先日、三島憲一著「現代ドイツ-統一後の知的軌跡」(岩波新書、2006年)を読みました。机に向かっているときは、ほとんど原稿を書いているか、このHPを加筆しているので、もっぱら布団の中での読書になってしまいます。
それは、さておき、なかなか考えさせる本でした。私は、ドイツ統一を政治の大きな企てとして、関心を持っていました(例えばヨーロッパで考えたこと)。この本は、統一後15年を経たドイツを、制度や経済でなく、政治思想・政治哲学から分析しています。政治思想からの分析は、数字で実証できないので、なかなか難しいものです。エピソードの羅列になる恐れもあります。その点の評価は、それぞれ読んでいただくとして・・。
筆者は、次のように指摘します。EUの統合は、国家単位でものを考える思考から、抜け出ようとする企てであった。民族単位で国家を作り、その国家同士が競い合うという、権力政治的な考え方からの訣別であった。それに対し、ドイツ統一を支えた思想は、同じドイツ人ならば、それだけで統一は正当化されるという暗黙の前提に依拠していた。この前提は、一見当然に思えるかもしれないが、ドイツ人というのは歴史上のある時期に偶然の政治的理由による線引きで、できあがった人々を指す言葉に過ぎない。
そのほか、東ドイツ解体吸収が生んだ精神状況、ネオナチ暴力への評価、ナチスの犯罪をめぐる論争、イラク戦争をめぐるアメリカとの距離など、政治家・知識人の思想の葛藤と戦いが、書かれています。
15日の日経新聞中外時評は、平田育夫論説副主幹の「広がるか、談合の自首」でした。「今年1月施行の改正独占禁止法は、談合など違法行為を自首(申告)した企業には課徴金を減免するようにした。『日本の企業風土に合わない制度。とても機能しないだろう』。専門家の多くはそう予想していた。ふたを開けてみれば実施から3か月で26件、その後も月に4-5件の自首がある」
日本の風土といった理由付けは、怪しいことも多いですよね。