カテゴリー別アーカイブ: 災害復興

行政-災害復興

長期避難者の生活拠点検討協議会

今日、福島県郡山市で、長期避難者の生活拠点検討協議会を開きました。参加者の都合で、18:00~20:00という時間帯でした。土曜日の夜にお集まりいただき、ありがとうございます。
この会議は、県と復興庁が主催し、避難区域となった12市町村と、避難者をたくさん受け入れている県内の5市との会議です。当分帰還できない住民のために、住宅を建てます。その課題を検討する会です。資料を載せました。

借り上げ住宅は生活条件が良いのですが、仮設住宅は条件が悪いです。通常は2年で出て行くことを想定しています。しかし、原発事故では、5年以上帰ることができない地域もあります。
避難者の中には、(賠償金をもらって)自ら家を買って出ていく人のほかに、帰還できる日まで待つ人、しばらく待って考える人、もう帰らずに定住する人がいます。この人たちのために、住宅を建てます。
当然、住まいだけでなく、教育や病院、介護といったサービス、さらには働く場所も必要です。受け入れ自治体のまちづくり計画や都市計画などとの整合性を取る必要があります。「仮の町」とか「町外コミュニティ」と呼ばれていますが、受け入れ側の自治体にとっては、市内に突然「よその人の町」ができたら困ります。

今日の協議会は、受け入れ側の自治体に、住宅を作ることをお願いする会です。市長さんたちからは、避難者が閉鎖的にまとまって住むのではなく、地元住民と溶け込んで暮らすよう、分散型の住宅を作ってほしいとの要望が出ました。今後、個別の市ごとに、実務的な詰めを行います。
どこに、どれくらいの数の、どのような形の住宅を作るか。公共サービスはどう提供するかなどなど。検討課題はたくさんあります。「何人が、いつまで住むか」ということをとっても、予測が難しいのです。

自治体間の職員応援

岡山市が職員を公募して、宮古市に送ってくれます。その職員採用が決まりました。合計5人の職員を送ってくださいます。すでに3人の職員を応援に出していますが、さらに任期付き職員を採用して、送ってくださいます。ありがとうございます。
先日、「東京都が47人を採用して送ってくださる」ことを紹介しました(9月4日の記事。長浜市は9月9日の記事)。都庁にお礼に行って、気づきました。都や大きな市が職員を採用して送ってくださる際には、職員研修をじっくりとしてくださいます。会計事務や文書事務だけでなく、公務員倫理もです。
他方、被災地の自治体、特に小規模な自治体では、即戦力が期待されていて、かつ職員研修にそんなにも時間を割くわけにはいきません。東京都などで職員研修を受けた職員なら、折り紙付きです。この点も、送り出し自治体に、お礼を申し上げます。

「自治体や役所は、とかく前例踏襲で、新しいことをしない」と批判されます。でも、今回の被災地支援を見てください。かつては、消防と警察を送ることと、物資と義援金を送ることが、主な被災地支援でした。それが今回は、職員応援、被災者受け入れ、事務の代行など、次々と知恵を出して新しいことに挑戦しています。
阪神淡路大震災がボランティア元年と呼ばれましたが、東日本大震災は、企業の社会的責任と自治体の新たな支援の元年と言えると思います。
これらの新しい取り組みも、一覧表に整理する必要がありますね。今回の大震災で、政府が取った新しい取り組みは、こちら

川内村の復興

今日は、福島県川内村に行ってきました。原発事故で避難を余儀なくされた12市町村について、復興庁で各自治体ごとのチームを作って、県と一緒に課題を解決することとしています。帰還を始めている自治体、帰還の準備をしている自治体、まだ当分の間戻れない自治体と、条件が違うので、各自治体ごとに進めることが効果的と判断しました。復興庁の参事官を、それぞれチーム長としているのですが、今日は第一回目でもあり、私もついて行きました。
川内村は、阿武隈山地の東麓にある、盆地の村です。のどかな山村の風景が広がっています。村に行くのは、去年の秋以来です(2011年10月29日の記事)。その後、村長が帰村宣言をして、役場も戻っています。住宅の周りで、除染作業が進められていました。また、村の中心部では人通りも増えて、去年とは様変わりでした。人がいるといないとでは、これだけも違うのですね。
ただし、まだ戻っている人は多くありません。理由は、放射能への不安、サービス再開が進んでいないこと、働く場が失われていることなどです。
この村は、双葉郡を生活圏としていました。東へ山を下りると、20分で富岡町です。病院や高校、さらに勤め先も、この富岡町に依存していました。ところが、富岡町の帰還は、まだめどが立っていません。すると、南のいわき市、西の郡山市のサービスに頼らざるを得ませんが、山道で1時間半以上かかります。
このように分断された地域経済・生活圏を、どのように復興するか。大きな課題です。

被災地で役場と住民をつなぐNPO

NPOが、被災地で活躍しています。避難所での炊き出しやがれき片付けと違って、復興に際しての活動は見えにくく、一般にはあまり理解されていません。
産経新聞に、市役所と住民との間に立って、両者をつなぐ働きをしている例が、取り上げられていました。「高台の住宅、安全でもつらい」の後段。一般社団法人「RCF復興支援チーム」の岡本敬史さんです。
・・9月上旬、岡本さんの携帯電話に、担当する同市唐丹(とうに)地区の仮設住宅団地自治会長が連絡してきた。「市から移転するかどうかのアンケートが来たが、計画が分からないから返事ができない」。岡本さんは翌日、市の担当者を呼び、住民相談会を開いた。
質問は「移転先で井戸を掘る費用は出るのか」「土地はいくらで買ってくれるのか」など具体的な内容が大半。「従来の行政では答えにくい個別の相談に乗らないと住民は決断はできない」と岡本さんはいう・・
詳しくは、記事をお読みください。
宮城県では、被災者支援やまちづくり支援に携わるNPOなどの協力を得て、被災地と県の橋渡し役を務める「復興支援専門員」を置くとのことです。
それぞれ、藤沢烈さんに教えてもらいました。

復興推進委員会

今日、官邸で、復興推進委員会を開催しました。来年3月に作る年次報告書の中間報告をまとめる会でした。有識者会議が、政府に向かって、問題点を指摘するのです。
どのような方針でまとめるか、骨格をどうするかなど、事前に委員の間で議論をして頂きました。また、それに沿って、御厨先生と飯尾先生が執筆された案文も、委員の方々と意見交換をしていただいた上で、今日の会議になりました。
それでも、委員の皆さんは、それぞれにご意見をお持ちで、いろんな指摘が出ました。聞いていて、「なるほど」と思うことが多いです。今日では議論は終わらず、委員長が今日出た意見を反映して、文章を修正することになりました。
かつては、審議会の報告書は官僚が書いて、それを委員が追認するということもあったのですが、そのような進め方は「化石」になりました。
政府に対する問題点の指摘なので、私たち復興庁にとっては、耳の痛いことが多いです。しかし、復興を進めるには必要なことです。

参考資料として「現状と取り組み」を提出しました。だんだん充実して、81ページにもなりました。特に、公共インフラ復旧進度について、これまで応急復旧の数値(p15~)を取っていましたが、今回から本格復旧の数値(p19~)に代えました。それで、ものによっては、復旧度合いが低くなっています。
できる限り数値や事実を公表するとともに、記録して残そうと考えています。ホームページに載せておくと、皆さんが簡単に利用できて便利ですよね。今後の参考になると思います。