「少し古本を処分4」の続きです。果てしないような作業で、苦しみつつ続けています。と書きながら、楽しんでいます(苦笑)。先週末も3箱を知人に預け、3箱分を捨てました。
この記事を読んだある人が、厳しい意見を送ってきました。「『明るい公務員講座』には、書類を貯めずに整理せよと書いておきながら、書いた本人は整理が悪いではないか」「言行不一致か」とです。
書類も本も大方は整理はされているのですが、捨てることができないのです。図書館だって、めったに見ない本も保存してあります。私の書斎は、私設図書館なのです。もっとも、床に積み上がった本の山は、何がどこにあるかわからず「図書館」とは言えません。そして、多分二度とみることがない本をなぜ取っておくのか。問われると答えられません。
かつて作った資料や雑誌に寄稿した記事なども、困りものです。例えてみれば、写真とそのアルバムですね。記念に取ってあっても、ほぼ見ることはありません。かといって捨てられず・・・。
我ながら、諦めの悪い奴です。書斎の棚、床、階段脇、寝室の壁沿いという空間が満杯になって、ようようあきらめたということです。
あわせて、職場に置いてある資料や本を、整理しました。原稿を書くためのものと、学者さんたちに経験を話すための過去の資料です。これらも、捨てるものと自宅に送るものに分けました。「自宅に送るもの」が難題です。それを受け入れる空間を作らなければなりません。これまで整理した成果で、本棚がいくつか空きました。これで、収納できそうです。
電子書類は、もっとたちが悪いでしょうね。場所を取らない、他人から見えないのです。紙の書類が貯まると、机が狭くなり、上司から指導が入るでしょう。「山積みされた資料、下の方は化石になっている」と表現していたのですが、電子データはこの例えが使えません。
ところが、職場では異動の際に持っていかないかぎり、電子データは消えます。いくつかの職場では、個人の保存データ総量に限界をつけたり(意図的に少なくする)、2年以上開かないファイルは強制的に削除したりして、保存データが増えないような工夫をしているようです。共有フォルダーは、担当者が定期的に削除しているのでしょうね。
他方で、自宅のパソコンは定期的に整理と削除をしないと、とんでもないことになりますよ。でも、本と違って、肉体労働をしなくても、「削除」のボタン一つで消えてしまいます。