法律や役所機構は、ある政策を継続的に実行させるための「仕組み」です。政府として、国民に対し「このような方針や基準で、政策を行います。これに従ってください」と示し、公務員に対しては「この方針や基準に従って、仕事をせよ」と命じます。
その観点からは、政策やものの考え方を「固定」するものであって、改革する志向は内在していません。制度とは、関係者の行動を定型化するための仕組みであり、それは改革とは相容れません。
ところが、大学の教授には、二つの側面があります。一つは、定説を学生に教える教育者です。もう一つは、新しい事実や学説を探す研究者です。前者は固定化作用であり、後者は改革作用です。
そこから育った卒業生にも、その2つの志向があります。特に科学技術者にあっては、大学に残って研究や教育に従事する人の他に、会社に入って現場や研究所で、大学で習ったことを現場で実践するだけでなく、新しい技術や新製品を開発します。すると、大学や研究所は、改革志向を内在しているのです。もっとも、ここまでに述べてきたように、それは通常科学の範囲であって、パラダイム転換は期待できません。
では、社会科学の分野では、どうでしょうか。教師、公務員、弁護士、ジャーナリスト。そこにも、大学で習ったことを実践するだけでなく、新しい課題を拾い上げ解決する志向があるはずです。ただし、ここでも通常の改革や改善の範囲であって、大きな改革は期待できないということでしょうか。
また、役所にあっては、企画部や総合政策局のように、既存政策を実行するのではなく、新しい政策を考える部局も作られています。すると、この企画部や総合政策局に、どのような課題を与えるか。その責任者の考え方と職員の発想が、重要になります。もっとも、それら部局も、所属する組織を否定するような改革案は出せません。
なお、自然科学と社会科学の未来志向の違いについて、かつてこのページで、次のようなことを紹介しました(2005年6月24日)。
・・東京大学出版会のPR誌「UP」6月号に、原島博教授が「理系の人間から見ると、文系の先生は過去の分析が主で、過去から現在を見て、現在で止まっているように見える。未来のことはあまり語らない。一方、工学は、現在の部分は産業界がやっているで、工学部はいつも5年先、10年先の未来を考えていないと成り立たない」といった趣旨のことを話しておられます・・。