29日の朝日新聞夕刊「ニッポン人脈記」から。
「大相撲の支度部屋ではいま、ロシア語が共通語として飛び交っている・・相撲と無縁の国々から、突然力士が来るようになったわけではない。20年以上にわたって異国に種をまいてきたのは、日大相撲部監督の田中英寿である」
「田中の相撲人生を変えたのは、79年、朝日体育賞の授賞式だった。全日本選手権の3度制覇や指導者としての実績を評価された、相撲界からの受賞は初めて。晴れがましい思いで壇上に上がった。居並ぶ他の受賞者は、柔道の山下泰裕、マラソンの瀬古利彦、体操の監物永三、塚原光男ら。自分は全日本レベル、自分以外は、世界レベル。そう気づき、愕然とした」