今日4月20日の朝日新聞に、陸前高田市の復興が特集されていました「陸前高田、復活への1200億円」。
陸前高田市は、町の中心がすべて津波で流された、最も大きな市です。2,500棟が並んでいた市街地が、すべて流されました。私は、発災直後4月2日に、当時の菅総理のお供をして、ヘリコプターで視察しました。そのときの衝撃的な風景は、今も目に焼き付いています。とにかく、空が広いのです。なぜだろうと考えました。建物がないだけでなく、電線と電柱がないので、空が広いと感じたのです。あれから4年が経ちました。先日視察したことを書きましたが、計画ができて、事業が急ピッチで進んでいます。
さて、記事を読んでいただくとして。かさ上げの面積は127ヘクタール、東京ディズニーランド2.5個分です。盛り土は1,242万立方メートル、東京ドーム9杯分です。総事業費1,200億円。新しい町には、6千人が暮らす予定です。一人当たりに換算してみてください。記事には、人口減少と高齢化が予想される町に、巨額の予算をつぎ込むことについての議論が載っています。
陸前高田市以上に、より僻地の集落について、「高台移転や土地のかさ上げなどの復興をするより、各世帯にお金を渡して都会に出てきてもらった方が、効果的ではないか」という意見もあります。これは、経済合理性と、ふるさとへの思いとの比較です。しかしこれは、同じ物差しに乗っていないので、比較にならないのです。
そして、裏の畑を耕し、ご近所の婆ちゃんとお茶を飲み、世間話をして暮らしている高齢者にとって、都会のアパートに出てくることは、生きがいとつながりを失うことになります。することがなく、知った人もいない場所での生活が、高齢者にとってどのような意味をもつか。人は、環境と他人とのつながりの中で生きています。そして、自らの生きがいと一緒に生きています。移植可能な植物ではありません。極端な言い方ですが、これまでの暮らしから「引き抜かれる」と、私ならボケが始まるでしょう。私の両親を奈良から東京に呼び寄せても、同じことが起こります。「お金を渡して出てきてもらったらどうか」と聞かれる度に、私はこのように答えていました。あなたは、どう考えますか。
もちろん、1,200億円もの巨額の予算をつぎ込むことができるのは、国民の負担で支援できているからです。陸前高田市の発災以前の財政規模は100億円、市税収入は10億円程度でした。市だけの負担では、とてもこれだけの事業はできません。