明治の地方制度改革

松元崇・内閣府官房長が、『山縣有朋の挫折、誰がための地方自治改革』(2011年、日本経済新聞出版社)を出版されました。
明治維新の後、日本の地方制度をつくったのは、山縣有朋です。明治憲法は伊藤博文が中心になってつくりました。二人が分担して、国政と地方政治の骨格をつくったのです。その際に、憲法に先んじて、地方制度がつくられました。地方政治の安定なくして国政の安定がないと、認識されていたのです。
明治政府がつくった地方自治制度が安定的に運営され、その後、発展する条件もあったのに、なぜ分権運動が挫折したか。この本では、山縣の変身に一つの原因を求めています。日露戦争に備えるため、地租増税が行われ、地方の財源が国に吸い上げられたことが、地方自治の発展を阻害したというのです。
もっともこの本では、その点にだけ焦点を当てるのではなく、江戸時代から太平洋戦争、戦後改革までに及んでいます。そして、江戸時代の「地方自治」が良く機能し、それがあったからこそ明治維新が達成できたこと、 関東大震災によって分権が挫折したことなど、単なる制度改革を追うのではなく、社会経済条件と関連づけた分析が書かれています。興味深く勉強になります。
松元官房長には、私も内閣府勤務の時にお仕えしましたが、お忙しい勤務の後でこれだけの本を書かれることに、脱帽です。ちなみに、注が約100ページあり、参考文献が100冊近く載っています。松元さんは旧大蔵省出身です。主計官の時に、地方財政に関心を持たれたとのことです。