カテゴリー別アーカイブ: 再チャレンジ

行政-再チャレンジ

外国人の受け入れ、地域での共生

1月7日の毎日新聞1面トップは「外国籍の子 修学不明1.6万人」でした。

・・・日本に住民登録し、小中学校の就学年齢にある外国籍の子どもの少なくとも約2割にあたる約1万6000人が、学校に通っているか確認できない「就学不明」になっていることが、全国100自治体を対象にした毎日新聞のアンケート調査で明らかになった。既に帰国している事例もあるとみられるが、外国籍の子は義務教育の対象外とされているため就学状況を確認していない自治体も多く、教育を受けられていない子どもが多数いる可能性がある・・・

入国管理法が改正され、外国人労働者受け入れを拡大することになりました。それ以前に、既に大勢の外国人が、日本で暮らしています。
その人たちを、日本社会にどのように受け入れるか。共生の仕組みが問われています。既に、1980年代に日系ブラジル人を受け入れて、課題はわかっています。
言葉の問題、生活習慣の問題、ゴミ捨てルールから始まって、教育、病気、事故・・・孤立させてはなりません。特に子供がかわいそうです。
地域社会と自治体が、その前線になります。それを、国としてどのように支えるのか、これが課題です。
参考「天皇陛下、お誕生日記者会見

夏目漱石の孤独

10月12日の朝日新聞文化欄「いま読む漱石」、奥泉光さんの発言「人と交われぬ孤独が主題」から。

・・・一見明るい『坊っちゃん』だが、奥泉さんは「暗い」という。相手にけしかけられて2階から飛び降り、ナイフで指を切る。「こういう人は困りますよね。他人とコミュニケーションが全く取れない」。生徒にからかわれて激怒するだけ、彼らと仲良くならない。「もし20年後に同窓会があったなら、当時対立していても同じ土俵でやりあった赤シャツと山嵐が仲良くしゃべっているかもしれない。生卵を投げていた坊っちゃんは、その同窓会に呼ばれてすらいないのではないか」

『吾輩は猫である』も奥泉さんが読めば「あの猫ほど孤独なものはいない」。車屋の黒や三毛子は3章以降に消え、その後は人間しか出てこない。「猫は人間の言葉を理解している。しかし人間は猫が言葉を理解していることに気づかない。このコミュニケーション不全はつらい」

漱石が書いていたのは、「コミュニケーションに失敗する人の孤独」だ。現代人にそのまま重なる。「孤独になりたいわけではない。人と交わりたいのにそれができないがゆえに孤独に陥る。深刻な孤独の位相が繰り返し出てくる」・・・

失敗した場合を教える教育、スウェーデンの中学教科書

8月4日の朝日新聞読書欄に、尾木直樹さんが、『あなた自身の社会―スウェーデンの中学教科書』を紹介しておられました。「教育に感じる若者への信頼

・・・「あなた自身の社会」。教科書のタイトルにも、日本の公を優先する「公民」とは違って個の人権を尊重し、主権者を育成する思想が浮き彫りになっている。
特筆すべきは、社会の負の面の取り上げ方だ。暴力と犯罪、アルコールと麻薬、いじめ、離婚・・・。まず、それらの問題の背景に客観的・多面的・科学的に光を当てる。日本の道徳教育が陥りがちな「説教」的にではなく、徒(いたずら)に恐怖心に訴えもしない。「失敗」を犯してしまった場合に立ち直る方策や社会的保障も、複数の視点から丁寧に紹介する。ここには、今後直面するであろう様々な問題に真摯に向き合い、乗り越えてほしいという若者への「信頼」が感じ取れる・・・

このスウェーデンの社会の教科書は、拙著『新地方自治入門』でも引用しました。授業でも紹介しています。
特徴的なのは、失敗を犯した子供が立ち直る過程を教えること、社会保障などを教えていることです。
勉強して立派な大人になることを教えることも重要です。しかし、失敗をすることもあり、社会保障のお世話になること(これは権利です)もあります。これまでの日本の教育は前者を教え、後者については触れてこなかったのです。
私の表現では、社会も個人も「坂の上の雲」を目指すことを教え、「坂の下の影」は教えなかったのです。

ところで、この翻訳が出たのが1997年です。その後、スウェーデンでは、どのような改訂が行われているのでしょうか。知りたいですね。基本は変わらないのでしょうが。

孤独という社会問題

7月31日の朝日新聞オピニオン欄「孤独は病か」、岡本純子さん(オジサンの孤独研究家)の発言から。
・・・孤独は老若男女、日本のあらゆる年代に広がっています。誰にでも訪れる短期的な孤独には耐えることも必要でしょう。しかし、人とのつながりがなく、頼る人がいない恒常的・長期的な孤独を放置してはいけません。孤独は多くの人の精神と身体をむしばみ、社会問題にも関わる、深刻な病の一つなのです。

私は、これまでに約1千人の社長や企業幹部のコミュニケーションのコーチングをしてきました。その経験から、日本人、特にコミュニケーションが苦手なオジサンは、孤独に陥りやすいと感じてきました。その理由は、日本独自の文化や価値観にあります。
日本人は一つの会社に長く身を置く傾向があります。会社というムラ社会の内部で重視されるのは、上意下達のタテのコミュニケーション。しかも、内の人との和を大切にしすぎて、望まない人間関係も強いられ、人と関わることに疲れ切ってしまいます。その結果、外の人や異文化とわかり合う努力をしなくなり、フラットなコミュニケーションが苦手になります。

また、日本では、定期的に集まる教会、市民団体などでの活動などがあまり身近にありません。人と人とのつながりや信頼関係を意味する、ソーシャルキャピタルの充実度のランクは149カ国中101位。先進国で最低です。最近の「1人で十分」「つながりはいらない」という、孤独美化の風潮が、日本人の孤独化を悪化させることを危惧しています。
引きこもり、介護、貧困、いじめなどの社会問題は、誰ともつながらず、孤独であると深刻化します。様々な事件でも「周囲からの孤立」が背景にある場合が多いのです・・・

ぜひ、原文をお読みください。

1998年、自殺者3万人に

7月22日の朝日新聞連載「平成経済」は「倒産にパワハラ・・・自殺急増」でした。

・・・1998年、日本の年間自殺者数は3万2863人になった。97年までの20年間は多くて2万5千人台だったので、異常な増え方だった。
その後も2003年の3万4427人をピークに、年3万人超えが続く。しかし、「自殺対策基本法」ができたのは06年。自殺は個人の心の問題だから、と法律づくりが遅れたのだ。
NPO「自殺対策支援センター ライフリンク」(東京)は08年、こんな推計を公表した。
98~07年の10年間を、もし97年と同じ自殺数で推移していたとして比べると、経済的損失は全部でいくらになるか。結果は、4兆3900億円!
「社会の生きづらさ、息苦しさなどを数字にしてカウントしたら、経済的損失はケタ違いになります」と、代表の清水康之さん(46)。
ライフリンクをおこして14年、清水さんは「生き心地のよい社会」をめざしてきた。清水さん、平成はどんな時代だと言えますか?
「日本の化けの皮がはがれた時代、ですね」
敗戦後の日本は、どんどん豊かになると思っていた。それは幻想だった。倒産、リストラ、低賃金。セーフティーネットもなく人々が追い詰められる。日本はそんな国だった。

とはいえ法律ができ、国、自治体、企業、民間団体が対策に取り組んできた。その結果、12年に自殺者は2万人台に戻り、減少傾向が続いている。
もっとも、自殺者が減ってきたことを、手放しで喜ぶことはできない。
厚生労働省は18年版の自殺対策白書で、今の日本でも人口10万人当たりの自殺者数「自殺死亡率」は世界ワースト6位と位置づける。
さらに、佐藤久男さん(74)は言う。秋田市にある自殺対策のNPO「蜘蛛の糸」、その理事長だ。
昭和は「1億総中流社会」だった。平成で「格差社会」になり、格差が固定化してきている。「がんばってもはいあがれないと、人は絶望へと追い込まれかねません。富める者から富めない者へおカネが回る循環型経済にしないと、危うい」・・・
詳しくは、原文をお読みください。

7月21日の日経新聞連載「平成の30年」は「脱・会社人間 模索続く働き方改革」でした。こちらもあわせて読んでください。
栄養ドリンク「リゲイン」のCM「24時間戦えますか……」、「5時から男の、グロンサン」も出てきます。
ところで、グラフに総実労働時間の推移が載っているのですが、「1985年175.8時間、2017年148.4時間」とあります。これは何を表しているのでしょうか。年間労働時間は「1993年の1920時間から、2016年の1724時間まで減った」と記事にはあります。