしてそれは日本人の属する最大の団体、「カイシャ」と個人の関係についても近い将来広く生じると考えている・・・
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