人間は、自然と社会を理解でき、制御できる

佐藤俊樹著『社会は情報化の夢を見る―“新世紀版”ノイマンの夢・近代の欲望』(2010年、河出文庫)を読みました。この本は、『ノイマンの夢・近代の欲望―情報化社会を解体する』(1996年、講談社選書メチエ)を増補・改訂したものです。
元の本を読んだときに、佐藤先生は「いつもながら鋭いなあ」と感心しました。先生は、『不平等社会日本ーさよなら総中流』(2000年、中公新書)で、現在の日本の不平等論に、火をつけられました。
IT技術が、急速に発達しています。「情報化社会」や「高度情報化社会」という言葉が、はやり言葉になって久しいです。20年ほど前に、「3K」という言葉が、はやりました。高齢化、高度情報化、国際化です。「それによって社会が変わる。行政も、それに対応しなければならない」という主張でした。
先生は、ものの見事に、その情報化社会の「夢」を、打ち壊します。すなわち、IT 技術が、社会を変えることはない。社会の方が、技術の使い方を規定する。そして、IT技術の進歩は、情報化社会の到来をもたらさない。これもまた、近代産業社会の中での出来事(商品)でしかない、とです。興味ある方は、ぜひお読みください。情報化論と言うより、社会学です。しかも、元の本が出て15年経っても、状況に大きな変化はありません。その比較については、本をお読みください。
さて、私がこの本を読んだ(読み返した)のは、この主張とともに、次のような先生の主張を、確認したかったからです。
一つは、近代産業社会は、人間が科学技術の力を借りて、自然を支配できると考えるようになった。あわせて、社会技術によって社会を制御できると、信じたということです(p212)。
私が少し敷衍すると、近代と中世の違いは、科学革命です。自然界も社会も、中世に信じられていたような、理解不能な神の摂理や、神の恩寵で動いているのではない。そこには、科学的な法則があるという思想へと、転換しました。
自然科学は、自然の法則を発見し、自然界を制御できるという思想に成り立っています。物理学、化学、生物学、天文学、医学、工学・・。
社会科学も同様に、社会の法則を発見し、社会を改良し、制御できるという思想に立っています。政治学、法律学、経済学、社会学、教育学、歴史学・・。もっとも、自然科学・科学技術に比べ、社会科学・社会技術は社会を制御する点において、良好な成果を挙げたとは言えませんが。
この項続く