カテゴリー別アーカイブ: 連載「公共を創る」

連載「公共を創る」第80回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第80回「社会の課題の変化―多くの社会生活問題に共通の背景」が、発行されました。

第71回から「社会の課題の変化」として、成熟社会日本に生まれた新しい不安を取り上げています。それらを、格差と孤立で整理するとわかりやすいです
今回は、格差を取り上げます。「平等な日本」と満足していた私たちを驚かせたのが、格差の拡大です。「一億総中流」と信じていたら、実態は大きく変わっていたのです。
大昔から、そして発展途上時代にも、社会には不平等や格差がありました。しかし現在の格差は、それらとは性格が違います。それは、夢をも奪うものなのです。

連載「公共を創る」第79回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第79回「社会の課題の変化―成熟社会で模索する生き方」が、発行されました。

第77回から、「人間らしい生き方への被害」について、対策が取られたものを説明しています。今回は、うつ病など心の悩みと過労死についてです。
今回も「出世」して、掲載誌の2ページ目からの掲載です。

人の反応を羅針盤とする不安

4月24日の朝日新聞オピニオン欄「私、傷つきやすい人?」、土井隆義・筑波大学教授の発言から。

・・・「繊細さん」現象は、かつての「コミュ障」に似ています。人をさげすむために使われる言葉だったのが、「私はコミュ障だから」と自分に対しても使うようになった。他人とのコミュニケーションがうまくいかない時、「コミュ障なので許して」と、対人関係上の潤滑油や免罪符として使われるようになりました・・・
・・・こうした現象の裏には、「自分は他人にどう思われているか?」と常に考えざるをえない社会があると思います。1990年代前半まで右肩上がりだった日本のGDPの伸び(経済成長率)は、90年代後半からほぼ頭打ちとなります。この時期を境に日本社会は大きく変わりました。
2000年以降の調査では、「努力しても報われない」と考える人が増え、「生きていれば良いことがある」と考える人が減っています。この傾向は若い人に顕著で、「いい学校、いい会社へ入ればOK」といった人生目標は持ちづらくなりました。歩むべき方向が不透明になったぶん、他人の視線を強く気にするようになったのです。

かつては、たとえば「スポーツの試合で勝つため」「音楽コンクールで優勝するため」などと明確な目標がまずあり、人間関係はその目標を実現する手段でした。しかし価値観が多様化した今、人間関係それ自体が自己目的化しています。自分の内部に羅針盤を持ちにくくなり、他人の反応が羅針盤の役割を担うようになりました。
学校で「自由化」「個性化」が叫ばれるようになったのも同じ時期です。たとえば、以前なら出席番号順などで強制的に分けていたクラスの班分けも、「好きなように作ってよい」となった。自主性という名のもとで、「自己責任」化が起きました。それまでは、気の合わない人とも班を組まざるをえないという「不満」がありましたが、「自分はどの班に入れてもらえるのか?」という「不安」が勝るようになりました・・・

・・・人間関係に心をすり減らさない処方箋の一つは、「自分の居場所」を閉じずに複数作ることだと思います。子どもなら、学校の外に作ることです。異世代の集まるダンスグループでも、地域社会などでお年寄りの話し相手をするのでもいい。一つの人間関係に依存するから、「繊細」にならざるを得ないのです・・・

連載「公共を創る」で、成熟社会になり、自由が不安を連れてきたことを論じています。まさに、ここで述べられていることです。

連載「公共を創る」3年目に

連載「公共を創る」の掲載が、3年目に入りました。第1回が、2019年4月25日でした。
当初、骨格を考えたときは、「まあ、1年はかかるなあ」と想像はしていたのですが。こんなにかかるとは。読んでくださっている読者に、感謝します。

たくさんの人に、お世話になっています。事実の確認や図表の作成などもです。特に、文章に目を通してくれる右筆たちに、感謝しなければなりません。読みやすく加筆したり、間違いの指摘だけでなく、私の主張について異なった見方を示してくれます。これは、ありがたいです。そして指摘を受けて考え直すと、その異論の方が正しいのです。

それにしても、良く続いたものです。随筆のように、そのときそのときに思いつくことではなく、全体構成の下で書いています。微修正は加えつつも、この構成で書き続けているのは、褒めてやりたいです。
執筆は、まとめに入っているので、もう半年ほどで完結すると思います。

連載「公共を創る」執筆状況。アンナ・カレーニナ

いつもの、連載「公共を創る 新たな行政の役割」の執筆状況報告です。
成熟社会の新しい不安のうち、「格差」を書き上げ、右筆たちに目を通してもらい、編集長に提出しました。今回も、右筆さんには、たくさん鋭い指摘をもらいました。いつものことながら、感謝です。

引き続き、もう一つの不安である社会生活問題を、「孤立」の観点から書いています。成熟社会の社会生活問題を、すべて孤立で説明することはできませんが、多くの悩みの元には孤立があります。
その過程で、トルストイを思い出しました。ロシアの文豪トルストイの傑作「アンナ・カレーニナ」の冒頭に、有名な文句があります。
「幸せな家族はいずれも似通っている。だが、不幸な家族にはそれぞれの不幸な形がある」。
確かにそうなのですが、現在日本の社会生活問題には、共通の根があるのです。小説は不幸の違いを描きますが、社会学と行政は共通の原因を見つけ、対策を考えます。

私は、「アンナ・カレーニナ」は、読んでいません。19世紀ロシア文学では、ドストエフスキーの「罪と罰」を学生時代に読みました。長編であること以前に、ラスコーリニコフとか登場人物の名前が長く、かつなじみがないので、読みにくかったです。時間以上に、体力が要りますね。