カテゴリー別アーカイブ: 社会

社会

内部告発

朝日新聞夕刊が、4月20日から「内部告発の行方」を連載しました。
取り上げられた事例は、アパート建設・賃貸大手会社の施工不備、建築基準法違反。大手遊技機メーカーや内視鏡製造会社の不正会計処理。補助金を受けて建設したサービス付き高齢者向け住宅の目的外使用。郵便局の公職選挙法違反などです。
内部告発制度が、機能していることがわかります。

ところが、この記事が明らかにしているように、内部通報した人は、会社からひどい仕打ちを受けています。
生々しい実態が載っています。会社から、逆に糾弾されるとか。その後、告発者の方が正しいとわかった後、会社は取材に応じません。
内部告発者は、法律で守られているのですが。それを実質的にしないと、勇気と正義感だけでは、なかなかできることではありません。

インターネットを使い、子育ての悩みに答える

4月22日の日経新聞「挑戦者たち」は、アジアン・ペアレント・グループCEOのロシュニ・マタニ・チョンさんの「子育ての悩み アプリが寄り添う」でした。シンガポールに住み、東南アジア最大の子育て支援サイト「アジアン・ペアレント」を立ち上げ、運営しています。
近代化と西洋化で、子育ての方法や意識が変化し、親に教わった子育ての仕方が通用しなくなっています。不安な新米パパとママを、支援する仕組みです。

・・・私たちのアプリは子育て中の親にとって百科事典のようなもの。サイトを訪れれば全ての課題が解決できるので、同じ悩みを持ち続ける必要がなくなる・・・
・・・起業のきっかけは米国での経験だ。大学卒業後、白人の家庭でベビーシッターのアルバイトをした。驚いたのが、しつけの方法だ。子供が悪いことをすると親は「もっと良いやり方はないかな」と諭していた。「そんなことやめなさい」と怒られた自らとは全く違った。

「西洋では子供にも内省させる。罰を与えるアジアのしつけとは違う」。華人系が7割を超えるシンガポールで、インド系として少数派意識を持ちながら育ったマタニは「自分がアジア人であることを実感した」。
マタニの驚きはアジアの親たちの戸惑いに通じる。自分が育てられた時代より豊かになり、欧米から入った自由や自主性を尊ぶ気風も高まった。隣近所の親類から聞く伝統的で画一的な子育ては現実とかみ合わない。では、どうしたらよいのか。マタニのアプリはそんな親たちが疑問や悩みをぶつけ、情報を得ながら自らの子育てを考える新しい舞台を提供している。

妊娠中の服装や環境といった身近な疑問に答えるほか、欧米の子育ての研究を各国語に翻訳して解説する。利用者同士で助言し合うこともできる。利用者は無料で、サイト上の広告や利用者を対象とした調査データの外販で稼ぐ事業モデルだ・・・

隈研吾さん、建築家の仕事に見る社会の変化2

隈研吾さん、建築家の仕事に見る社会の変化」の続きです。
・・・建築設計の世界は、技術を身につけて独立することへのハードルが低い。組織を柔軟に大きくも小さくもしやすい。
ただ日本では、転職をしやすいはずの業種や職種でも、柔軟な組織運営ができなくなっているんじゃないでしょうか。たとえばゼネコン(総合建設会社)の設計担当者も、簡単に独立開業できるはずなのに、そうしない。日本の大企業の終身雇用文化を共有している、というか、させられちゃってるんでしょうね。

大企業とのお付き合いで感じるのは、判断が硬直的で決定が遅いことです。誰かがリーダーシップを持ってばんばん言い、決断していく雰囲気をあまり感じません。時代の変化が激しい中、それでついていけるのでしょうか。

地方の小さな役所の仕事をして感じたことがあります。東京の人より終身雇用から自由で、一緒に仕事をして面白い人が多いんです。地方の役所には自宅で農業などをしていて、役所を辞めても家の生業で暮らしていける人が少なくない。実際、定年前に辞める人も多い。いつでも辞められると思うと、自由に考えて決められるんじゃないでしょうか・・・

隈研吾さん、建築家の仕事に見る社会の変化

4月22日の読売新聞、著名人の経済トークは、隈研吾・建築家の「場当たり的組織に柔軟性」でした。社会の変化を的確に表しておられます。

・・・僕の上の世代ぐらいまで建築家の世界には「出世すごろく」がありました。
若い頃は個性的な住宅を設計する。次は小さな美術館。だんだん大きな公共建築物を手がけるようになり名を成していく。このすごろくに沿って出世のコマを進めていけばよかった。
それは高い経済成長が続き、公共事業が山ほどある時代を前提としていたんです。僕らの世代は低成長期に入り、出世すごろくはなくなりました。
「すごい形」の建築を手がけることは望めません。狭い敷地に小さな商業ビルを作る仕事から始めました。条件が限られる中で、自分が何を楽しめるのかを考えた答えが、材料と細部にこだわること。そして過程を楽しむ、日々の打ち合わせを楽しむことです・・・バブル経済崩壊後の1990年代に入ると、東京の仕事が全くと言っていいほどなくなり、地方で仕事をすることにしました。

現場で実際に手を動かしている職人さんとじっくり話をして、工夫を出し合いました。東京の仕事だと、我々建築家の打ち合わせの相手は建設会社の現場所長さんです。職人さんと話をする機会はありません。
職人さんのやり方は、原理ではなく、状況に応じたその場その場での対応から入っていきます。大学で教える建築は原理を重視しますが、原理を重んじるやり方の限界も感じていましたから、職人さんが下から積み上げていくやり方を学ぼうと思いました。
「場当たり的」「だましだまし」「その場しのぎ」。そんな表現を、否定的ではない意味で使うようになりました・・・

・・・今は時代の大きな変わり目だと思います。住宅市場も、昔は新築のマイホームを建てることが人生設計の前提にあり、そこに住宅ローンと終身雇用がセットになっていた。それが今は、賃貸やルームシェアへの関心が高まっています。
職業観の変化も感じます。かつては東大の建築学科を出たら中央官庁やゼネコンに就職するのが王道でした。最近はそうした「大企業の匂い」が強いところは学生にあまり人気がありません。学生は終身雇用の空気を重苦しく感じているんじゃないでしょうか・・・
・・・建築家も皆と同じ目線で話して、自分で手を動かす人でないとやっていけない。かつてのように「こちらの原理を尊敬しろ」と言うのでは仕事は来ないでしょう。
建築に限らず専門家不信が広がっているのは、20世紀の学問が持つ原理主義みたいなものに、あらゆる領域で限界が見えてきたことがあります。原理と現場、それぞれの良さと限界を知ることが重要です・・・
この項続く

省令に基づく、国民向け英語の表示

3月に国土交通省が、自動運転車を表す表示を公表しました。報道資料
図柄が載っています。AUTOMATED  DRIVE と読むのでしょうか。英語のようです。
「自動運転車であることを示すステッカーを車体後部に貼付」とあります。省令を改訂したとありますから、日本国の法令なのでしょうね。

これって、誰に見てもらうための表示なのでしょうか。日本国内で国民(+外国人)に見てもらうのでしょう。なぜ、それを英語表記にするのでしょうか。
日本語では、なぜダメなのでしょうか。日本語でなく英語にしたのは、どのような理由なのでしょうか。
これをつくった人は、日本人より外国人に見てもらいたかったとは思えません。英語の方が、日本語より格好良いと思っているのでしょうか。

と書いていたら、都知事が「STAY HOME 週間」として、「STAY HOME,SAVE LIVES」「 SOCIAL DISTANCE」と呼びかけていました。日本人向けに、なぜ英語で伝えるのでしょうか?「これくらいの英語は、日本人なら知っていて当然」ということですかね。
子どもにも、英語で教えるのでしょうか。子どもがわからない言葉を尋ねると、「辞書を引きなさい」と教えます。英和辞典を引けというのでしょうか。「やさしい日本語ニュース」では、どのように表現するのでしょうか。

参考「アルファベット日本語、新聞表記」。かつて、次のようなことも書いていました。「カタカナ英語