あの日2011年3月11日から、10年が経ちました。その9年半を、復興に従事しました。しばしば使う表現ですが、「長かったけど早かった」というのが、私の感慨です。多くの市町村長も、同感してくださいます。
これまでにない災害で、当初は先行きも見えず、走りながら課題を解決してきました。津波被災地では、5年目くらいで先が見えてきました。もっとも、その後も次々と新しい課題が出てきたのですが。原発被災地では、まだ避難指示が解除できていない地域もあります。津波被災地とは違った、難しい問題です。
テレビや新聞も、関連の報道で埋まっていました。10年という一つの区切りを思わせるものでした。
津波被災地では工事が終わり、復興はほぼ完了しました。10年でここまで来ると予想した人はいなかったでしょう。また、産業再開、コミュニティ再生支援に乗り出すと考えた人もいなかったでしょう。その点では、及第点をもらえると思います。にぎわいの回復など、残された問題もありますが、地域の人たちで解決していって欲しいです。
原発被災地では、まだ復興は始まったばかり、まだ着手できないところもあります。しかし、10年でここまで帰還できると想像した人も少なかったでしょう。予想に反して、放射線量の減衰が進んだからです。もっとも、まだまだ長期間にわたる対策が必要です。政府が最後まで責任を持って、復興を成し遂げて欲しいです。
5年目の節目には、次のようなことを書いていました。まだ復興事業の真っ最中でした。「5年目の3月11日」。また「東日本大震災 復興が日本を変える」をまとめました。
さて、次の10年はどのようなことができて、どのように評価されるか。行政の役割は、過去を振り返ること以上に、これから何をするかが重要です(「官僚の仕事は未来との対話」「日経夕刊コラム」)。2031年に、胸を張れるように努力してほしいです。