砂原先生の新著

砂原庸介教授が、『新築がお好きですか? 日本における住宅と政治』(2018年、ミネルヴァ書房)を出版されました。「何だろう」と疑問を持たせる書名ですね。

日本では、新築の持ち家が好まれます。若いうちはアパートや社宅に入っていても、最後は新築の持ち家を持つことが、「住宅双六」の上がりでした。家を建てることが、男子一生の夢でした。
では、なぜそのような意識が、国民の間にできあがったのか。政府が強制したのでも、誘導したのでもありません。政府の住宅政策はありましたが、必ずしも新築持ち家ではありません。住宅メーカーや工務店、不動産屋などが提供し、国民が選択した結果、できあがったものです。
教授は、これを「制度」として分析します。ここで制度とは、法律、共有されている規範、習慣など、個人の住宅選択を制約するものです。

私はこの本の主旨を、「戦後日本の住宅(新築持ち家志向)を対象とした、政治行政の政策と国民の行動の相関の分析」と理解しました。政府の政策と国民の意識が相まって、このような新築持ち家志向ができあがるのです。それを分析した本です。
江戸時代の町人が大家さんの長屋を借りて住んでいたこと、戦前でも夏目漱石が借家住まいをしていたことなど、新築持ち家は必ずしも日本の伝統ではありません。経済学からしても、新築持ち家が経済的とも思えません。それを支えたのが、「制度」です。

私は、「制度」を2つに分けて、理解しています。一つは狭い意味での制度です。 法律や規則など、明示的にルールと定められているもの。 政府が定めるものだけでなく、会社が(従業員向けに、顧客向けに)定めるものなども含みます。
もう一つは、国民が持っている「通念」です。規則として決められていないのですが、多くの国民がそれが良いと信じているものや、慣習です。これが、社会の運用や秩序を支えています。
法制度が国民に一定の行動を強制し、後者がそれを支える関係にあります。法制度がなくて、通念だけがある分野も多いです。冠婚葬祭などは、後者の部分が大きいです。

さて、この通念が続くのか、変わるのか。これについても、分析されています。
既に空き家が膨大な戸数になり、売れなくて負の遺産になっています。他方で、大都市での土地の値上がりで、戸建ても新築マンションも、サラリーマンには手の届かないものになっています。質の良いマンションもできています。
実は、この通念を支えてきた基礎には、土地についての神話(土地は最高の財産)と所有権絶対の意識があります。この部分が変わらないと、住宅についての意識は変わらないのです。でも、あれだけ執着された農地が放棄され、空き家(空き土地)も増えつつあります。この経済的変化が、通念を変えていくでしょう。
私は、変わると想像しているのですが。といいつつ、私も宅地を買い、戸建て住宅を建てました。