「叙勲」の続きです。そこに書きましたが、福島中央テレビがニュースで私の叙勲を伝えてくれたほか、福島民報と福島民友の2紙も顔写真入りで大きく扱ってくれました(4月29日)。お褒めの言葉も、ありがたいことです。
「東日本大震災直後から9年半にわたり国の復興行政の中枢に身を置き、陰日なたで本件復興を支えた・・・
震災の年の夏、国と地方の意見交換の際のやりとりが復興の原点となった。『支援ではなく、責任を果たす』。福島側からの指摘で国は原発事故の加害者で、罪を償う立場と認識させられた。水面下では、内堀雅雄副知事(当時)と交渉を重ね、後に法定協議会となる国と県との協議の場の設営にこぎ着けた。
『国は責任を放棄できない仕組みになっている。地元の声を聞きながら一歩ずつ復興を前に進めてほしい』。退任した今も福島への思いは色あせない。」(福島民報)
「官僚人生最後の10年間、本件復興に全身全霊を傾けた。2011年夏、自身に向けられたある一言が復興への決意を強固にした。各界代表らを前に『国は最後まで福島復興を支援していく』と宣言した直後、元東邦銀行頭取の故瀬谷俊雄さんから『今の言葉を取り消しなさい。支援じゃない。責任だ」とげきが飛んだ。『加害者である立場を改めて認識した』と振り返る・・・」(福島民友)