復興庁発足5年

復興庁が2012年2月10に発足して以来、丸5年が経ちました。いくつかの新聞が、取り上げてくださっています。朝日新聞社説は「復興庁「御用聞き」から前へ」でした。
・・・これまで復興庁は、被災地に寄り添い、自治体や住民らの声をすくい上げる「御用聞き」の役割を重視してきた。そこから一歩前に出て、現場で課題を掘り起こし、解決につなげられるか。復興の司令塔としての力量が問われる・・・
「御用聞き」は私たちが心がけてきたことです。これまでの役所、特に国の役所にはなかった仕事の姿勢だと思います。これから、他の役所でも心がけて欲しいです。

・・・復興庁の特徴は、震災前は国の役割とはされてこなかった仕事に力を入れていることだ。仮設住宅に住む人の交流促進や、復興にかかわりたい民間人材を被災自治体や団体に紹介するといった事業だ。行政が不慣れな分野だけに、ノウハウを持つNPOや企業と積極的に連携してきた・・・NPOや企業といった民間と二人三脚で、「公」の仕事を担う。こうしたやり方をさらに広げ、新しい行政のモデルを目指してほしい・・・
ありがとうございます。まさに、私たちが目指したことを、適確に取り上げていただきました。

・・・復興事業の大半は他の省庁が担当している。復興庁はそれを調整する役回りだが、職員の多くは各省庁からの出向者だ。縦割り意識や出身母体への遠慮がないだろうか・・・
前段は、ご指摘の通りです。日本中を探しても、街づくりの専門家、学校校舎復旧の専門家は、霞が関にしかいないのです。民間にはおられず、新採職員を育てている時間はありません。後段の指摘は、なるべくなくすように努力したのですが。

・・・復興の重点は今後、福島県の原発周辺地域に移っていく。これまで賠償や除染といった仕事をそれぞれの担当官庁が進めてきたが、地域の再生に向けた取り組みでは復興庁が先頭に立つべきだ・・・
ご指摘は、半ば同意します。実は、原発被災地は復興の前に、事故の後始末が必要なのです。そしてそれは、政府の原子力災害本部の仕事です。「東日本大震災に係る政府の対応」(資料の12ページ)をご覧ください。地震津波被災地(図の右側)では、津波が終わると復興に入れました。しかし、原発事故被災地では、避難指示を解除する、またそれまで被災者の支援をするのは、原災本部とその事務局の仕事なのです(図の左上)。火事に例えれば、火は消えたけど、まだ立ち入れない状態といったら良いでしょうか。避難指示が解除され、住民が帰還できるようになったら、復興庁の仕事になります(図の左下)。もっとも、避難指示解除前から、帰還の準備に、復興庁が仕事を始めています。

また、朝日新聞は3面に、大月編集委員による「復興庁発足5年、32兆円分の責任」が載っていました。
被害が広範囲甚大だっただけに、復興には巨額の経費がかかっています。そして、それは国民の税金です。「地元の要望」と「税金=納税者の目」を考えながら、事業を進めなければなりませんでした。
記事にも出ていますが、高台移転の戸数が、当初の3万戸分から2万戸分に減りました。これは、市町村に住民の意向調査を繰り返してもらい、計画の精度を上げていったのです。時には、復興庁が嫌われてもです。高台移転は山を削り整地し、道路や上下水道を引きと、お金がかかります。当初は戸建てを立てたいとおっしゃっていた避難者の中にも、公営住宅に入るという方も出てきました。そこで、事業を縮小したのです。他方、公営住宅は当初計画の2万戸が3万戸に増えています。しかし、1戸あたりの国費は、かなり少なくなります。「一度計画を作ったら縮小しない」という行政への批判に答えたつもりです。
大月記者は、発災当初から引き続き復興を追いかけてくださっています。長期的に現場と行政を見てくださっていることは、ありがたいことです。