19日に、地方6団体が、先日知事会が決めた国庫補助金廃止案を、6団体の案と決めました。20日には、その案を、小泉総理、麻生総務大臣ほかに手渡しました。
一方、19日には、中教審が特別部会の中間報告を了承しました。義務教育国庫負担金については、両論併記とのことです。
日本経済新聞は、20日の社説で次のように主張しています。
「中央集権的な国の一律規制による学校教育の仕組みは、さまざまな弊害を現場にもたらした。私たちは、財政や学校経営、教職員人事などを地方の裁量に任せることで義務教育の再生を求めてきたが、中教審の論議がそれに十分応えたとはいえない。」
「成熟した社会の多様な要求を踏まえて学校に託されるのは何か。『ローカル・オプティマム』(地域の最適な状態)実現へ向けたシステム作りが必要だ。」(7月20日)
21日の日本経済新聞は、「三位一体改革、郵政の陰に」「首相、反対派にらみ慎重」を解説していました。
毎日新聞社説は「義務教育費、地方の意欲生かす方法で」でした。「ここは原則論に立ち返るべきである。・・しかし、日本の教育行政は、戦後になっても、強力な中央統制が特徴だった。文部省を頂点とする上意下達の硬直的な統制が、地方の創意工夫を阻んできた例は少なくない。例えば40人学級を厳格に維持し、長い間地方独自の少人数教育を認めてこなかった」
「今回の中教審審議で『地方に移すことによって何ができるのか』などの質問が現状維持派から出されたが、逆立ちした議論だ。義務教育は、子供の居る地方の自主的な活動が本来の姿なのである。
戦後60年。文科省の親心も分からなくはないが、もう過保護、過干渉から脱してもいい。国は制度の大枠を決め、支援することを役割の中心に据えるべきだ。教職員給与半額負担を手放すことが、国の責任放棄に直結するわけではない。依存体質が染み付き、自主的活動に消極的だった地方の側が、今回は珍しく意欲を見せている。それを拒む理由はない。」
東京新聞社説は「義務教育費、税源移譲で自立の道を」でした。(7月21日)
23日の朝日新聞は、「義務教育費正反対の二人、中山文科相『地方意見、完全に論破』、麻生総務相『地方の自由度拡大を』」を載せていました。
「中山文科相は、地方6団体が制度の廃止を求めていることについて、『私から見ると完全に論破されている。主張の根拠が理解しがたい』と批判。『税源移譲されても地方によってアンバランスになる』と述べて、存続を訴えた」。
文科大臣が、こんなこと言っていいのですかね。この人たちは、いつも高等学校のことを無視します。自分の意見に都合が悪いことは。
この論理だと、「国庫負担金のない高等学校教育は、アンバランスである。しかし、文科省は責任をもたない」あるいは、「高等学校教育はアンバランスである。それでもいっこうに問題はない」ということですか。
国庫負担金を受けていない、私立学校関係者や高等学校関係者の人たちは、なぜ怒らないのでしょうか。
新聞記者さんも、大臣に「それでは高校はどうなるんですか」と、質問してほしいです。(7月23日、24日)
22日の日経新聞夕刊は、谷隆徳編集委員の「知事会、補助金削減案を提示」「総選挙も視野に議員けん制」を載せていました。「秋以降、具体化への協議が始まるが、改革の第2ラウンドには、不透明感が漂う」です。24日の読売新聞は「三位一体改革の失速懸念」「首相、族議員の刺激避ける?」を載せていました。「三位一体改革に暗雲が漂っている」です。
25日の日経新聞は、横山晋一郎編集委員が「義務教育費巡り中教審が中間報告、国と地方溝なお深く」を解説しておられました。
私の主張は、「教員の給与を国が半分負担しようがしまいが、教育内容には全く関係ない」です。(7月25日)
26日の朝日新聞は、郵政法案審議が予算のシーリング決定に影響を与えていると書いていました。それに合わせ、内田記者が「三位一体も不安」を解説していました。(7月26日)
27日に、指定都市市長会が、生活保護に関する各月の基礎数値を国に報告することを、停止することを決めたそうです(28日付、朝日新聞、読売新聞他)。厚生労働省が、生活保護費の国庫負担率引き下げを計画していることへの「対抗措置」ということです。
以下、記者さんとの会話。
記者:なぜ、事務そのものを国へ返上しないのですかね?
全:それは、国民が困るからだろう。
記:だって、生活保護って、国が本来行うべき事務でしょう。
全:そうだよ。法定受託事務のはず。
記:だったら、国に事務を返上して、国が直接事務を実行すればいいじゃないですか。
全:それも一つの考えだけどね。
記者:義務教育について、国が責任をもたなければならないと、文科省が主張しているのも、それなら教員を国家公務員にすれば良いのですよ。
全:その限りにおいては正しいけれど、地方分権にはならんわな。(7月28日)