社会の変化と地位の変化。百貨店と銀行

4月13日の日経新聞「シリーズ検証 流通革命50年の興亡」は、「老舗百貨店、まさかの統合」でした。三越と伊勢丹、松阪屋と大丸、阪急百貨店と阪神百貨店。伝統ある百貨店が、2007年前後に、相次いでライバルと合併しました。当時このニュースを聞いて驚きました。
記事には、1960年以降の、百貨店とスーパーマーケットとコンビニエンスストアの売上高が、折れ線グラフで出ています(もっとも、昔はスーパーもコンビニもなかったので、それらの数値は途中からです)。
日本の経済成長や業界の発展を反映して、それぞれ初めのうちは右肩上がりですが、1981年にスーパーが百貨店を抜き、1990年頃から百貨店が右肩下がりになります。そして、2007年にコンビニが百貨店を追い抜きます。
J・フロント(松坂屋+大丸)の奥田努相談役が、1970年代のアメリカの事情を語っておられます。アメリカでは、1970年に200社あった百貨店が、1990年には150社になり、2006年には20社を切ったとのことです。
百貨店の合併も驚きましたが、1990年代の都市銀行の合併の方が激しかったです。若い人は、知らないでしょうね。私の大学の同級生がたくさん金融機関に就職しましたが、数年前の同窓会で、同じ名前の銀行や証券会社にいたのは一人もいませんでした。
私は、先進国へ追いつく過程で、次の3つが大きな機能を果たした(地位が高かった)。しかし、追いついたこと、そして日本社会が成熟したことで、そのままでは意義が薄れたと、指摘したことがあります。まあ、話を極端にしているので、そう思って読んでください。
1つは、官僚です。日本が進むべき方向を示します。それは富国強兵、産業振興、インフラとナショナルミニマムのサービス整備でした。
効率よく機能したことで、日本の官僚制は高い評価を得ていました。しかし、目的を達成したことで、そのままの「業態」では、意義が薄れます。
2つめは、銀行です。産業振興やインフラ整備の際に、資金を供給します。これも、間接金融が主要な時代は大きな役割を果たしますが、直接金融の時代になると、存在意義が薄れます。
3つめは、百貨店です。官僚が方向を示し銀行が資金で後押しした「成果」である経済成長を、消費の面から象徴するのが百貨店です。豊かになった庶民が、あこがれの品を買いに行きます。しかし、これも日本が先進国に追いつくことで、あこがれの品はほとんど手に入るようになり、百貨店のありがたみが薄れます。かつては、百貨店のイギリスフェア、フランスフェアが賑わい、大食堂がハレの場でした。サザエさんや、ちび丸子の世界です。
銀行と百貨店にあっては、バブル景気による「見せかけの栄華」と、そのあとの「転落」が、合併などの結果につながりました。