カテゴリー別アーカイブ: 社会と政治

社会と政治

海外で競争しないことが日本の停滞を招いた

昨日の続きです。「国際貢献をしなかった」という話は、私の昔からの持論です。今回の主張は、それが、国内にも大きな影響を与えた、ということです。すなわち、「海外に出て行かず、国内で閉じこもったことが、今日の日本の停滞を招いた」ということです。
例えば、企業です。国内経済が発展・拡大している時は、国内で規模を大きくしていれば、企業は発展しました。そして、国内企業との競争が、その会社を活性化しました。しかし、国内市場のパイが飽和に近づいた時、国内で競争していても、企業は発展しません。もちろん、新しい商品やサービスを開発すれば、新たな発展があります。
しかし、テレビにしろ自動車にしろ、もう、そんなにびっくりするような技術革新はありません。そして、日本の国内市場は、人口の減少により、縮小するのです。
その際に、海外に市場を求めた企業は、発展しました。もちろん、海外企業との厳しい競争や、日本と異なる言葉や商慣習に、打ち勝つ必要もありました。それに負けた企業は、敗退します。しかし、それは国内で競争しても同じことです。日本市場に閉じこもって、現状維持、または減少で満足するか。海外で競争するかです。ハイリスク・ハイリターン、ローリスク・ローリターン。これが市場経済です。
さらに、国際化は、海外企業が日本に参入してくる、ということです。国内市場で満足していても、入ってくる海外製品や海外企業に負けることもあります。規制に守られた産業は、発展しませんでした。農業が代表例です。
これがどうして、日本の停滞を招いたか。それについては、次回に解説します。

国際社会での位置と自覚

この1年間、いろいろなことを、考えることができました。あまりに幅広くだったので、うまく整理できていません。それは、世界の中の日本、これからの日本の在り方、政府と社会の関係、政府と市場の関わり方などです。どのような切り口で、分類するのがよいのか。少しずつ書くことで、整理したいと思います。
日本が、世界第2位の経済大国になったのは、1968年(昭和43年)でした。西ドイツを抜いて、アメリカに次ぐ規模になったのです。もっとも、東側ではソ連がいたので、西側で第2位と言った方が正確でしょう。
今年で41年。半世紀とは言いませんが、結構な長さです。この事実を、改めて考えさせられました。
その間、日本人は、世界第2位の経済大国であるということを、自覚していたでしょうか。もちろん、経済の規模で国のありようが決まる。そのようなものでは、ありません。しかし、各国が集まって構成している国際社会では、その「からだ」の大きさにふさわしい立ち居振る舞いが、期待されるのでしょう。
「国際連合への負担金を、たくさん納めていればよい」というものでは、ありません。私が言いたいのは、国際社会での議論、ルールづくり、秩序維持にどれだけ貢献したかです。
日本は、自国の経済発展にのみ専念し、世界への貢献を怠っていたのではないでしょうか。家庭にたとえると、町内会費を納めるが、会合では発言しない、共同作業には出ていかない、といったところでしょうか。少し極端な言い方をしています(この項、続く)。
なお、連載していた「行政構造改革」では、第3章三2「日本の政治は何をしたか、何をしなかったか」(2)「決断する」(2008年10月号)で、国際貢献を取り上げました。今日の議論は、その延長になります。

日本の風景、点と面

21日の朝日新聞「耕論」「何を目指す?観光庁」、池内紀さんの発言から。
・・日本では総じて、観光地が「点」でしかない。宮島なら厳島神社だけ、姫路なら姫路城しか見ない。点のまわりには雑然とした町しかなく、商店街はシャッターが下りたまま。観光客は点から点へ飛び石で移動するしかない。
ドイツやオーストリア、スイスといった国の観光地は、点ではなく「面」だ。例えばライン川なら、川を中心にして、川沿いの町、背後の丘や森、点点とある古城が全部一体になっている。全体を面として、建物の造りや色などにも厳しい規制をしている。
そうした本当に魅力ある観光地というのは、5年や10年ではできない・・50年、100年単位の取り組みは、中央の役所が関与すればできるというものではない。それぞれの土地に暮らし、風土を愛している人々に任せればいい。例えば、ぼくが、観光庁に一番してほしいのは、せめて世界遺産を中心とした観光地から、看板や広告をなくすこと・・・(9月21日)
22日の読売新聞「平成を歩く」は、「おわびの作法」でした。「誠意を欠けば、火に油・・・」という記事で、最近はやり(?)の企業のおわびを解説しています。反響を呼んだ(問題になった)謝罪会見の表も付いています。
おわびについては、このホームページは先達です。自慢することではありませんが、後輩たちが悩まないように、載せてあります。

日本語とワープロ

YOMIURI PC編集部『パソコンは日本語をどう変えたかー日本語処理の技術史』(2008年、講談社ブルーバックス)が、勉強になりました。
かつて、ワープロを作る際に、日本語が科学的に分析できていなくて、技術者が苦労したという話を聞きました。どのように、文字を入力するかです。アルファベットを使っている言語は、26文字を、キーボードで入力すればいいのです。タイプライターです。もちろん、大文字と小文字やコンマやピリオド、改行なども必要です。
しかし、日本語は、ひらがな、カタカナ、漢字を使うので、これら3種類が必要なのと、漢字が膨大で、キーボードで入力できないのです。日本語タイプライターは、普及しませんでした。現在は、ローマ字で入力して変換する方法が、主流です。でも、変換が、これまた難しいのです。同音異字がたくさんあります。
その次に、皆さんも経験あるでしょうが、変な語句に変換されることです。漢字を一つ一つ変換していけば、そんなことは起こりません。しかし、それでは面倒です。一つの文章や、文節で変換すると、「え~」というような変換が起こります。
「バブル」と打った後に、「のじだい」と入れると、「野路代」と変換された経験をお持ちでしょう。今は、「の時代」となりますがね。
名詞が主で、その後に付く助詞は従なのです。話している時も、「の」はその後の「時代」につくのではなく、その前の「バブル」に付くのですよね。同音異字・同音異義語の変換をどうしたら早くできるか。文脈の中で最適の語をどうして探すか。このような分析は、国文学は役に立たず、技術者が解決していったのです。
わたしは、かつて、音声入力を使っていたこともあります。マイクに向かって読み上げると、パソコンが文章に変換してくれるのです。その際にわかったのは、一語一語では、変換できないのです。前後の文脈からパソコンが良さそうな語を探してくれます。「のじだい」では、パソコンは困ってしまいます。「の」「じ」「だ」「い」と区切って発音したら、パソコンはさらに困ってしまいます。文章は、単語が単に順番に並んでいるのではなく、前後の意味の中で並んでいるのです。
日本語がワープロを進化させ、ワープロが日本語を分析しました。そのほかにも、興味深いことが書かれています。

国際化のソフトウエア

7日の日経新聞に、「社会保障協定」の解説が出ています。海外で働く会社員が、日本と現地で公的年金保険料を二重払いしなくてすむようにする仕組みです。そのほか、両国で期間を通算できる場合もあります。
また、朝日新聞は、日本で働いている外国人が母国に送金する際の方法を解説していました。銀行で送ろうとすると、平日でしかも15:00までしか扱ってくれません。普通に勤務していると、利用できないのです。また、手数料がかなり高いです。そこで、「地下銀行」を使う人が多いのですが、これは違法です。
国際化には、いろいろな仕組み=ソフトウエアが必要です。それらは、道路などの公共事業と違って見えにくいのですが、重要な社会資本です。