加藤晴久著『ブルデュー 闘う知識人』を読んで、なるほどと思った一番の点は、ブルデューの生い立ちとその主張との関係です。
ブルデューは、フランス南西部の田舎の出身です。そして、地方の中心都市の学校へ、次にはパリへとフランス最高の秀才コースに進み、エコル・ノルマル・スュペリユールを卒業します。このエコル・ノルマル・スュペリユール、特に哲学科のとんでもないエリート扱いについては、追って紹介しましょう。その過程で、田舎とパリ、農民とエリートとの格差に気づき、たぶん悩んだのでしょう。「文化資産」という概念は、そこから生まれたのだと思います。
加藤先生は、次のように書いておられます。
・・・日本でもそうだが、どこの国でも、芸術・学問の分野で、大きな業績を残す人たちには、地方の出身者が少なくない。地方に生まれ育った人間は首都に強く憧れる。それこそ首都に乗り込んで「一旗揚げたい」という野心を抱く。そして、頭角を現すには主流に挑戦する「前衛」にならざるをえない。変革はつねに中心に対する周縁からの挑戦、異議申し立てにはじまる・・・ブルデューも、フランスのど田舎の出身である・・・p17
ブルデュー自身は、次のように書いています。
・・・フランスでは辺鄙な地方出身であることはーその地がロワール川以南である場合はとくにー植民地状況のうちに同等物を見いだしうるようないくつかの特性を付与するものです・・・これがフランス社会の中心的諸制度、とりわけ知的世界に対するひじょうに特殊な関係をつくりだすのです。さまざまな形の隠微な社会的レイシスム(注)が存在するために、ある種の透徹したまなざしを養います・・・p15 (岡本注 人種差別の意味でしょうか)
この文章も、一度読んだだけでは、理解しにくい文章です。
ブルデューは、『自己分析』で、次のように自らの学校生活を振り返っています。町の寄宿舎に入ったとき、町の子は、田舎者をいじめるのです。
・・・こうした双対の経験は学校世界での高い評価と社会的出自の低さとの間の大きな隔たりの結果であるところの、緊張と矛盾を孕んだ分裂ハビトゥスの形成をいっそう促すことになった・・・p155