砂原庸介大阪市大准教授が、『大阪―大都市は国家を超えるか』(2012年、中公新書)を出版されました。ご本人による紹介は、こちら。
「大阪」という表題がついていますが、大阪の文化や歴史を紹介したものではありません。大阪(市と府)を対象とした、都市政治論、日本の地方政治行政論です。いくつかの対立軸を立てて、歴史的にそして構造的に大都市論を展開します。
市の中では、都市全体の利益を追求する立場(市長と都市官僚の論理)対個別の利益を追求する立場(議員と納税者の論理)。地方(広域圏)においては、都市の利益を追求する立場対周辺部を含めた全体への均てんを求める立場。それは、国家の立場からは、都市の独自利益追求をどこまで認めるか(分権対集権)という対立になります。これが、副題の「大都市は国家を超えるか」になります。
大阪という、東京に対抗しなければならない宿命を背負った大都市が、どのように発展し、挫折してきたか。丁寧に開発論の歴史を解説し、他方で日本の地方制度論の中に、位置づけています。この流れの中で、橋下市長の「大阪都構想」が分析されています。
新書とは思えない、大きなテーマと重い内容を持った本です。引用文献や注を見ていただくと、学術論文であることが分かります。他方、切れ味よく、歴史と現在を分析することにも成功しています。さらに、市長と議会との対立をどのように乗り越えていくかなど、現実的な提言(学者や扇動家にありがちな抽象論でなく)も書かれています。
事実を丹念に追い、それを大きな流れの中に位置づける。大阪市だけでなく大阪府との関係を見る。そして、日本の地方制度論・分権論の中に位置づける。大変な労作であり、鋭い視角と大きな視野を持った論文です。今後の都市論、地方制度議論に、必須の文献になるでしょう。
この分野において、若きすばらしい研究家が生まれたことを、喜びましょう。
もちろん、大阪と関西の復権のためには、都市制度論だけでなく、その基盤となる経済の復活が必要です。そのためも、制度を運用する行政機構にとどまらない、経済界とともに10年後を見据えた政策を打てる首長と都市官僚が必要です。東京にあっては、この要素を考える必要がありません。大阪の宿命と大阪市・大阪府の課題はそれでしょう。
砂原先生は、大阪だけでなく名古屋などの大都市も含めて、「従来の「国土の均衡ある発展」という理想の実現が難しくなる中で、経済成長のエンジンとなる大都市をどのように扱うべきかを考える」とも述べています。
そこに、国家対大都市、集権対分権を超えて、日本政府(国家)もまた、大都市を生かした日本国家の生き残り戦略を、考えなければなりません。卑俗な言い方をすれば、「金の卵を産む大都市をどのように育てて、世界と勝負させるか。そしてその利益を、国内に均てんさせるか」でしょう。