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行政-社会

第3波のグローバル化、2

先日書いた「第3波のグローバル化」の続きです。

私は、グローバル化=ものなどの国際的移動の進化を、次のように考えていました。
1 モノの移動 これは鉄道や船などによる運搬の発展に支えられ、大量の工業製品が、国境を超えて移動することです。産業革命期から始まり、19世紀20世紀です。

2 情報の移動 通信、特にIT技術の発展による、情報の瞬時による世界での伝達です。そこに乗るのは、文章といった情報だけでなく、お金=資金もです。これは、20世紀末から発展しています。

3 人の移動 モノと情報とくれば、次はヒトです。でも、これはまだ先のことと思っていました。
上の1と2は技術さえ発展すれば、金儲けのために容易にそれを利用します。しかし、人はそう簡単には移動できません。農業は土地とともにあります。農業の比重は下がりました。ビジネスマンが出張したり、有能な人が世界のどこにでも移住することはあります。しかし、多くの人は働く場所とともに、家族がいます。その上に、育った土地への愛着があります。そう簡単には、移住はできないのです。

ところが、このボールドウィン説では、人体は動かずに、ヴァーチャル技術によって、あたかも人が移動したかのような効果が得られるのです。
なるほど。とはいえ、人の体と住み家が動くこととは、少々意味が違うと思うのですが。

イタリア、本の行商人

内田洋子著『モンテレッジォ 小さな村の旅する本屋の物語』(2018年、方丈社)が面白かったです。

19世紀、イタリアの山奥の村人が、町に行商に行きます。何と、担いでいったのは、本です。本の行商人です。へ~、と驚きです。重い本をカゴに入れて。
この山中の村は、中世にはフランスからローマに通じる街道であるフランチジェーナ街道で栄えたようです。写真を見ると、とんでもない山の中にあります。日本でいうと、箱根の関所が、山の尾根にあるようなものです。石造りの家と街並みなので、残っています。

もっとも、新しく別の道路が整備され、外れてしまった村は、寂れます。そこで、出稼ぎに行き、その延長で石を売り歩いたり、本を売り歩くようになります。石も本も、重たいですね。
高価な本でなく、庶民が読むような、安くて軽い内容だったようです。しかし、国家統一が1861年、義務教育普及もその後です。識字率が低い時代に、本を求めた人が増えたのでしょう。また、その時流に乗ったのでしょう。
高価な本は都会の本屋で、安価な本はこのような行商や露天の市場で売るという棲み分けがあったのでしょう。その後、何人かの家族は、行った先の町で本屋を開業します。ベネチア、ミラノ・・・。
庶民からはどの本を読んだら良いかの助言を求められ、出版社からも出版前に「書評」を求められます。売れるかどうか。日本でも近年、本屋さんが選ぶ「本屋大賞」がありますが、イタリアでは「露天商賞」という文学賞が1953年から続いています。目利きとしての能力が評価されたのでしょう。

私の育った村も本屋はなく、私が子供の頃は、町の本屋さんがバイクの後ろに大きな箱に乗せて、本を届けてくれていました。

きれいな写真がたくさん入っています。山村を訪ねる紀行文としても楽しめます。

第3波のグローバル化

6月5日の日経新聞オピニオン欄、リチャード・ボールドウィン、ジュネーブ国際高等問題研究所教授の「グローバル化の将来は」から。

・・・グローバル化の第1波は(蒸気エネルギーが普及する)1820年ごろに始まり1990年ごろまで続いた。第1波は主にモノの取引の国際化だった。日本で言えば(トヨタ自動車本社に近い)名古屋圏に産業集積が進み、それが自動車産業の競争力を高めた。輸出が増えると、さらに集積が進んだが、技術革新は国内にとどまった。国境を越えた伝達が難しかったからだ。
これで(日米欧の)先進国がいち早く工業化し他の国々が停滞する、大いなる分岐(グレート・ダイバージェンス)が起こった。
1990年ごろから逆転が起こった。中国、インド、インドネシアのような新興国が先進国よりも速い成長をとげるようになった。第2波のグローバル化は先進国と新興国の所得格差を縮める方向に動いており、これを私は大いなる収れん(グレート・コンバージェンス)と呼んでいる。
その背景には、1980年代から始まったICT(情報通信技術)革命で、国際的な協働がしやすくなったことがある。企業は生産工程の一部を近隣の低賃金国に移し、自社の技術も移転するようになった・・・

・・・グローバル化は(価格差を利用して稼ぐ)裁定取引だ。第1次はモノ、第2次は技術ノウハウ、そして第3次は労働サービスの裁定取引だ。
今はサービス労働の多くは1つの国の中で行われているが、それが国境を越えていくのが第3のグローバル化だ。私はこれを(遠くと移民の合成語の)「テレマイグレーション(Telemigration)」と呼んでいる。
要するに在宅勤務が国際化するということだ。日本でも企業は在宅勤務の活用で労働力不足を補おうとしている。デジタル技術の深化で遠隔地から仕事に参加することが可能になった・・・

記事についている表が、わかりやすいです。一部を抜粋します。原文をお読みください。
第1次グローバル化:1820年ごろ~、蒸気機関の普及。モノが移動するコストの低下
第2次グローバル化:1990年ごろ~、情報通信技術革命の進展。アイデアが移動するコストの低下。
第3次グローバル化:2016年ごろ~、遠隔操作によるバーチャルな人の移動。人が移動するコストの低下。

世界で活躍する日本人

日経新聞連載「平成30年」、6月2日は「サッカー海外移籍 ヒデが粉砕したした壁」でした。
・・・14日開幕のサッカー・ワールドカップ(W杯)ロシア大会。日本代表23人のうち、20年前のフランス大会では1人もいなかった海外クラブ所属選手が15人に増えた。平成の世になりボーダーレス化が進んだこの球技では「日本も世界の一部」。海を渡って往来する選手の波がそう告げている・・・

元気のないことが多かった平成時代、その中で飛躍的発展を遂げたのが、サッカーです。Jリーグが発足したのが、平成5年(1993年)です。その後、チーム数も増え、ビジネスとしても成功しました。そして、この記事に書かれている、日本選手の世界での活躍です。今や海外に渡った選手は600人を超えます。
海外での活躍と言えば、プロ野球もそうです。野茂英雄、松井秀喜さん、イチロー選手をはじめ、たくさんの選手が大リーグで活躍しています。

最初に切り開いた人は、大変な苦労があったと思います。
日本国内で威張っているのではなく、世界で活躍する。それが、普通になりました。うれしいことですね。

なぜ人類だけが生き残ったか

更科功著『絶滅の人類史  なぜ「私たち」が生き延びたのか』(2018年、NHK出版新書)が読みやすく、わかりやすかったです。
・・・700万年に及ぶ人類史は、ホモ・サピエンス以外のすべての人類にとって絶滅の歴史に他ならない。彼らは決して「優れていなかった」わけではない。むしろ「弱者」たる私たちが・・・

私のホームページの「単線、系統樹、網の目2」で、ヒト属も、ホモ・サピエンス以外は死に絶えたことを書きました。しかも、ホモ・サピエンスが、強かったのではないのです。
ヒト属が、そもそも弱い類人猿で、森から追い出されたようです。もちろん、弱かったので、多くのものは肉食獣に食べられてしまったようです。道具を利用したり、頭を使ったりと進化しますが、それらはかなり後のようです。
弱いものが生き延びるために、さまざまな工夫をして、偶然うまくいった者たちが生き残ります。強くて、良い居場所を確保した猿たちは、そこで生き続けます。しかし、そこには、進化はありません。

私たちの社会でも、強いものは、その状態に安住します。弱いもので向上心のある人たちが、生き延びるため、地位を向上させるために、改革を試みます。そこには、失敗と成功があります。しかし、挑戦しない限り、地位は向上しません。親分の元で、その庇護の元に、隷属しつつ暮らすというのも、一つの生き残り戦術ですが。

ヒト属が生き延びたことは、奇跡に近いようです。そして、それは進化と同時並行で起きます。弱いものが生き延びる。パラドックスが起きたのです。
神様がお導きくださったのでもなく、知恵があったから繁栄したのでもありません。環境と他者との競争と偶然の結果です。

ところで、人類の脳は大きいといわれますが、ネアンデルタール人は、サピエンスより大きな脳を持っていたのです。それを何に使っていたか、よくわかりません。とてつもなく記憶が良かったとか? 無駄な器官を持つことは生存に不利ですから、何か役に立っていたのでしょう。

器官や機能は、使わなくなる、必要がなくなれば、退化します。将来AIが発達して、脳の代わりを務めるようになると、人類の脳は小さくなるのでしょうか。
その前に、乗り物をよく利用して歩かない人たちと、運動選手たちとで、筋肉の付き方が違ってくるでしょう。それが続くと、人類は2分化するように思えます。