カテゴリー別アーカイブ: 政治の役割

行政-政治の役割

不安定な現在の国際社会、理念の不足。2

先日、山上正太郎著『第一次世界大戦 忘れられた戦争』(2010年、講談社学術文庫)を読みました。今年は2014年、第一次世界大戦勃発から100年です。この本を読むと、人間は合理的ではないなあと、考えさせられます。もちろん、私たちは、その結果を知っている現時点から、過去を判断するからです。
戦争が始まる前、始めたとき、戦争中と、関係者はその時点その時点で「良い」と思う決断をしたのでしょう。結果を教えてあげたら、多くの人は「そんな結果になるのだったら、やめておいたのに」と、言うのでしょうね。この本の中でも、戦争を始めたドイツ皇帝が戦争に負けそうになったときに、敵方のロシア皇帝やイギリス国王の不誠実をなじったり、開戦に踏み切った首相ホルヴェーグが自己の責任を反省しています。戦争を始めた皇帝たちは、よもやロシア、ドイツ、オーストリア帝国がなくなり、地位を追われるとは思ってもみなかったでしょう。
戦争になるかどうかは別にして、国際政治には単一の責任者がおらず、また利害や意見を調整するシステムがありません。それが故に、関係者の意図がうまく交換されず、また調整されないときがあります。「相手は、こんなことを考えているかもしれない」「いや、そんな意図で言ったのではない」と。
また、過去の思考の枠組みで考えていると、社会の変化に気づかず、歴史の大きな流れを読み間違うことになるのでしょう。第一次世界大戦は、総力戦が出現し、国民の支持がないと続行できない、政体も維持できないことを明らかにしました。19世紀とは違う社会が、出現していたのです。政治指導者の認識と、社会や経済の変化がずれていると、うまくいきません。それは、第一次世界大戦の後処理の失敗にもつながりました。ドイツへの過酷な懲罰は、第2次世界大戦を引き起こしました。
アメリカとソ連が「仕切っていた」20世紀後半は、それなりに「秩序」と「安定」がありました。1991年、ソ連の崩壊で、「冷戦」という安定の時代が終わりました。「歴史の終焉」(フランシス・フクヤマ)とも言われましたが、それから20年後に待っていたのは、全く違った世界でした。
共産主義が終わり市場経済が世界を覆いましたが、別の「勢力」が、国際社会の不安定要因として台頭しました。西欧自由主義・民主主義とは違う、イスラムという文明と、中国という経済と軍事力を急速に増強したしかし独裁国家と、ロシアという未成熟な自由主義国家などです。
さて、安定を失いつつある現在を、20年後や50年後の後世の人は、どのように見てどのように記述するでしょうか。「混乱はさらに大きくなり、・・・」と書かれるのか、「その混乱の中、世界の指導者達は、××によって、新しい秩序を作り上げた」と書かれるのでしょうか。(参照、「1914年と2014年の類似」4月22日の記事)

不安定な現在の国際社会、理念の不足

朝日新聞6月10日、オピニオン欄、三谷太一郎先生の「同盟の歴史に学ぶ」から。
・・冷戦後の世界は、多極化しました。ソ連が崩壊したあと、米国が空白を埋めて、絶対的なリーダーになるかと思われましたが、現実は予想に反しました。G8は、中国やブラジルなどを入れてG20になりましたが、覇権国家が消滅したことに着目すれば、現在の状況はG0(ゼロ)と言ってもよいかもしれません。冷戦後20年を超えた今日でも、安定的な国際秩序は未完の課題です・・
・・歴史上いまほど、理念というものが不足した時代はないでしょう。現在の世界的な傾向であるナショナリズムを超える理念が存在しません。裏返せば、国益に固執した短絡的なリアリズムが世界を支配しています。覇権構造が解体してしまった現実が私たちの眼前にあります・・

政策を支える知的基盤・政策共同体、2

もう一つは、「戦略文書の機能」についてです(p49)。
・・日本においては以前より、防衛大綱だけでなく、米国の国家安全保障戦略をモデルとした国家安全保障戦略に関する文書を策定すべきであるとの主張が少なくなかった。今回、国家安全保障戦略についての上位文書が初めて策定され、安全保障政策についてのベースが形成された。ただし、文書は単に文書に過ぎない。特に国家安全保障戦略は、防衛大綱や中期防と異なり、具体的な資源配分に結びつく文書ではないため、単なるレトリックに終わってしまう危険性は無視できない。
例えば、経営戦略論と安全保障戦略論の双方を分析した経営コンサルタントのカリフォルニア大学ロサンゼルス校教授リチャード・ルメルトは、その著書『よい戦略、悪い戦略』の中で、米国のブッシュ政権が策定した2002 年の国家安全保障戦略について、単に希望としての目標を並べたウィッシュリストに過ぎず、現実的な目標を達成するための具体的な手段が記述されていないことを指摘し、戦略と呼ぶに値しないと批判している・・
・・第1 期オバマ政権において、NSC の北東アジア担当上級部長を務めたジェフリー・ベーダーは、退任後2012 年に発表した回顧録の中で、NSC、国務省、国防省が定期的にグローバルな戦略を発表してきているが、それらは実際の危機に際して参照されることはほとんどないとし、かつ現実の政策決定は、戦略文書に基づいて行われるのではなく、その場その場の戦術的な決定の蓄積として行われるとして、こうした戦略文書について批判的な考え方を示している。
また、ブッシュ政権においてディック・チェイニー副大統領の安全保障担当副補佐官を務めたアーロン・フリードバーグは、『ワシントン・クォータリー』2007 年冬号に寄稿した論文「米国の戦略立案の強化」の中で、戦略立案(プランニング)プロセスの目的とは、一つの包括的な文書を策定することでも、各種の課題やさまざまな有事に対応する計画群を作成することではなく、行政府の政策決定者に対して適切な判断材料を提供し、戦略的な意思決定を支援することであると指摘している。
彼は、ドワイト・アイゼンハワー大統領が「計画(プラン)は無駄だが、計画立案(プランニング)は不可欠である」と述べたことを引用しながら、何らかの文書を作成することそれ自体よりも、計画立案プロセスを通じて、重要な政策決定に関わる関係者たちに、どのような意思決定を行う必要があるのか、その際にどのような要素を考慮する必要があるのかといったことを広く認識させていくことの方がはるかに重要であると論じているのである・・
戦略文書を作ることは、一つのアウトプット(結果)です。しかし、ある目的を達成する過程としてみるなら、それはインプット(入力)でしかありません。アウトカム(成果)は何なのか。それを問う必要があります。公務員が陥りやすい失敗は、ここにあります。

政策を支える知的基盤・政策共同体

防衛省の防衛研究所が、『東アジア戦略概観 2014』を公表しています。この分野は私の専門ではないので、内容については、本文を読んで頂くとして、今回紹介するのは、「知的基盤」と「戦略文書の機能」についてです。
まず、知的基盤について、国家安全保障会議の設置を評価した上で、次のように述べています(p43)。
・・国家安全保障会議および国家安全保障局はあくまで、日本の安全保障政策を質的に「進化」させていく上での前提となる組織であり、それによって日本の安全保障政策における戦略性が自動的に高まっていくわけではない・・
・・現在進められている安全保障政策における改革が実現した後で必要になるのは、これまでのように「進化」の「入口」としての組織や法制の在り方を議論することではなく、日本の安全保障と地域の安定を達成する上で必要な政策課題そのものを深く議論し、使用可能な政策手段を組み合わせていくことである。そのためにこそ、国家安全保障戦略、2013 年防衛大綱および2013 年中期防のいずれにおいても強調されている知的基盤の充実が重要となる。しかしながら、日本の知的基盤を支えるシンクタンクや人材の層は、英米豪に比べて脆弱である。まさにこの分野における努力こそが、今後の日本の安全保障政策において、これまでよりもはるかに重要な意味を持つことになろう・・
私は、ここで述べられている知的基盤を、「政策共同体」と呼んでいます(例えば、2005年9月11日)。その政策分野の専門家、すなわち官僚、学者、研究者、マスコミが意見を交換し、ある程度の共通認識を持つ「場」です。簡単な指標は、専門誌と学界があり、マスコミに解説が書ける記者と研究者がいることでしょうか(政策専門誌について例えば、2010年4月12日)。大学に講座があり、シンクタンクがあれば、より安定的、本格的です。
地方行財政にはあるのですが、霞ヶ関の各分野には、必ずしもそろっていないようです。現場と研究者、そしてそれを広報・解説する者がいなければ、政策は現実性を失い、他方で先見性を失います。現場と研究者の交流と、国民への周知が必要なのです。
少し話題は広がりますが、イギリスBBCがいくつもの言語でニュースを流しています。では、日本でそれができるか。そのためには、それを支える、現地の事情や言語に通じた関係者が必要です。そしてその人たちが「食べていける」だけの、条件が必要なのです(2006年欧州随行記3)。

野党の役割

毎日新聞5月2日論点「あるべき野党の姿は」、宇野重規先生の「世界と日本、見取り図示せ」から。
・・政党政治の祖国といえば英国だが、一朝一夕に仕組みができたわけではない。後に自由党と呼ばれるようになるホイッグ党が、名誉革命をへてウォルポール首相の下で内閣を形成するまでに、30年は経過している。単に与野党があるばかりでなく、政権交代を含めて責任ある政治の仕組みが定着するには、それほど時間を要する。
哲学者のヒュームが面白いことを言っている。重要なのはむしろトーリー党(後の保守党)であった、というのである。野党に転落した後、彼らは単に権力を奪回するだけでなく、野党として権力を批判することが英国の自由にとって重要であることを学んだ。各政党が、権力と自由の両方の視点をもつことが肝心だというのが、ヒュームの教訓である。
自民党が野党期間に何を学んだか、あるいは政権を失った民主党がいま何をしているのかは、ここでは論じない。肝心なのは、政権交代以前の与野党関係にはもう戻れないということだ・・