朝日新聞8月29日オピニオン欄「戦後400年!」、堺屋太一さんの発言から。
・・・400年前に大阪はいわば焦土となりました。大坂夏の陣で豊臣氏が滅ぼされ、大坂城が落城した。そんな場所はそのまま衰退してしまうのが歴史の常識でしょうが、大阪は違いました。
「八百八橋」をはじめとして様々な異名がありますが、江戸期の大阪を表す最も的確な言葉は「天下の台所」でしょう。諸大名がコメや特産物を売るための蔵屋敷が軒を並べ、西国を中心に全国で生産されたコメが大阪に持ち込まれ、金や銀などの通貨と交換されました・・・
・・・大坂の陣の後、淀川の中州を開発し、現在の中之島を整備したのが、豪商・淀屋常安(じょうあん)でした。そこに諸藩の蔵屋敷が集まります。淀屋が架けたのが、今もビジネス街の中心を結ぶ「淀屋橋」です。
息子の个庵(こあん)は天才的なイノベーターでした。大名の蔵米販売を引き受け、店前にコメの市を立てました。これが堂島米会所へと発展し、全国の米相場の中心地になります。
大阪の米相場から生まれたのが先物取引です。やがて8代将軍徳川吉宗の時代、世界最初の公認先物市場となり、今や世界に広まる商品先物取引に発展するのです。
この他、繁華街の宗右衛門町や街々を結ぶ多くの橋も、町人たちによって開発されたのが江戸時代の大阪です。
官需なしに住民自ら興した都市は、日本広しといっても大阪ぐらいでしょう。政府の財政赤字が膨大になった今こそ、注目されるべきです・・・