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社会

鉄道運転停止のお知らせ

今日、電車に乗っていたら、車内の案内掲示に「××線は、台風のため運転を見合わせています」という趣旨のお知らせがありました。
???
「また台風が来ているのか」とも思いましたが、どうやら先日の台風19号による線路の被害で、運転を取りやめているようです。
「台風のため」ではなく、「台風による線路の被害で」といった趣旨の表現にするべきでしょうね。
もう一つ、「見合わせています」も、日本語の初心者にはわかりにくいですね。「不通」は、外国人には「普通」との違いがわかりにくいので、使っていないようです。

「電車が参ります」という放送も、「電車が来ます」の方がわかりやすいと思うのですが。
これからは、外国人も想定して、分かりやすい日本語を使うべきでしょう。「チャージ金額」「エリアマップ

増大する自然災害被害

10月17日の日経新聞オピニオン欄、カーニー・イングランド銀行総裁へのインタビュー「新たなリスクに揺れる金融」から。

・・世界中で新たな金融リスクが台頭している。気候変動が企業業績に及ぼす影響が増し、情報開示や投資の見直しを求める声が強まっている。IT(情報技術)の進歩は既存金融の枠組みを揺さぶる・・・

・・・気候変動がもたらす金融リスクは主に二つある。一つは実際の災害発生に伴う経済損失だ。日本も近年、様々な自然災害に苦しんでいる。英保険業界によると、過去数十年で自然災害の発生件数は約3倍に、損失額は約5倍に膨らみ、今後も拡大し続けるだろう・・・

自然災害がどれくらい増加しているかを、数値化するのは難しいです。地球温暖化は数値化できますが。台風の大きさや豪雨の大きさは、足し算はできないでしょう。しかし、損失額は近似値として使えますね。

畑村洋太郎先生、失敗に学ぶ

10月18日の朝日新聞オピニオン欄、畑村洋太郎・元政府事故調委員長・東京大学名誉教授へのインタビュー「失敗を直視せよ」から。

――失敗学を提唱されて30年になります。
「成長や進歩に失敗はつきものです。失敗が起きても結果が我慢できる程度に収まるように準備することがなによりも重要です」
「日本の国内総生産(GDP)はここ30年、ほとんど伸びていません。つまり明治維新、高度成長の『成功』の後、『失敗』が続いているのです。世界中の知識や科学を総動員して日本の行動様式や考え方にある欠陥、欠点を改めるべき時期だといえます。今こそ失敗学が求められていると思いますが、そうした論調は出てきません」

――なぜですか。
「日本社会は、失敗に向き合うことが苦手だからです。明治維新がうまくいったことが苦手の根底にあるように思います。世界中に手本になるモノを探しに行って、具合良くできあがったものがどこかにあれば、それを取り込むことにばかり一生懸命になった。技術を生んだ国はドイツもフランスも300年以上数々の失敗を重ねて、痛い目にあっています。日本は明治維新から150年しか経っていない。失敗の蓄積が少ないがために、技術の危うさに気づく人が少ないのです」・・・

――失敗学の成果の実例を一つ挙げるとしたら何ですか。
「2004年の新潟県中越地震で時速約200キロで走っていた上越新幹線『とき325号』が脱線しましたが、100人以上いた乗客・乗務員に死傷者は出ませんでした。1995年の阪神・淡路大震災で山陽新幹線の高架橋が落ちた『失敗』に学んだ結果でした」
「地震の揺れと軟弱な地盤が重なると新幹線の橋脚も壊れうると知って、JR東日本は約8万本の橋脚を全て調べ、一番危ないところから補強を始めていました。その補強した高架橋を『とき325号』は地震発生時に通過していました。現場では地盤の液状化が起こっていて、補強していなければ高架橋が落ちたところに新幹線が突っ込み、大惨事になっていたでしょう」

畑村先生は、このホームページで何度か紹介しています。「存在する答えに向かうことと、自分で答を探すこと」「失敗学

物が増えたこの70年

台風被害に遭った地域での、後片付けが報道されています。たくさんの家財が水に浸かって、使えなくなりました。それらが、災害ゴミになっています。この処分が、大変です。
その映像を見て、物が増えたなあと思いました。
戦後の大きな台風としては、狩野川台風(1958年)や伊勢湾台風(1959年)、第二室戸台風(1961年)が引き合いに出されます。当時は日本家屋は強靱でなく、大風や浸水で壊れたようです。しかし、災害ゴミが大量に積み上げられたことは、なかったのではないでしょうか。

当時は、経済成長が始まる前で、家庭にはそれほど家財道具がなかったのです。タンスやちゃぶ台、お釜などはありましたが。
現在の家にある電化製品のほぼすべては、その当時にはなかったのです。豊かさの象徴となった、電気冷蔵庫、電気洗濯機、白黒テレビを「三種の神器」と呼んだのです。それを買うのが、昭和30年代の多くの日本人の夢でした。
私は昭和30年生まれ、経済成長の及んでいなかった農村(明日香村)で育ったので、この物が増える過程を経験しました。当時の居間には、本当に物は置いていなかったです。
若い人には、想像がつかないでしょうね。物を持たない(世間に物がない)生活でした。もちろん、それだけ不便でした。

家財道具だけでなく、食料品や衣類などもです。大量生産、大量消費の時代が来て、それらがゴミとなった後の始末も大変になりました。市町村が、焼却場を造って、受け入れました。

今和次郎先生が、「考現学」を提唱されました。考古学に対して、今の生活を研究するのです。その調査の一つに、一家の持ち物調べがありました。それぞれの家の中にある、家財や物をすべて屋外に持ち出して、それを記録することだったと記憶しています。松岡正剛さんの紹介
昭和30年代と現在とを比べると、その数の増え方にびっくりすると思います。

学校教育の目的の変容

佐藤文隆著『歴史のなかの科学』(2017年、青土社)を読みました。そこに、理工系大学院の、戦前と最近との風景の違いが書かれています。

戦前はごく限られた秀才が行くところで、士族の職場だったと書かれています。そして戦後。1950年から21世紀初めまで、第一次産業就業率は48%から5%に減り、高校進学率は42%から97%へ、大学進学率は10%から51%に増え、日本社会は激変しました。
・・・一番大きな変動は、職の世襲を大きく支えていた農業が縮小し、職業の自由選択といえばかっこいいが、実態は職業の不安定化が始まったのだ。この社会変動は、高校や大学にとっても全く新たな事態であった。今でも子供が「スター歌手になりたい」、「洋画家になりたい」と言い出したら親は当惑するだろう。趣味として歌唱や洋画を「したい」なら分かるが、食っていける職業への定番コースがあるのか?と。たぶん1960年以前なら、大多数の家庭にとっては「研究者になりたい!」も同じ当惑を引き起こしただろう・・・(P150)

・・・高校の現状は、学問世界の知識を伝授する従来型の授業と並び、あるいはそれ以上の大きなウェイトで、大人になるためのケアの一切を引き受ける施設に変貌しているからである。健康・体力から自己表現・協調・共感など、従来の伝統社会では親戚や地域や職場の共同体が担っていた「大人になる」転換期のケアの一切をこの「施設」が背負わされている・・・
・・・ところが、「全入」は「選ばれた」自負を生徒から奪い、また共有される新たな国家目標が不明確になると、学校は「国民への改造」の司令塔の位置から転落した・・・こうして、世間は学校を仰ぎ見るのではなく、学校を評価する立場となり、主客が転倒した・・・先進国の大半では国民国家形成時や大きな社会変動期に持っていた学校教育の輝きは失われている・・・

1920年代にアメリカで中等教育の進学率が急上昇したことを指摘した上で、
・・・どの先進国でも進学率はその後増加するが増加するが、独仏では従来の一般校の制度を維持した上で「増加」には職業学校で対応したが、アメリカでは「一般校」拡大で対応した。日本は欧州型を試みるが、毎回アメリカ型に戻った・・・

全入時代の高校と行きたい人は全員が行ける大学は、かつてのエリート養成機関ではなくなりました。高校と大学の社会での位置づけと役割は、見直す必要があると思います。現状は、多くの学生にとっても、教師にとっても不幸ですし、社会にとっては大きな損失です。「レジャーランド大学」「企業の採用面接に見る日本型雇用
昨日の「高校での国語教育の変更」にも通じるところがあります。