8日の朝日新聞夕刊文化欄で、長友佐波子さんが「格差社会、抜け落ちた視点。『女性はパート』で差別」を書いておられました。日本では、男性は正社員、女性はパートという図式が、女性とパートを差別してきた。パート労働者は正規に比べて待遇が悪いのが当たり前。平成不況後、男性がパートに大量に入ってきて、大問題になったが、パート差別はずっと問題だったという指摘です。正しい指摘ですね。女性とパートを二重に差別してきた。それを当たり前と考えていたのです。それが、ここにきて顕在化したのです。
日本の労働法制は、夫は働き、女性は結婚してその扶養者になることを前提としているようです。社会保険も、妻は夫の扶養者になる建前でできています。一方で、欧州ではパートと正社員も、同じ仕事は同じ時給、保険も適用されるそうです。そもそも、「正規職員・非正規職員」に当たる英語がないそうです。日本では、同一賃金同一労働ではありません。差別をなくし、格差をなくし、複線型社会をつくるためには、この社会システムを変える必要があるのです。
日本では、18歳か22歳の時の入社試験に勝った人が勝ち組です。新卒一括採用・年功序列・終身雇用・退職金で、勝ち組は守られます。そこに入れなかった人は、負け組です。これを変えるためには、パートと正社員の処遇を近づけることが必要です。でもそれは、勝ち組の処遇を引き下げることになるでしょう(賃金総額が同じとすれば)。それは、勝ち組も労働組合(=勝ち組の既得権保護団体)も反対することなのです。
日本には、ジョブ・ディスクリプション(職務記述書、職務内容書)がないことも、この現れだそうです。職務記述書とは、それぞれの職員が担当する職務の内容を書いたものです。会社は、仕事の内容を明示し、その仕事に対してこれだけの給料を払うと提示します。まあ、労働を商品だとしたら、当たり前のことですよね。これだけの仕事をしたら、これだけ払うということですから。欧米だけでなく、アジアでもこれが当たり前だそうです。
一方、日本では、「月給××円。委細面談」です。また私のような職場では、滅私奉公、無定量の労働を求められ、その代わり最後まで面倒見てやるから、という仕組みでした(もっとも、過去形になりつつあります)。これだけ働いたらこれだけ給料を払うという仕組みではないのです。逆に、これだけ働かなくてもこれだけ給料を払うということも、まかり通っていました。世界で展開している日本の大企業は、どのようにしているのでしょうか。日本人には年功序列システムを適用し、外国人には同一労働同一賃金システムを適用して、別制度を同居させているのでしょうか。